第2話 水の魔法と実験
この世界に来て、およそ一週間が過ぎた。
クリストファー=ルーベルト青年の記憶によれば、彼は侯爵家の次男で、年齢は二十歳。王立魔術学院を優秀な成績で卒業し、その後、王宮魔術師団に入団したようだ。
この世界には魔力を持つ人間が一定数いるらしい。アンドリュー=ワトキンスもその一人だが彼は変人の部類なので、取りあえず例外としておこう。ちなみに、アンドリューはこのクリストファーの従僕らしい。
魔力は五歳の時の聖年式によって使える魔法適性の判定が行われる。このクリストファーの適性は水らしい。そして魔法は加護を与える精霊の影響を受ける。複数の精霊の加護を得られる人もいるが、彼は水以外の魔法適性はない。
水の妖精神の化身と呼ばれるのは、まさに水の精霊神を彷彿とさせる容姿だからということらしい。一度、教会でその像を見せてもらったが、確かにかなりのイケメンの像だった。もちろん、制作した彫刻家の想像の産物だろうが、この国では水の精霊神はイケメン美男子だというのが共通したイメージのようだ。
なお、最高神は太陽神で女神の姿をしている。
レイクシーウェル連合王国は複数の国が統一されてできた国だ。
一応、このクリストファー青年の知識があるため、生活に支障はなく暮らしている。
僕はこの日、考え事をしながら少し早足で屋敷の厨房に向かっていた。
このクリストファー青年が使えた魔法は主に水魔法のみ。魔法は詠唱が必要なものがあるが、簡単な魔法なら単純な命令だけで行使できる。とりあえず、昨日は庭で植木や花に魔法で生み出した水を散布してみた。庭師のおじさんは水やりが楽だと随分と喜んでくれていたけれど。
水は生み出せる――。ちなみに、温度調節も可能だ。凍らせることもできれば、熱湯も生み出せる。そして、昨日、実験していて気付いたことがある。それを確かめるために、今、僕は厨房に向かっていた。
金魚のフンのように付きまとってきてうるさい従僕のアンドリューはクローゼットの中に閉じ込めてきたからしばらくは出られないだろう。だが、あの変態のことだ。魔法陣か何かを使って抜け出してくる可能性がある。なにせ、仕立屋や医者を召喚しようとするほどだ。それを考えると、そう時間はないだろう。
屋敷は主人とその家族である僕らで生活する区画と、使用人たちが仕事をしたり生活する区画は明確に分けられている。小さな扉を開けば、細い通路が続いている。僕を目にしたランドリーメイドが、ギョッとしたように小さく悲鳴を上げた。
「わ、若君!」
「すまないが、厨房の場所を教えてもらえる?」
僕がきけば、彼女は気の毒なほどアワアワしながらも、僕を厨房に案内してくれた。
バンッと扉を開いて中に入れば、談笑していたキッチンメイドやコックたちがおしゃべりをやめてこっちを見る。ちょうど、休憩中だったようだ。目を見開いたコックが慌てて立ち上がり、「わ、若君!」と頭を下げる。メイドたちもバタバタと立ち上がり、頭を下げて壁際に移動しようとする。
「ああ、いいんだ。ちょっと確かめたいことがあっただけだから」
僕が片手を挙げて言うと、「た、確かめたい……ことでございますか?」とコックが恐る恐る僕を見る。
「まさか……朝食になにか問題が!?」
コックの言葉に、メイドたちも真っ青になって震えていた。お叱りを受けると思ったのだろう。
「違う、違う。朝食は大変おいしかったです」
そう言うと、彼らはバッと顔を見合わせていた。驚きと嬉しさを噛みしめたような表情だ。まさか、屋敷の若様がわざわざ厨房にやってきてお礼を言うとは思わなかったのだろう。
「いや、そんな畏まらないでほしいんだよね……」
なにせ、中身はただの一般人の清掃員だった男なんだから。生まれも育ちもお貴族様な青年とは違う。
「そのようなお褒めの言葉を若君から賜るとは……こ、光栄ですっ!!」
コックは帽子を握り締めながら涙ぐんでいる。クマみたいに大きな体格の男だ。
「ところで、できるだけたくさんカップとグラスを用意してもらえるかな?」
僕が頼むと、彼らは「は? グラスでございますか?」と訝しそうな顔をする。
何のために頼まれているのかわからなかったのだろう。
「ああ、どんなものでもいいよ。とりあえず、そうだな。そのテーブルに載るくらい?」
僕が指示すると、メイドたちが急いで棚からグラスやカップを運んできてくれた。
それを眺めてから、僕はグラスの一つに手を翳す。
「まずは……オレンジジュース」
小さく唱えると、空のグラスがわずかに光かってオレンジ色の液体が生じる。
周りで見ていたメイドやコックたちも、目を見開いて凝視している。驚きで口が半開きになっていた。
僕はグラスを取って匂いを嗅いでから、口に運ぶ。
「これは……間違いなくオレンジジュースだな……」
味も香りも、僕がよく飲んでいた果汁百パーセントのオレンジジュースだ。大変美味しい。
グラスを置いて、別の空のグラスに手を翳す。
林檎ジュースに、グァバジュース、炭酸ジュースに、アイスコーヒー。
グラスに次々と注いでいく。さらに、木のカップには温かい紅茶や、コーヒー。さらにはコーンスープに、オニオンスープと、イメージしたものを生じさせた。それから、「ふむ」と自分の手を見る。
僕がイメージできる液体なら、一通り魔法で再現できるってことか。
けれど、スープはもちろん具なしだ。具までは再現できないらしい。まあ、当たり前といえば当たり前だ。
「なるほど。これはなかなか便利かもしれないぞ……」
僕がブツブツ呟いていると、「あの、若君……これはいったい」とコックが恐れおののくように訊いてくる。
「ん? ああ、ちょっとした実験だよ。ここにあるもの、飲んでいいよ。お腹は壊さないと思うから」
「とんでもありません。坊ちゃんが魔法で生み出したものなど、我々のような者がいただくわけには!!」
コックは動揺のあまり、声が上ずっていた。しかも両膝まで床についている。
そんなとんでもないことだったんだろうか?
