0007.初めてのダンジョンへ

  


 穴を抜けた瞬間、まず“音”が変わった。


 さっきまでいた鉱山の坑道は、狭くて低くて、

 ツルハシの一振りごとに音がすぐ返ってきた。


 だが、ここは違う。

 コツンと足音を一つ鳴らすだけで、

 響きが遠くへ転がっていく。


(……広い)


 暗くてよく見えないくせに、

 空間だけはやたら大きいのが分かる。


 俺達は持ってきたランタンであたりを照らす。


 天井は高い。壁も遠い。

 音が伸びて、薄くなってから消える。


 鉱山の匂いに慣れた鼻に、

 別種の湿り気がまとわりついた。


「……すげぇな。こんな穴が地下に隠れてたとは」


 遅れてきたシンが小声でつぶやく。

 カルドは口を閉ざしたままツルハシを握り直し、

 ラグアスは俺のすぐ後ろで固く息を殺している。


 俺達が持つ武器と言えるのは、

 十年付き合ってきたこのツルハシだけだ。

 それでも、素手よりは百倍マシだ。


「しばらくはゆっくり進む。声も小さくな」


 俺はそう言って、一歩ずつ前へ出た。


 

 足裏に伝わるのは硬い岩と、

 ところどころに散った細かい砂利。

 ここは鉱山よりも床の凹凸が少なく、

 自然の穴に人の手が少し入ったような感触だ。


(まっすぐ。少し先で、左右に分かれる)


 響き方と、空気の分かれ方で、

 自然に通路の形が頭に浮かぶ。


 十年、穴の形ばかり見てきた結果で、

 こういうのはもう呼吸みたいなものだ。


 やがて、空気の“流れ目”にぶつかる。


「この先で二手に分かれてる。左と右だ」


 目にはぼんやりと黒い影が見えるだけだが、

 右は空気が重く淀みなんとなく嫌な感じだ。

 左はゆっくり風が抜けていく軽さがある。


「どっちだ?」


「右は息苦しい。先が詰まってるか、

 空気が腐ってる。だから左に行く」


 カルドは短く頷き、

 シンとラグアスも何の疑いもなくついてきた。

 

 

 左の通路は緩やかに曲がりながら続いていた。

 足音を立てないように、慎重に進む。


 ……ふいに、足裏の感触が変わった。


(……ここ)


 俺は思わず踏み出しかけた足を引っ込める。


「止まれ」


 三人とも、その場で足を止めた。

 暗がりの中、全員の気配が固まる。


 俺はしゃがみ込み、目の前の床を手で探る。

 石の並びは他と変わらない。

 色も、形も、ほとんど一緒だ。


 それでも──たった一枚だけ、

 下に“薄さ”を感じた。


 隣の石を指先で軽く叩く。

 低く、詰まった音。


 問題の石も、同じように叩く。

 ……少し、高い。響きが浅くて、

 これは下に空洞がある。


「ヴェル兄さん?」


 ラグアスが不安そうに呼ぶ。


「この石の下だけ、空間が空いてる。

 たぶん、落とし穴だ」


 俺は立ち上がり、問題の石から一歩離れた

 安全な場所に体重をかける。

 そして石の縁を狙ってつま先で強く蹴り込んだ。


 バキッ、と嫌な音がして、

 その石がぐらりと傾く。

 続いて、ガラガラと砕けた石と砂利が

 一気に流れるように落ちていった。


 しばらくして、暗い底の方で

 カランカランと何かが跳ねる鈍い音が響く。


「……やっぱりな」


 崩れた穴の縁に腰を落として、下を覗き込む。


 暗くて底は見えない。が落ちた石の音から、

 かなりの深さがありそうだとわかる。


「うわ……これ、さっきそのまま踏んでたら……」


 ラグアスが顔を青くしている。


「ヴェルが気づいてくれて助かったな」


 シンが苦笑まじりに言った。


「まぁ、十年も穴の下を数えてりゃ、

 こういう“薄い場所”くらいは分かるようになる」


「謙遜するな。お前のその変な感覚のおかげで、

 俺達は何度救われてきたか分からん」


 カルドの声は淡々としている。

 けれど、その中にある重さは嘘じゃない。


「壁沿いに少しずつ横歩きすれば越えられる。

 岩が厚いところだけ踏め」


 俺は穴の縁を指先で確かめながら、

 踏んでも大丈夫な部分を探る。


 足の裏に返ってくる硬さと、

 下の空間の“厚み”で判断するのだ。


 俺が先に壁づたいに身体を横向きにして渡り、

 カルド、シン、ラグアスの順で慎重に進む。


 石はきしみもしなかった。


 落とし罠を越えた先は、

 再びなだらかな下り坂になっていた。


 膝に少しずつ角度がかかる。

 息を吸えば、冷たい気配が喉を滑り落ちていく。


(この先、少し開けた場所……

 いや、その奥に“何か”がいるな)


 通路の先で、空気の流れが乱れていた。

 壁に当たった風が、何か柔らかいものに

 ぶつかって形を変えては、また戻ってくる。


 足音ではない。


(……この先、広間だ)

 

 やがて、視界がふっと開ける。


 中央はそこそこ平らで、

 まわりは岩の出っぱりがいくつもある。

 天井は高くうっすらとした光が染み出している。


「……ここなら、少し休めそうだな」


 カルドが壁際に背を預ける。


 シンはツルハシの柄を撫でながら、

 肩を回して息を整えた。


 ラグアスはまだ周囲に目を配っているが、

 その目にも少しだけ安堵の色がある。


「ヴェル兄さん、さっきの落とし穴のこと

 本当に助かりました」


「マジで助かったよ。

 カルドさんもそう思うでしょ?」


 シンが笑いながらそう言うと

 カルドは短く答えた。


「……ああ。あの罠は俺にも分からん」


 その言葉に、少しだけ胸の奥が熱くなる。


(暇つぶしも、無駄じゃなかったってことか)


 鉱山にいた頃は、

 この感覚は“奇妙な癖”みたいなものだった。


 でもここは違う。

 罠を避けられる。

 魔物も避けられる。

 空間を読むだけで、生き延びる可能性が増える。


 十年、穴を数え続けた頭が、

 やっとまともな使い道を見つけた気がした。


「さて、と」


 俺は深く息を吸い込み、 

 広間の壁に背中をつけてゆっくりと息を吐く。


 空間の形を、もう一度なぞる。


 この広間の奥、さらに下へ続く通路が一本。

 その先に、重い塊のような存在がいる。


(……あれは、さすがに避けきれねぇな)


 今はまだ動いていない。

 けれど、あの先へ進もうとしたら、

 きっと顔を合わせることになる。


 それは次の話だ。

 まずはここまで辿り着けたことを噛み締める。


 十年閉じ込められていた鉱山の穴から抜け出し、

 俺たちは今、別の穴の入り口に立っている。


 ツルハシしかない。

 鎧も、盾も、まともな灯りすらない。


 それでも──


(この感覚がどこまで通じるか、試してやる)


 そう心の中で呟きながら、

 俺は暗い天井を見上げた。

  


 

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