0019.恩を返したい

 



 夜は、そのあとも長かった。


 ボスイノシシが森に消えたあと、

 穏やかな声のゴードンじいさんの

  「もう寝てもええじゃろ」という提案を、

 俺とカルドはやんわり却下した。


「……念のため、見張りは続ける」


「そうだな。油断はできない。

 あいつ、戻ってくるかもしれないし」


「ホッホッホ、ありがたいことじゃわい。

 しかし、用心深いのはええことじゃが、

 お前さんらも休まんと──」


「交代でやるから大丈夫だ」


 カルドはそう言って、

 いつもよりほんの少しだけ声に力を込めた。


 結局、俺たちは夜明けまで、

 交代で畑の周りを見張り続けた。


 だが、そんな俺達の試みも虚しく、

 ボスイノシシが戻ってくることはなかった。


 


 日が昇り、空気が冷たい夜の色から、

 少しずつ透明な青に変わっていく。

 畑にも、家にも、俺達のこの世界に

 ようやく“日常”が戻ってきた気配がした。


 セリアが用意してくれた朝食は、

 焼きたてのパンに、野菜と卵を炒めたもの。

 それから温かいスープだった。


「脚の具合はどうですか?」


 席についた俺の右足を、

 セリアが心配そうに見てくる。


「もう問題なさそうだ。昨日の癒やしが効いてる」


 そう言うと、不安そうにしていた、

 セリアの表情がぱっと明るくなった。


「……ありがとうございます」


「いや、俺のほうこそありがとうだって」


 まっすぐに礼を言うと、

 セリアは胸の前で両手をぎゅっと握って、

 小さくニコリと笑った。


「ホッホッホ」


 その様子をゴードンじいさんが、

 パンをかじりながらニヤニヤと見てくる。


「セリアはの、人の役に立てるのが

 何より嬉しい子なんじゃよ。

 こういうときは一日中ご機嫌じゃ!

 ホッホッホ!」


「もう、おじいちゃん!

 余計なこと言わないでください!」


 セリアが頬を赤くして抗議する。

 ……が、その目はやっぱり嬉しそうだった。


「ホッホッホ、怒ったふりはうまいがのぅ」


「本当に怒りますよ?」


 言いながらも、笑っている。

 こういう空気は見ているだけで少し救われる。



 朝食がひと段落したところで、

 俺は本題を切り出した。


「ゴードンさん。イノシシの件。

 まだ“終わってない”ってことでいいか?」


「ふむぅ……」


 じいさんは顎ひげを撫でる。


「畑を荒らしておった原因が

 あのイノシシ一頭だけならもう来ぬ。

 じゃが、ワシはそう楽観もできん。

 ホッホッホ」


「だろうな」


 カルドが頷く。


「群れで動いていた以上、

 あのボスを放っておけば、

 またどこかで被害を出す可能性が高い」


「ってわけで」


 俺は自分の右足を軽く叩きながら言った。


「脚はまだ本調子じゃないけど、

 一応、討伐依頼としては、やっぱ

 “ボス退治”までやらないと……。

 終わりじゃないと思うんだよな」


「……帰らずに、もう一日。

 ここに残る。それでいいのか?」


「そういうこと」


 カルドを見ると、静かに目をつむり

 彼は一拍だけ考えてから、あっさり言った。


「それがいい」


「ですよねー」


「ギルドも、そのほうが助かるだろう。

 “原因は逃走したが、畑は守りました”より

 “原因を排除しました”のほうが、話は早い」


「そうそう。ほら、カルドもこう言ってる」


 俺が少しふざけた調子で言うと、

 セリアはパチパチと目を瞬いた。


「そ、そんな……怪我もしましたし、

 そこまでしていただかなくても……」


「いいんだよ。こっちの仕事だから」


 俺は肩をすくめる。


「それに、昨日治療してもらった礼も。

 俺はちゃんと仕事で返したいからな」


 セリアが、もう一度、小さく息を吸った。


「……ありがとうございます。本当に」


 その声は、昨日よりも少しだけ、

 温かい声で、胸の奥に響いた。


 


「よし、じゃあ決まりじゃな!」


 ゴードンじいさんが、

 パンくずを払って立ち上がる。


「ワシは畑のほうを見てくるとしよう!

