プロジェクト彼氏

kou

第1話 量産型男子の劇的ビフォーアフター

 工藤くどう健太けんたは、自宅の洗面台に映る自分の姿を横目で確認し、満足げに口角を上げた。

 そこに映っているのは、一年前の、その他大勢に埋もれていた自分ではない。無造作なようで計算された長めのパーマヘアが額にかかり、黒を基調としたモードなシャツが、高校生離れしたアンニュイな雰囲気を醸し出している──と、健太自身は信じている。

(悪くない。いや、かなりイケてる)

 彼は心の中で自画自賛した。

 高校二年生の春。

 健太は、この一年で劇的な進化を遂げた。

 以前は親がスーパーで買ってくる英字プリントのTシャツを着て、クラスで流行っているJ-POPをなんとなく聴き、ファミレスではハンバーグ定食しか頼まない、そんな『量産型男子高校生』だった。

 だが、ある日突然、雷に打たれたように目覚めたのだ。

 『本物』への志向に。

 きっかけは些細なことだった。

 ふと耳にした古い洋楽のレコード、古着屋の店先で見かけた一着のジャケット、たまたま入ったカレー屋の香り。それらが健太の眠っていた感性を呼び覚ました。

 彼は自分で情報を掘り、自分で選び、自分だけのスタイルを確立していった。

 『個性』という名の武器を手に入れた今、健太の世界は以前とは違って見えている。

 そして何より、この成長がもたらした最大の報酬が、右隣の席に座る彼女──綾小路あやのこうじしおりとの関係だった。

「健太くん、そのシャツ、素敵ね。襟のカッティングが絶妙だわ」

 鈴を転がすような声が、健太の耳をくすぐる。

 栞は、クラスの誰もが認める高嶺の花だ。

 腰まで届く艶やかな黒髪、透き通るような白い肌。

 そしてどこか浮世離れした深窓の令嬢のような佇まい。男子たちは遠巻きに眺めるだけで、気軽に話しかけることすら躊躇う存在。

 だが、健太は違った。

 スマホの画面を、彼女を見せる。

 以前は、することの無かった私服の自撮り画面だ。

「ありがとう、綾小路さん。これ、この前見つけた古着屋で買ったんだ。80年代のデッドストックらしくてさ」

 健太は、少し気怠げなポーズで髪をかき上げながら答えた。この仕草も、鏡の前で何度も練習した、アンニュイな男の演出だ。

「やっぱり。健太くんの選ぶものって、どこか物語がある感じがするのよね。ただの流行りとは違う、芯の強さというか」

 栞は長い睫毛を伏せ、うっとりとした表情で健太を見つめる。

 その視線に、健太の胸が高鳴った。

 彼女だけだ。自分の『こだわり』を、こんなにも深く理解してくれるのは。

 昼休み。

 教室の喧騒をBGMに、二人はいつものように昼食をとっていた。

 周りの生徒たちがコンビニのおにぎりや購買のパンを頬張る中、健太が取り出したのは、保温ジャーに入った手作りのスパイスカレーだ。

「いい香りね」

 栞は興味を示す。

「今日はポークビンダルーにしてみたんだ。酸味と辛味のバランスにこだわってさ」

 蓋を開けた瞬間、クミンとコリアンダー、そして鼻を抜けるビネガーの香りが立ち上る。

 普通なら「くさい」と言われかねない強烈な香りだが、栞の反応は違った。

「素敵な香り。カルダモンの清涼感もしっかり効いているわね」

 彼女は目を輝かせ、自身のお弁当箱を広げた。そこには、健太のものと驚くほど似通った色合いの、本格的なキーマカレーが詰められていた。

「奇遇ね。私も今日はスパイスカレーなの。カスリメティを少し多めに入れてみたのだけれど」

「マジで? カスリメティって、あのバターチキンとかに入れる葉っぱだろ? 通だなぁ」

 健太は興奮気味に身を乗り出した。

 食の好みだけではない。

 先週、健太が「最近、80年代のUKロックにハマっててさ。特にThe Smithsのモリッシーの歌詞が深くて……」と語り出した時も、栞は「奇遇ね、私も大好きなの。あの陰鬱な美学、健太くんになら分かると思ってたわ」と微笑んだ。

 また別の日、健太が昭和歌謡のレコードを探していると言えば、彼女もまた中森明菜の良さについて熱く語り合った。

 こんな偶然があるだろうか。

 いや、これは偶然ではない。

 運命だ。

 健太はスプーンでカレーを口に運びながら、確信を深めていた。

 彼が自分らしさを磨き、量産型の殻を破ったからこそ、同じ高みにある感性を持つ彼女と波長が合ったのだ。

 もし自分があのままのダサい高校生だったら、綾小路さんと話すことさえ叶わなかっただろう。

 自分の選択は間違っていなかった。

 このパーマも、この服も、この趣味も。すべては彼女という運命の相手に出会うための布石だったのだ。

「ねえ、健太くん」

 栞がカレーを食べ終え、紙ナプキンで口元を上品に拭いながら言った。

「今度の日曜日、駅前のミニシアターで、フランスのヌーヴェルヴァーグ映画の特集上映があるの。もしよかったら、一緒に行かない?」

 健太の心臓が早鐘を打つ。

 ヌーヴェルヴァーグ。

 またしても、最近健太が興味を持ち始めていたジャンルだ。まだ詳しくはないが、ゴダールやトリュフォーといった名前をネットで検索していたところだった。

「もちろん! 俺も気になってたんだ。……っていうか、綾小路さんとは本当に気が合うよな」

 健太が照れ隠しに笑うと、栞はふわりと花が咲くような笑みを返した。

 その瞳の奥には、どこか底知れない、熱っぽい光が宿っていたが、有頂天になっている健太がそれに気づくはずもなかった。

「ええ、本当に。まるで……最初からこうなることが決まっていたみたい」

 栞はそっと自分の髪を耳にかけた。

 それを見た健太は、無意識のうちに自分の前髪に手をやり、同じように耳にかける仕草をした。まるで鏡写しのように。

「楽しみにしてるよ」

「私も。日曜日は、健太くんに一番似合う服で来てね。……黒のタートルネックなんて、きっと素敵だと思うわ」

「あ、それ持ってる! ちょうど着ていこうと思ってたんだ」

「ふふ、やっぱり。私たちは心が通じ合っているのね」

 栞は満足げに微笑んだ。

 健太は幸せを噛み締めながら、スパイスの効いたカレーを飲み込んだ。

 教室の窓から吹き込む風が、二人の髪を揺らした。

 健太の前髪が揺れるタイミングさえも、栞の好みであるかのように。


(続く)

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