転生令息の王都美化計画は進まない。
春森千依
第1話 プロローグ~気付けば異世界でした~
「おい、ちょっと待って。どうなってんの――っ!?」
朝、目を覚ませば、知らない天井――ならぬ、天蓋付きのベッド。ガバッと起き上がった僕は、寝ぼけた頭を必死に働かせて現状把握しようと、自分の格好を確かめる。着ているのは超上質なシルクのナイトガウン。しかも、頭に手をやってみれば同じシルクのナイトキャップまでかぶっている。
「う、嘘だろ…………なんで、ナイトキャップ!? 人生、二十五年生きてきたけど、そんなもの一度もかぶったことないだろ!? どうしちゃったんだよ!?」
思わず声に出して震える手で脱いだナイトキャップをつかむ。その時になって、自分の声が自分のものでないことに気付いて喉に手をやった。
待て待て、僕はこんな美声じゃないぞ!? 男性にしては高めで、澄んだ声。「あー、あー、あいうえお~~っ!」と、発生してみたけれど、やっぱり僕の声じゃない。なにこの妹が好きな乙女ゲームに登場するイケメンキャラみたいな声!?
「こ、怖……っ!」
上掛けに両手をついて呟いた僕は、そうか、これは夢なんだ、と現実逃避を試みる。だとしたら、二度寝しよう。目が覚めたらいつもの、ボロアパートの畳の上のはず。って、のんびり寝ている場合じゃない。早く目を覚まさないと、仕事に遅れるだろっ!!
僕は清掃会社で働く、何の変哲もないごくごく普通の社会人だった。清掃の仕事はけっこう好きで、自分の身には合っていた。子どもの頃から、掃除と片づけは得意なほうだったから。ピカピカになれば、気持ちもすっきりして気持ちがいい。
職場はおばちゃんが多くて、嫌な上司もいない。わりとのんびりマイペースで働けて、給与もそこそこいいのだから働きやすい職場だっただろう。ただ、難しい仕事を頼まれることもある。高層ビルの窓拭きだ。けっこう風に煽られて揺れるし、足許を見ればすくみ上がりそうなほどの高さ。安全ベルトをしていても、怖いものは怖い。
昨日もビルの窓拭きを頼まれていて――。
僕はその時になって自分の身に起きたことを不意に思い出した。冷たい汗が流れ落ちて、顔が青くなったのがわかる。
そう、そうだった。僕は窓拭きをしていて、突然の突風に煽られ、転落したんだ。
ビルの五十階の高さから。その時の落下する感覚と自分の叫ぶ声が不意に蘇って体が震える。
そっか、落ちたんだ。ってことは、死んだのか?
死んだよな。あの高さから落下して生きていたら、超人か不死身だ。
自分がどうなったかなんてか考えたくもなくて、その先の思考を断ち切る。
「で、なんで……この状況? というか、ここどこ? この人、誰!?」
顔をペタペタと触ってみるけれど、鏡がないから自分の顔を確かめようがない。ただ、やけに細身な男だ。筋肉は一応、そこそこあるらしい。
にしても、生っ白い肌だな……。
日焼けとか全然していない。
部屋の中を見れば、まるで高級ホテルのような内装だった。いや、高級ホテルでも、ここまで豪華な調度品はない。天蓋付きベッドってなによ?
そんなもん、ラブホにしかないだろ!
いや、間違っても女の子と行ったわけではない。仕事で派遣されて、ラブホの清掃もやったことがあるというだけだ。『ラブ❤ハッピーキャッスルホテル』という名のホテルだったと思う。そのホテルの客室にあったのが、天蓋付きのベッドだった。ちなみに、風呂は泡風呂で、豪華な大理石だった。
いや、そんな情報は今、必要ない。
「まさか……ラブホに連れ込まれてしまったのか!?」
僕は髭の感触すらないツルツルの顎を撫でながら絶望的な呟きを漏らす。
いったい、誰と!?
お願いだ、女の子であってくれ!
ここが夢か天国なら、せめてそれくらいの願いは叶えてくれてもいいじゃないか。
「おはようございますっ、若君!!!」
いきなり部屋の扉が開いたものだからビクッとする。「うわあっ!」と思わず声を上げてベッドの枕元まで後退りすると、入ってきたのは銀髪ロンゲのメガネ男だった。
「ああっ、今日もなんと麗しきお姿……このアンドリュー=ワトキンスめは、眼福……いいえ、至高の喜びを感じております!!」
恍惚とした表情を浮かべて、恭しく入ってきたロンゲメガネは、気持ち悪いことをのたまいながらベッドに近付いてきた。
「ちょ、ちょっと、待て。アンドリュー=ワトキンス!」
たんま!と、僕は片手を出してそれ以上寄ってくるのを阻止する。
彼は「はい?」と、クビを傾げてピタッと足を止めた。見たところ、使用人みたいな黒の上着とズボンに、真っ白なシャツ。それに、リボンタイという格好。
「若君って……なに?」
恐る恐る尋ねると、彼は「若君とはまさに、あなた様のことでございます!」と胸に手をやって片膝を絨毯につく。ダメだ、こいつ。役に立たない!
