0018.ボス戦:イノシシ

 


 森の縁から伸びてくる足音が、

 静かに、そしてはっきりしてきた。


 一つ、じゃない。


(……あれ?)


 重さの違う振動が、いくつも混じっている。

 地面のたわみ方、草の揺れ方、風の裂け方。


 一拍ごとに、その数が輪郭を持っていく。


(デカいのが一頭……その後ろ。

 少し軽いのが五つ……六頭かよ)


 思ったより、ずっと多い。


「カルド」


 俺は小声で呼びかけた。


「一頭じゃない。でかいのが先頭、

 その後ろに五頭。全部イノシシだ」


「六頭か。厄介だな」


 カルドが大剣の柄を握り直す。


「先頭がボスだ。後ろのは少し小さい。

 けど、突っ込まれたら終わりなのは

 どっちも同じだ。油断はできない」


「分かった。まずは先頭を受ける」


 言葉を交わす間にも、気配は近づいてくる。


 やがて、闇を割って“それ”が姿を現した。


 月明かりに照らされた巨大な影。


 人間の胴体ほどもある頭、

 土をえぐる太い脚、曲がった二本の牙。


「……デカっ」


 思わず口から漏れた。


 イノシシは低く唸り、

 柵の壊れかけた場所に鼻先を向ける。


 後ろには、少し小さいイノシシが五頭。

 隊列を組むように間隔を保っている。


「セリア、下がってろ。俺とカルドの後ろだ」


「は、はいっ……!」


 セリアの足音が、一歩、二歩と後ろに下がる。


 次の瞬間、先頭のイノシシが地面を蹴った。


 土が跳ね上がり、空気が押し寄せる。

 一直線。狙いは柵の切れ目、その先の畝。


「カルド、右三歩!」


 俺は反射的に叫んでいた。


 カルドが言葉より早く動く。

 突進の軌道からわずかに外れ、

 横合いから大剣を振り下ろす。


 重い金属音。


 刃は分厚い肩の肉をえぐり、

 火花を散らしながら弾かれた。


「硬いな」


 カルドが短く呟く。

 それでも勢いは削がれた。


 わずかに軌道が逸れ、

 イノシシは畝の端を抉って止まる。


 後ろの五頭が慌てて進路を

 変えようとした瞬間。


「後ろ二頭、左にずれてる!

 カルド、半歩下がって、今!」


 俺の声に合わせてカルドが位置を変える。


 突進しかできない獣は、

 互いの動きに対応しきれない。


 先頭のイノシシを避けようとした二頭が、

 狭い柵の隙間でぶつかり合い、

 そのまま横倒しになった。


 柵が割れ、木片が飛び散る。


「今だ!」


 カルドが倒れ込んだ一頭の首元に

 大剣を突き立てた。鈍い悲鳴。


「もう一頭、起き上がる前に!」


 俺は位置を読み、カルドを誘導する。


「右、一歩! そこだ!」


 振りかぶったカルドの刃が、

 もがきながら立ち上がろうとしたイノシシの

 前脚を斬り落としゴトリと音を立て、

 体勢を崩したところに追撃が入る。


 二頭が動かなくなった。


 だが、残りは四頭。


 先頭のボスが、怒りに鼻を鳴らし

 カルドに向き直る。

 その脇を、二頭が左右から抜けていく。


(やべ──)


「右側の一頭、セリアの方へ!」


 俺の声が先か、土を蹴る音が先か。


 小さめのイノシシが、

 柵の隙間をすり抜けるようにして、

 セリアのほうへ突っ込んでいく。


 セリアの呼吸が止まる気配が伝わってきた。


(間に合え──!)


