DAY1 世界の始まり

1、覚醒

「……おい、和真」


 低く、短い声がした。


 心電図の電子音だと思っていた規則音が、突然、別の音に変わる。

 チョークが黒板を叩く、乾いた音。


「起きろ、高城和真!」


 和真は、はっとして目を開けた。


 白い天井ではない。

 見慣れた蛍光灯。少し黄ばんだ天井板。

 鼻を突くのは、消毒の匂いではなく、教室特有の埃とチョークの匂いだった。


「いつまで寝てるつもりだ」


 目の前に立っていたのは、担任教師――杉山隆平だった。

 腕を組み、眉間にしわを寄せた厳しい表情。声も相変わらず硬い。



 ただ、現実に引き戻すための声だ。


 ガタッ。

 和真が身体を起こすと、机がわずかにきしんだ。

 脇腹に、反射的に手をやる。――何もない。


 痛みも、血も、包帯もない。


 杉山「夢でも見てたか?

    顔色悪いぞ」


 言い方はぶっきらぼうだが、視線は一瞬、和真の様子を確かめるように動く。

 それを見て、和真は理由もなく、少しだけ安心した。


「……はい」


 教室のざわめきが、徐々に耳に戻ってくる。

 ノートをめくる音。小さな笑い声。

 日常の音だ。


「次、当てるからな。起きてろ。

 居眠りは許さんぞ」


 杉山は小さく息を吐き、黒板に向き直った。

 和真は背筋を伸ばし、黒板を見た。

 そこには数式が並んでいる。見覚えのある、平凡な授業内容。


 だが、胸の奥がざわついていた。


 ――違う。


 今まで見た夢と、何かが決定的に違う。


 和真は、机の上に書かれた自分の手を見つめる。

 震えてはいない。

 汗もかいていない。


 それなのに、心臓だけが早い。


 --あの夢は、いつも同じだった。


 荒廃した街。

 機関銃。

 ヴィラン。

 倒れ、暗転し目覚める。


 流れは一度も変わらなかった。


 だが、今回は、途中で割り込んできたものがある。


 声。


 和真は、無意識に喉に手を当てた。

 ――オレの声に似ていた。


 似ていた、というより、同じだったとしか言いようがない。


 《考えろ。”オマエ”が選べ》


 頭の中で、その声が正確に再生される。


 ――そんなこと、夢の中のオレは、今まで一度も言わなかった。


 しかも。


 視界の端で、黒板に向き直った杉山の背中を見つめながら、和真はふと、思い出していた。


 ――さっきの戦闘服の男。


 確かに誰かに”起こされた”感覚だけが、まだ消えなかった。

 銃を構え、迷いなく頭を撃ち抜いたあの人物。

 戦闘服に身を包んだ男の顔が、まさに担任教師の杉山そっくりだった。


 眉の角度。目つき。無駄のない動き。

 気づいてしまえば、重なる部分ばかりが目につく。


 何より、あの”叱らずに見てくる目”。


 夢だから、何でもありだと片付けるには、妙に現実的だ。


 その時、チャイムが鳴り、教室がざわめく。


 甲高く、現実的な音。

 教室の空気が一気に緩む。


 和真は立ち上がり、何気なく窓の方を見る。

 ガラスに、自分の顔が映っていた。


 平凡で、どこにでもいる高校生の顔。

 ……の、はずだった。


 一瞬、ガラスの奥で、別の自分が重なった。


 戦闘服を着ている。

 頬にすすがついている。

 目は、今よりずっと冷たく、覚悟を帯びている。


 和真は、思わず瞬きをした。


 映っているのは、いつもの自分だけだ。

 制服姿。傷もない。


「……」


 胸の奥が、じわりと冷える。


 ――これは、ただの夢じゃない。


 和真は、そう結論づける。


 なぜかは分からない。

 理由も、正体も、何一つ。


 ただ一つ、確かなことがある。


 この夢は、これからの何かに繋がっている。


 ――夢の方が、現実よりも“続いている”。


 廊下に響く足音が、やけに遠く感じられた。

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