0009.青

 


 ゴブリンたちの息が完全に途切れる。

 俺たちはようやく力を抜いた。


「……生きてる、よな、俺たち」


 シンが笑いながら言う。

 笑ってはいるが、膝がわずかに震えている。


「生きてる。ラグアスも」


「は、はい……っ!」


 ラグアスは目尻を赤くしながらも、

 何度もしっかりと頷いた。


 安心したようにカルドは短く息を吐き、

 足元のゴブリンリーダーを見下ろす。


「こいつらの武器、使えるものは拾っておくぞ。

 丸腰で迷宮歩く阿呆はいない」


「賛成だな」


 俺たちはツルハシを片手に、

 転がる武器を選別していった。


 リーダーが握っていた棍棒は重く、

 鉄片も粗すぎて扱いづらい。


 だが、ゴブリンたちの石槍の中には、

 柄がまだしっかりしているものがある。


「ラグアス、これ一本持っておけ。

 先は潰れてるが、突く分には使える」


「ありがとうございます!」


「俺はこっちだな。軽い方が動きやすいし」


 シンは最も細身の槍を選び、

 くるりと一度回してみせ笑っている。


 カルドは結局、ツルハシ一本で行くらしい。

 柄を握り直すだけで終わりだ。


 俺もまだツルハシを手放す気にはなれない。

 ただ、腰に短い石刃を一本差し込んだ。

 予備は多い方がいい。

 


「さて──」


 広間の奥に視線を向ける。


 さっきからずっと、

 空気の細い筋が伸びているのが分かっていた。

 風がゆっくりと吸い込まれている方向。

 上でも下でもない、“外”へと抜ける匂い。


「この先に、上へ続く通路がある。

 ここはまだ、この迷宮の“中層”みたいな場所だ」


「外に繋がってる可能性は?」


「ゼロじゃない。

 むしろ、今までの坑道よりは期待できる」


 カルドが短く頷いた。


「なら、進む価値はある」


 


 リーダーのいた場所の奥、

 岩の隙間を抜けてさらに下ると、

 やがて道は緩やかな上りに変わった。


 足が重い。


 戦闘の疲れがじわじわと膝に溜まっている。

 それでも、一歩一歩踏みしめるたびに、

 身体の中に別のものが満ちていくのを感じた。


(……俺たち、ちゃんと戦って、勝てたんだよな)


 奴隷になってからの十年。


 殴られることはあっても、

 殴り返す機会なんてなかった。

 抵抗すれば、その場で潰される。

 そういう場所だった。


 今は違う。

 殴り返す力を持たない奴から消えていく。


 だからこそ、さっきの一戦で生き残れたことが、

 そのまま “生きて行けるかもしれない” という

 確かな実感につながっていた。


 


「ヴェル、前方」


「見えてる。三体」


 まただ。

 狭い通路の先、小さな空間の中に三つの塊。

 さっきより数は少ないが、動きは速い。


「左右に散って、一気に詰めてくる。

 狭いから一列で来ると思う」


「なら、先頭を崩せば後ろも巻き込めるな」


 カルドの声は、さっきより少しだけ余裕がある。


「僕、さっきよりちゃんと動ける気がします!」


 ラグアスの目に、ほんの少し

 今までより光が宿っていた。

 

 通路の出口を目前にして、

 俺たちは短く呼吸を合わせる。


「カルドが一歩前。俺が斜め後ろ。

 シン、ラグアスはすぐ後ろで、

 隙ができたところを突け」


「了解」


「任された」


「頑張ります!」


 合図も声掛けも最小限に、

 俺たちは一斉に飛び出した。


 やはり、いた。


 通路と同じ幅の小さな空間に、

 ゴブリンが三体。石槍を構え、

 静かにこちらを待っていた。


 だが、待っていたのは向こうだけじゃない。


「来るぞ、真ん中」


 空気が押し出される瞬間、カルドが踏み込み、

 ツルハシの柄で槍を絡めて横へ弾く。

 先頭のゴブリンの身体がわずかに傾いた。


 その肩口を、俺のツルハシが叩く。

 重さを乗せた一撃が骨を揺らし、

 ゴブリンがうめき声ごと床に崩れた。


 残り二体が左右から一歩踏み出した、その一拍。


「ラグアス、右!」


「はいっ!」


 声に合わせて、ラグアスが足を前に出す。

 槍の先が、右のゴブリンの腹をかすめた。

 深くは刺さっていないが、動きが一瞬止まる。


 その隙をシンが逃さない。

 低く滑り込み、槍で足首を払う。

 転がったところへ、カルドが追撃を叩き込んだ。


 左の一体は、俺に向かって槍を突き出してきた。


 突き出される刃が迫る瞬間、

 通路の“壁”が後ろにある感覚が浮かぶ。

 下がれば背中を刺される。なら、横へ。


 足元の石の段差を踏み台に、

 半歩だけ身体をずらす。

 ゴブリンの槍が空を切った。


 空振りで前に出た肩の上から、

 思い切りツルハシを振り下ろす。

 重みが、骨と筋肉をまとめて砕いた。


 三体の気配が、ほぼ同時に沈む。


 さっきよりも早く、短く、決着がついた。


 


