第2話

六時間目の終わりのチャイムが、いつもより少しだけ軽く聞こえた。


(よし。今日の放課後は、図書委員)


 教科書を閉じて、反射的にスケジュールアプリを確認する。

 何回見ても、今日の当番は「中村・藤宮」の組み合わせだ。


 名前の並びを見るだけで、少しだけ胸がふわっとする。

 自分でも、どんだけ単純なんだよと思う。

 


 いつもならダラダラとノートを片づける俺が、今日はサッと筆箱をしまって立ち上がった。

 カバンを肩にかけて、教室のドアに向かう。


 その途中で、何となく前のほうを見た。


 教室の真ん中。女子の輪の中で笑っていた星野美咲と、目が合う。

 一瞬だけ。ほんの一秒あるかないか。


 けどその一瞬の視線の温度が、いつもと違うのは分かった。

 笑ってない。むしろ、少しだけ睨まれている。


(……え、何。俺なんかしたか?)


 問いかける前に、美咲はすぐ視線を外して、隣の子とまた何か喋り出す。

 さっきのは見間違いだったのかもしれない。


 そういうことにしておくことにして、俺はそのまま教室を出た。

 図書室に向かう足は、さっきより少しだけ早くなっていた。



 図書室の扉を開けると、紙とインクの匂いがふわっと鼻をくすぐった。


「中村くん、おつかれさま」


 喋るときの声が、図書室の空気にちょうどいい音量で落ちてくる。

 カウンターの奥から顔を上げたのは、藤宮先輩だった。


 肩より少し長い黒髪を、目立たない黒いゴムで後ろにひとつ結び。

 前髪もピンで軽く留めていて、ぱっと見は真面目そうなだけだ。


 それでも、一度視界に入ると、なんとなく何回も目で追ってしまう。

 ほんのり茶色を含んだあたたかい瞳と、横顔のラインだけで「美少女だ」と分かるくらいには、顔が整いすぎている。


「おつかれさまです。今日、返却多いですね」


「そうなんだよね。テスト前だからかな。中村くん、こっちの返却分、棚戻しお願いしてもいい?」


「はい」


 台車に山になっている本を見て、思わず苦笑いが漏れる。

 ラノベ、新書、小説、参考書。ジャンルはバラバラだけど、その中に自分が好きな作家の名前を見つけて、少しテンションが上がった。


「あ、それ。中村くん、この作家さん好きだったよね?」


 藤宮先輩が、俺の視線に気づいたみたいに一冊の背表紙を指でなぞる。


「はい。前にここで借りて読んで……。先輩も読むんですか?」


「うん。文章が柔らかくて好き。あと、登場人物の会話が自然で」


「分かります。それ、俺も思いました」


 共通点を見つけた犬みたいに、尻尾があったら振ってる自信がある。


 図書室の静けさの中で、藤宮先輩はいつもの調子で、俺のくだらない感想までしっかり拾って、うなずいてくれる。

 この感じが、たぶん俺が藤宮遥という人を好きになった一番の理由だ。


 「本が好きな優等生の先輩」じゃなくて、ちゃんと俺と話をしてくれる人。


 棚に本を戻しながら、心の中でこっそりそんなことを思う。



 その日の夜。


 夕飯のハンバーグを食べながら、頭の中ではさっきの会話を何回も再生していた。


(「文章が柔らかくて好き」か……。言い方がもう優しいんだよな、あの人)


 母さんが「今日なんか機嫌いいね」と言ってきたけど、適当にごまかして皿を流しに運ぶ。

 部屋に戻ってベッドに寝転がり、スマホのカレンダーを開く。


 次に藤宮先輩と一緒の当番の日を確認したところで、


 ──ピンポーン。


 リビングのチャイムが鳴った。


「はーい」


 母さんの声が聞こえて、少し間が空く。


「篤ー。美咲ちゃん来たよー」


「……だろうな」


 玄関に顔を出すと、予想通り、星野美咲がそこにいた。


 さっき教室で見たときと同じ、見慣れたハイトーンの髪に、見慣れたパーカー。

 当たり前みたいな顔で、買い物袋を片手にぶら下げている。


「おじゃましまーす。あっくん、今日も来たよー」


「来たよー、じゃない。せめて連絡しろって前も言っただろ」


「どうせ家にいるでしょ? 当たりだし。ほら、お菓子も買ってきたから許して」


 勝手にスニーカーを脱いで、勝手に家の中に上がり込んでいく。

 俺の許可なんて、最初から必要としてない動きだ。


 その背中を見ながら、ふと昼間の視線を思い出す。


「……なあ、美咲」


「ん?」


 リビングに向かいながら振り向いた美咲の目は、もういつもの軽い色をしていた。


「今日の放課後、なんか機嫌悪かった?」


「別に?いつも通りだけど」


 即答。間髪入れず。


 今日の放課後の、自分の浮かれっぷりを言い当てられるのが怖くて、それ以上は聞けなかった。


 代わりに、美咲のほうから一言だけ、ぽつりと落ちてきた。


「……図書委員、楽しそうだったね」


 その言い方が妙に引っかかって、俺は一瞬だけ足を止める。


「見てたのかよ」


「見てないし。たまたま廊下から見えただけだし」


 そう言って、ふいっと顔を背ける。

 その横顔は、いつもの無邪気なギャルの顔と、少しだけ違って見えた。

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2026年1月20日 11:38 毎日 11:35

ギャルになった幼馴染は、俺に彼女ができるのを絶対に許さない Re.ユナ @Akariiiii

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