第十話 言えないままの日常
朝は、いつも通り始まった。
食卓に湯気が立ち、窓から柔らかい光が差し込む。
蒼は静かに支度を整え、レオはコーヒーを淹れながら、いつもの調子でアキに声をかける。
「今日、寒いな。上着、忘れるなよ」
「……うん」
アキは笑おうとして、ほんの少しだけ口角を上げた。
それだけで、すぐに視線を落とす。
――それが、最近のアキだった。
大きな変化はない。
泣くわけでも、取り乱すわけでもない。
ただ、沈んでいる。
言葉が少なくなり、
触れ合いを、そっと避けるようになった。
レオが何気なく肩に手を置こうとすると、
アキは一歩だけ、距離を取る。
蒼が隣に立てば、
視線を外して、用事を思い出したふりをする。
「……アキ様?」
蒼の声に、アキは一瞬だけ反応するが、すぐに首を振った。
「大丈夫。ほんとに」
その横顔が、二人には痛いほど分かった。
大丈夫じゃない、と言っている横顔だったから。
でも、理由を聞いても、
アキは何も言わない。
言えない。
言ってしまったら、何かが壊れてしまいそうで。
だから、触れ合いも。
視線も。
優しい言葉さえも――どこかで拒んでいた。
それでも、日常は進む。
掃除をして、買い物をして、
笑顔を作って、夜を迎える。
その繰り返しの中で、
アキ自身が、一番はっきり気づいていた。
(……隠せなくなってきてる)
服が、少しきつい。
無意識にお腹をかばう仕草が増えた。
ほんの、わずか。
でも、確実に。
ある朝、レオがふと視線を落とした。
「……なあ」
アキが気づくより先に、
レオの目が、そこで止まっていた。
蒼もまた、黙ってアキを見る。
言葉はない。
でも、二人とも、同じところを見ている。
アキは、はっとして、お腹に手を当てた。
「……っ」
その反応だけで、十分だった。
二人の視線が、ゆっくりとアキに戻る。
驚きと、戸惑いと、
そして確かな――気づき。
アキは何も言えないまま、立ち尽くした。
沈黙の中で、
日常は、もう戻れないところまで来ていることだけが、はっきりしていた。
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