「……おお」


 ラグアスが目を丸くしていた。


「さっきより怖くなかったです」


「慣れるな。恐怖は大事だ。

 怖いものを怖いと思えなくなったら次で死ぬ」


 カルドの忠告はもっともだ。

 でも、少し軽い声で言っているのは分かった。


「でもまあ──」


 シンが笑う。


「ずっとツルハシだけ振ってた連中が、

 いきなりそれなりに戦えるってのが、

 正直、一番の驚きだけどな」


「十年分の筋トレと、

 十年分の暇つぶしの成果だな」


 自分で言っておきながら、妙な実感が湧く。


 


 その後も、こまごまとした交戦は続いた。


 四体のゴブリンの群れ。

 狭い踊り場に潜んでいた一体。

 落とし穴と、矢が飛び出す壁。


 そのたびに、俺の感覚は少しずつ冴えていく。


 一歩足を出す前にそこにある“穴”が分かる。

 矢が飛ぶ前に、壁の中の空洞が教えてくる。

 ゴブリンが息を殺している位置が、

 空気の死角として浮かび上がる。


 俺が「嫌な感じがする」と言えば、

 三人はすぐに足を止める。

 

 俺が「ここを越えろ」と言えば、

 迷いなく三人は踏み込む。


 坑道では、逃げ場がなくて歯噛みした感覚が、

 ここでは道を切り開く工具になっていた。


 


 どれくらい歩いただろう。


 上り坂が長く続いたあと、

 突然、空気の質が変わった。


 湿り気が薄くなる。

 息を吸ったときの冷たさが違う。

 風が、一定の方向ではなく、

 あちこちから揺れている。


(……これは)


 俺は思わず足を止めた。


「ヴェル?」


「もうすぐだ。上だ。広い場所に出る」


 言いながら、自分の心臓が速く打つのを感じる。


 最後の階段を上がった。

 粗い岩を足場にして、身体を押し上げる。


 通路の終わり、狭い穴を抜けた瞬間──


 視界が、開けた。


 


 青。


 最初に飛び込んできたのは、

 昔目にしていた、単純なその色だった。


 鉱山の薄暗い灯りでも、

 迷宮のぼんやりした光でもない。

 高い、高い場所から降り注ぐ、

 果てのない青。


 頬に当たる風が柔らかくて、乾いている。


 遠くで鳥の鳴き声がした。

 木々のざわめき。土の匂い。


「……外だ」


 思わず口から漏れた声は、ひどく小さかった。


 荒れた岩山の斜面。

 足元には短く、名前も知らない草が生え、

 ところどころに低木が根を張っている。

 振り返れば暗い穴がぽっかりと口を開けていた。


 カルドがゆっくりと空を見上げる。

 シンは目を細めて、眩しそうに笑った。

 ラグアスはその場で膝をつき、

 ぽろぽろと涙をこぼす。


「……本当に、出られたんですね」


「ああ」


 十年分の石と土の感触しか知らなかった手に、

 柔らかい風の匂いが肺の奥いっぱいに満ちた。


(ここがどこの国で、

 どの辺りかなんて分からないけど)


 それでも確かなのは、ひとつ。


 あの鉱山の穴からは、もう離れたということだ。


「ヴェル」


 カルドが俺の名を呼ぶ。


「これからどうするか、決めないとな」


「……そうだな」


 迷宮の中では、

 空間の形だけを見ていればよかった。

 

 だが、ここから先。

 もっとややこしいものを見る必要があるだろう。


 けれど、不思議と足はすくまなかった。


「まずは、水場と、人のいる場所を探そう。

 この空気なら、そう遠くないところに……」


 言いかけて、かすかな風の違いに気づく。


 南の方角。木々の間を抜ける風の中に、

 薄い煙の匂い。火と、煮炊きの匂い。


「……あっちだ。人がいる」


 俺が指さすと、シンが肩をすくめた。


「穴で育った野生児の鼻と勘、

 頼りにするしかねぇか」


「今さら他の選択肢、ないですからね」


 ラグアスが笑った。

 まだ不安は残っているはずだが、

 それでも前を向いている。


 カルドは空を一度だけ見上げてから、

 黙って歩き出した。


 俺たちはそれに続く。


 十年分の暗闇を背にして、

 まだ何も知らない空の下へと。



 

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