「あー、うん、わかった。とにかく、着替えて準備したいんだけど」
「はいっ、承知いたしました! 今日はどのようなお召し物をご用意いたしましょう?」
アンドリュー=ワトキンスがパチンと指を鳴らすと、さっと同じ使用人の制服をきた若い男たちが部屋に入ってくる。隣の部屋はどうやら、クローゼットというか、衣装部屋になっているらしい。服を何着も運んできて、ズラッと並べてみせる。
その服は、妹が好きそうな乙女ゲームのイケメンが着そうな、ヒラヒラしたフリルのついた王子様服だ。フリルたっぷりのシルクのブラウスに、刺繍入りの上着とズボン。
「いやいや、もっと普通な服あるだろ!」」
「は? 普通の……服でございますか?」
アンドリュー・ワトキンスは困惑した顔を見せ、「なるほど、若君の美しさを引き立たせるお召し物はこれでは不足であると……大変、申し訳ございません。今すぐに、王都一の仕立屋を召喚いたします」と指をまたパチンと鳴らす。
その途端、絨毯に禍々しさを感じさせる黒い魔法陣が浮かび上がる。「は、はひっ!?」とびっくりしている間に、魔法陣から黒い閃光が放たれた。
いきなり、魔法!?
魔法世界!?
「おおおおおっ」という男の声と共に、まん丸な体型の中年男が現れる。魔法陣が消えると同時に、中年男は我に返ったようにキョロキョロし始めた。
「ここはいったい! ど、どうして、わしはこんなところに!?」
男は自分が急に召喚されたということに気付いていないようで、オロオロしている。しかも、朝食の途中で呼び出されたらしく、手には食べかけのパンを持っていて、髭には牛乳がついていた。
「王都一の仕立屋、ベック=ブラウンを召喚いたしました!!! さあ、なんなりとお命じくださいませ、若君!」
「いやいや、いきなり呼び出したら迷惑だろ。なにやってんだよ、お前は!!」
思わず常識的にツッコむと、アンドリュー=ワトキンスはいささか悲しげな顔をした後、「仕立屋をお召しになりたいのでは?」と聞いてくる。
「そんなわけないだろ! もういいから、とりあえず、その人を元の場所に戻してこいっ!! あー、すみません。手違いで呼び出しちゃって」
僕はポカンとしている仕立屋のベック・ブラウンさんに日本時代に身についたペコペコお辞儀で謝った。
「チッ、仕方ありませんね。おい、貴様。若君が戻ってよいと仰せだ。若君の恩情に感謝するのだな!」
高慢な口調で言い捨てると、アンドリュー・ワトキンスはまた指をパチンと鳴らす。その途端、また黒い光の魔法陣が浮かび上がり、「おわああああ~~」と悲鳴を上げるベック・ブラウン氏が吸い込まれていく。なんて、理不尽な魔法だ――。
「なにこれ、怖いっ!!」
僕はベッドの天蓋の支柱にしがみついて震えた。あの人、無事だよね?
地獄とかに送られていないよね!?
もしそうなら、気の毒過ぎる。とういか、この銀髪ロンゲメガネ、何者!?
魔法って、そんな誰でも簡単に使えたりするものなのか!?
それとも、この銀髪ロンゲメガネが異常なだけ? まさか、人の姿をした悪魔!?
ガクブルしている僕を他所に、アンドリュー=ワトキンスはにっこり微笑む。
「では、若君。今日のお召し物はいかがいたしましょう?」
「オ、オマカセシマス……」
余計なことを言えば、今度はなにが召喚されてくるかわかったものではない。なら、使用人たちが持っている王子衣装を着るほうがマシだ。多分、この世界?では、あの装いが普通なのだろう。
「おおおおっ、若君のお召し物を選ぶという栄誉に浴せるとは……幸甚の至り!!」
「ああそういうの、いいから……早くしてくれ」
「ははっ!! では、若君のシャツをお持ちしろ!!」
アンドリュー=ワトキンスが命令すると、使用人の男がスッと進み出て恭しくシルクのシャツを差し出す。その途端、「愚か者め!」と彼の張り手が飛んだ。吹っ飛ばされた使用人の男は、「申し訳ありません」と口から血を流しながら謝罪の言葉を口にする。
えっ、な、なに……?