 考えるより先に、身体が走り出していた。


「セリア、伏せろ!!」


 叫びながら俺は横からセリアに体当たりする。


「きゃ──っ!」


 セリアの身体が転がり、

 地面に伏せるのが視界の端に見えた。


 次の瞬間、右足に凄まじい衝撃が走る。


「っっつ……!!」


 骨の奥が、ぐしゃりと鳴った気がした。

 視界がチカチカする。


 イノシシの体当たりを右脚で受けたらしい。

 身体ごと吹き飛ばされ、地面を転がる。


(折れては……ない、はず……

 でも、ヒビは入ったなこれ……ッ)


 足に力が入らない。

 立ち上がろうとした瞬間、膝が抜ける。


 小柄なイノシシが、再び鼻先を向ける。

 今度は“とどめ”を刺すつもりだ。


 土を掻く音。


 真正面から受ければ終わりだ。

 かわしても、足が動かない。


(……だったら、こっちからぶつけてやる)


 俺は、痛む足を引きずりながら、

 近くの木まで必死に這った。


 太い幹。

 硬い地面。

 距離、角度、突進の勢い。


 全部、頭の中で組み合わせる。


「はぁ、はぁ……よし」


 木の幹の前、少し斜めに身体をずらし、

 片手剣の柄の後ろを幹に押し当て、

 簡単な“受け”を作る。


 迫ってくる気配。

 空気が震える。


「来い……!」


 イノシシが低く吠え、

 一直線に突っ込んできた。


 次の瞬間、鈍い衝撃とともに、

 剣が何か硬いものを貫いた感触が

 ジワリと手に伝わる。


 イノシシの体重と突進の力が、

 剣を押し込み、幹で止まる。


 血の匂いが、どっとあたりに広がった。


「っ……!」


 顔や服に、温かい飛沫がかかる。

 それでも、さっきの衝撃よりはマシだ。


 イノシシの身体が大きく痙攣し、

 その場に崩れ落ちる。


「ヴェルさん!!」


 セリアの声がして、

 そばに駆け寄ってくる足音がした。


「足が……!」


「ヒビだ。多分、完全には折れてない

 ……けど、まぁ、派手にやられたな」


 セリアに自分で言いながら、

 笑える状況じゃないのは分かっている。


 セリアの手が、震えながらも俺の脚に触れた。


「すぐ癒やしの術を……っ」


 小さな声で、短い祈りの言葉を紡ぐ。

 セリアの手のひらから広がっていく、

 じんわりと暖かいものが流れ込んできた。


 痛みが、少しずつ薄れていく。

 骨の軋みが、鈍い重さに変わる。


(……すげぇ。ちゃんと効いてる)


「怪我はこれで大丈夫です。

 ただ、生命力を高めただけなので、

 その分疲労は重なります。

 今日は、無理に走らないでください!」


「ああ。助かった」


 息を整えながら答える。


 視線を畑のほうに戻すと、

 カルドの姿が見えた。


 大剣を振るい、一頭、また一頭と。

 次々と小柄なイノシシを切り伏せていく。

 残っているのは巨大なボスだけだった。


 ボスのイノシシがフンスフンスと

 周囲を見回すように鼻を鳴らす。


 地面に横たわる同族の匂いを嗅ぎ、

 低い唸り声を上げつつ目を細めた。


 カルドが構えを崩さず、じっと睨み返す。


 ……しばらく、重い沈黙が続いた。


 やがて、ボスは鼻を鳴らし、

 ぐるりと方向を変えた。


 森のほうへ。

 重い足音が、少しずつ遠ざかっていく。


(退いた……?)


 今すぐにあのイノシシを追えば、

 もしかしたら仕留められるかもしれない。


 けど、俺の足の状態と、

 セリアのことを考えれば、ここが引き際だ。


 カルドもそれが分かっているのか、

 大剣を下ろし、深く息を吐いた。


「……ふぅ」


 冷たい風が一度だけ強く吹き、

 畑の上を撫でていった。


 倒れた三頭の小さなイノシシ。

 血に汚れた土。

 壊れた柵。


 けれど、畑はまだ立っている。

 セリアも、ゴードンじいさんも無事だ。


「……勝った、でいいよな」


 思わずそう呟くと、セリアが涙目で笑った。


「はい。十分すぎるくらい、です……!」


 遠くで、ゴードンじいさんが

 ランプを掲げて笑っている。


「ホッホッホ!

 やるではないか、お前さんら!」


 夜の畑に、じいさんの声が響いた。



 俺は血と汗にまみれたまま、空を見上げる。

 星が、さっきよりも少しだけ近くに見えた。



 

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