 昨夜は被害が出んかったからの!

 久々に心臓にええ朝じゃ。ホッホッホ!」


 ご機嫌な笑い声を響かせながら、

 じいさんは鍬を担いで外へ出て行った。


「張り切ってますね」


 セリアが苦笑した。

 俺とカルドも、つられて笑った。 


 ゴードンじいさんが畑に向かったあと、

 リビングには俺たち三人だけが残った。


 食器を片づけるセリアの手元を眺めながら、

 昨日の爺さんたちとの話をふと思い出す。


(そういえば)


 昨日の夕食の光景が、脳裏によみがえる。


 セリアが、子供の頃は

 冒険者になりたかったって話。


 あのときの顔、完全にキラキラしてたよな。

 気づけば、口が勝手に動いていた。


「なぁ、セリア。今でも本当は……

 冒険者になりたかったりしないのか?」


「……おい」


 隣で、カルドが小さく低い声を出した。


「お前、空気読め」


「読んだから聞いてるんだって」


 即答で返す。

 俺としては、かなり真面目に“読んだ結果”だ。

 ……えっ、また間違えてる??


 セリアは一瞬、驚いたように

 目を瞬かせてから、ふっと微笑んだ。


「……そうですね」


 食器を置き、エプロンの裾を握りしめる。


「なりたいか、なりたくないかで言えば

 ──なりたかったです。今でも。

 冒険者の話を聞くと胸が少しだけ騒ぎます」


 その声は、思ったよりも素直で、

 思ったよりも切なかった。


「でも……」


 セリアは、窓の外を見た。


 畑で元気そうに鍬を振るう

 ゴードンじいさんの背中が、小さく見える。


「おじいちゃんを、一人にはできません」


 ぽつりと落ちた言葉は、

 とても軽くて、とても重い。


「私を拾って、育ててくれて、

 ここまで大きくしてくれました。

 おじいちゃんとは血は繋がっていなくても、

 私にとってはたった一人の家族です」


 静かにそう言ったセリアの表情は、

 不思議なくらい晴れやかだった。


「恩を返したいんです。

 冒険者になることよりも、今はずっと」


 俺もカルドも、その言葉に対して、

 軽い冗談を挟むことができなかった。


 “立派だな”とか、“すごいな”とか、

 そういう陳腐な言葉は浮かんだのに、

 言葉にしようとすると、喉を通らない。


「……そうか」


 ようやく絞り出したのはそれだけだった。


 セリアは「はい」と頷いて少しだけ笑う。

 その笑顔を見て、俺は思う。


(俺には絶対、こんなふうに笑えないな)


 自分の足で穴を抜けて、

 自分の足でダンジョンに向かうことしか

 考えていない俺が、何を言える。


 口を閉じて、黙って。

 その背中を見ていた、そのときだった。 


 空気が、変わる。

 窓から入り込む風が、一瞬だけ“詰まる”。


 外から聞こえていた風の音と鳥の声、

 そのバランスが不自然に崩れる。


(……嫌な匂い)


 胸の奥が、ぞわりと逆立った。


 昨日と同じ種類の“圧”だ。


 ただし、夜の静けさではなく、

 昼の光の中で膨れ上がる重さ。


「……来た」


 考えるよりも先に、

 俺は椅子を蹴って立ち上がっていた。


「ヴェルさん!?」


「おいっ──」


 セリアとカルドの声を背中で聞きながら、

 俺はほとんど反射で玄関に向かって走る。


 右足にまだ鈍い痛みは残っている。

 それでも構わない。


 扉を開け放ち、外に飛び出す。


 視界の端で、畑と、森と。

 土の道が一枚の地図のように重なった。


 ゴードンじいさんは今も、

 畑の真ん中で鍬を振り上げている。


 その正面。


 森の縁を破るようにして、

 巨大な影が土煙を上げて突進してきていた。


 ボスイノシシ。


 昨夜と同じ、いや、怒りで

 さらに膨れ上がった気配を纏う。


 そして、俺が目にしたのは

 まっすぐにじいさんへ突っ込んでいく

 悲劇の瞬間の、始まりだった。

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