なにが起きてるの? なんで、あの人、怒られてるの? というか、歯は大丈夫なのか? いま、めちゃくちゃ痛そうな音がしたけど。
「若君のシャツに皺がついているではないか!! 無礼者め。貴様のような己の使命も果たせぬ愚物は生きる価値もない。その小汚いシャツと共に燃やしてくれる!」
ビクビクしている使用人の男を、蔑むような目で睨み付けたアンドリュー=ワトキンスは彼が握り締めているシャツをグシャッと靴で踏みにじる。指を慣らそうとする仕草を見て、「ちょっと待ったーっ!」と慌てて止めに入った。
「若君! 大変申し訳ありません。躾けの行き届かぬ犬を若君の御前に出してしまいました。全ては、この私めの不徳のいたすところっ!!」
「いや、シャツの皺くらいで大げさな! その人、燃やすのやめてあげて!!」
目の前で人が丸焦げになるのを見るなんて、トラウマになりすぎる。
というか、皺だけで燃やされるとか、どんなブラックな職場なんだよ。
これ、普通なの!? この世界の普通!?
いや、違うよな。このアンドリュー=ワトキンスが異常なだけだ。絶対にそうだ。ほら、見ろ。他の使用人の男たちはみんなウサギちゃんみたいにかたまってプルプル震えてるじゃないか。
「やり過ぎなんだよ! というか、人のシャツ踏みにじっているお前の方が、十分無礼だからな!」
「若君が……シャツの皺くらい……と!?」
驚愕の表情を浮かべたアンドリュー=ワトキンスが、よろっと後ろに下がる。
「今まで、皺一でもあれば、『私に雑巾のような服を着ろと?』と眉を潜めておっしゃっていた若君が……シャツの皺くらい!?」
「えっ、僕って……そんなこと言ってたの!?」
他の使用人たちを見れば、みんなコクコクと頷いている。
アンドリュー=ワトキンスが異常なだけかと思ったら、主人らしい〝こいつ〟もおかしかったのか――っ!
「いったい、どうなさったのです、若君!? まさか、熱が……王都一の医師を今すぐに召喚……っ!!!」
また指を慣らそうとするアンドリュー=ワトキンスを、「しなくていい!」と慌てて止める。頭が痛い。だがそんなことを口にすれば、こいつは気の毒などこかの医師をあの悪魔っぽい魔法陣で召喚してくるだろう。
「で、ですが若君……今日はその……いつもと様子がおかわりに……」
「それは……つまり……なんていうか。ああ、そうだ。日頃の行いを悔い改めて、もう少し寛大になろうと思ったんだよ!」
「なんと!!! 侯爵家の跡取りとしての自覚がついにお目覚めになったのですね!! このアンドリュー=ワトキンス。歓喜のあまりに震えが……すぐさま、旦那様にご報告申し上げ、祝いの宴を準備いたしましょう!!」
「しなくていい……というか絶対にやめてくれ」
真顔になって止めた僕は、頭に手をやって溜息を吐いた。
服を着るだけでこれだけ大騒ぎしなきゃならないって、面倒くさっ!!
アンドリュー=ワトキンスが吟味した服は金の刺繍が入った豪奢な服だった。いったい、どこの舞踏会に着ていくのかというような代物だが、それでもこれが普段着らしい。
鏡を渡された僕は、ようやく自分の顔を確かめる。
そこに映っているのは前世の僕とは似ても似つかない金髪の青年だった。まさに、妹が好きな乙女ゲームのイケメンのような王子顔。細面で鼻筋が通り、少し冷たく見えるような碧色の瞳。右を向いても左を向いても絵画に描かれる人物のように様になる調った容姿だ。男にしては骨張っていないので、中性的?
「これが……僕の顔?」
思わずこぼすと、「はいっ! 本日もまるで女神の化身の如き麗しさにございます!!」と、アンドリュー=ワトキンスがまるで祈りを捧げるようなスタイルで賛美してくる。こいつが狂信者のような目をして見てくる理由が、ほんの少し理解できた気がした。
確かに、これは――美形だ。
というか、美しすぎないか? こんな人間いる!?
二次元世界から飛び出してきたような容姿だ。
なんでビルから転落したら、こんな美青年になってんだよ。
わけがわからん――。
わからんが、とりあえず生きているのは確かだ。
難しいことを考えるのは後にして、空腹を満たすことにした。
そして、わかったことがある。この美青年が住んでいる屋敷というのが、宮殿かと見まがうほどの豪邸で、どうやら彼は貴族の子息だったらしいということ。
その名前は、クリストファー・ルーベルト。レイクシーウェル連合王国のルーベルト侯爵家が彼の生まれた家だ。
彼はどうやら、この国で〝水の妖精神の化身〟と呼ばれるほど、美形で有名な青年だったらしい――。
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