「えっ……まさか、魔法で生み出したものって、口にしたらマズいの?」
「いいえ、そのような。しかし魔法で生み出したものは高貴なものでございますから、我ら使用人が口にしてよいものではございません」
「だけど、捨てるのももったいないだろ? まあ、いらないなら適当に処分しておいてよ」
手をヒラヒラ振って、「邪魔したね」と厨房を出る。扉を閉めると、中から騒がしい声が聞こえてきた。どうやら、ジュースやスープの味見をしてみているらしい。ちょっとは喜んでもらえたようで、僕も嬉しくなる。
香りも味も問題なし。口にしても支障はないだろう。となれば、今度は飲み物以外の液体についての検証が必要だな。僕は急ぎ足で引き返し、庭へと出る。
庭師が薔薇園の手入れを行っている最中だった。今は春先なので、花も蕾だ。
「おや、坊ちゃん。また、水やりですかい?」
庭師の老人が作業の手を止めて、声をかけてくる。
「いいや、今日はちょっと散歩をね」
「そうですかい。今日は晴れてるんで、散歩も気持ちがいいですよ」
「ああ、そうだね」
適当に答えて、人工池のそばに作られた四阿に向かう。どれだけ広い屋敷なんだと、歩きながら思わず呆れた。庭だけでドーム何個分の広さになるだろうか。垣根で作られた迷路まであるのだ。これが貴族の屋敷では当然なのか、それとも侯爵家故なのか。
僕が水以外のものも生み出せるかもしれないと考えたのは、昨晩、部屋で一人水を発生させる実験をしていた時だった。思わず「熱いコーヒーでも飲みたいな」と呟いた途端に、バシャッとホットコーヒーが生じたものだから、「熱っつ!」と悲鳴を上げて跳び上がった。コーヒーを受け止めるカップなんて用意していなかったのだから、そうなるのも当然だ。
寝間着と絨毯を汚してしまったものの、自分がよく知っているものなら生み出せると判明したのはかなり大きな収穫だっただろう。
「だけど、紅茶やスープを魔法で生み出したなんて記憶は、クリストファー青年の記憶にはないぞ?」
そもそも、試してみようなんて考えに至らなかったからなのか。貴族の青年だから、飲みたければ使用人が運んできてくれる。わざわざ、魔法で生じさせる必要はない。
「この世界の常識がどうなってんのか、今ひとつわからんな……」
四阿のベンチに座り、腕と脚を組む。
あの使用人の反応からして、あり得ないことと思われているのは察せられた。ということは、人前ではあまりやらない方がいいのか?
自分の手を見つめる。
「飲み物でできたってことは……それ以外の液体も生み出せるってことか?」
呟いた時、ふと頭に浮かんできたのは家でいつも使っていた泡ハンドソープだ。その瞬間、ブワッと手から泡が湧き出す。
「うわあああっ――っ!」
悲鳴を上げて立ち上がると、手からボタボタと泡が垂れ落ちてくる。匂いを嗅いで見れば、馴染のあるフローラルの香りだ。
「だ、出せるのか……」
ということは、洗剤類は出せる可能性がある。
いや、想像するのは禁止な。うっかりすると溢れてきちゃうから。これはかなり難儀なことなんじゃないかという気がする。
「普通、魔法って呪文とか唱えて出せるもんだろ? なんで想像しただけで、生み出せんの? これ、やばくない!?」
これがクリストファー青年固有のスキルなのか、水の精霊神の加護を受けた人間なら可能なことなのか、その辺りもよくわからない。考え込んでいると、目の前の人工池の淀んだ水面にブクブクと泡が浮かんだ。「えっ、な、なに?」と後退りしていると、池の表面に魔法陣が浮かんで黒い禍々しい閃光を発する。
これは――っ!
慌てている間に、胸の前で腕をクロスしたアンドリューが水の中から浮かび上がる。
「うわあああっ、お前……どういうところから登場してくるんだよ!!」
腰を抜かして喚くと、魔法陣が消えると同時にアンドリューの体がドボンと池に落ちる。まあ、池の上に浮かんでいたら、当然そうなるだろう。ニュートンも頷くはずだ。
「若君……ひどいではありませんか……どうして、私をクローゼットになど閉じ込めるのですっ!! お仕置きですか!? お仕置きですね。若君からの熱い折檻なら望むところですっ!!」
溺れながら叫んでいるアンドリューを、見なかったことにして背を向ける。
「ああ、若君!! 待ってくださいませ。どちらにーっ!!」
「うるさい……お前のいないところだ」
あいつはこの世界でも常識の範囲の外にいそうだから、とりあえず無視しておこう。
僕のやるべきことは――この世界の常識を身につけることだ。
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