0004.坑道


 

 カン、カン、と鉄の音が坑道に響く。


 湿った空気。鉱石と土と汗の混じった匂い。

 視界の端でゆらゆらと揺れるランプの灯りを、

 俺は呑気にぼんやりと眺めていた。


(そろそろ十年、か)


 奴隷としてここに連れて来られてから、

 色々あった。……色々ありすぎた。


 来たばかりの頃は五歳だったから、

 とにかく怒鳴られ、殴られ、掃除からだった。


 幸い、中身が大人だから従順と思われて

 怒鳴られるのは本当に始めだけだった。


 数年して少し身体が大きくなった頃、

 荷台に掘られた土を乗せる係になった。

 周りの大人もなんだかんだ手伝ってくれた。


 そこから数年。力もそこそこついてきて

 ついに俺も掘る側に回った。

 ……何年経ったかは知らない。


 数えるのをやめたのはいつだったか。


 わざわざ日を数えなくても、

 新しく連れてこられた奴と話す機会があれば、

 絶望の叫びを添えて教えてくれる。


 それによると大体十年くらいみたいだ。


「ヴェル、手ぇ止まってるぞ」


 低い声に振り向くと、そこにはカルドがいた。

 無駄のない筋肉と、岩みたいな肩幅。

 無精髭と煤に汚れた顔。


 だが、その目だけは昔から変わらない。

 まっすぐな色をしている。


「……悪い。ちょっと考えごとしてた」


「考える暇があったら腕を振れ。

 サボってると見張りが来るぞ」


 無愛想にそう言いながらも、

 カルドは自分のノルマ分を掘り終えていて

 空いた手で俺の分の岩まで砕いてくれたりする。


 寡黙で、怒鳴ったりもしないくせに、

 こういう時はしれっと手を出すのだ。

 ほんと、兄貴分ってやつだ。


「へいへい、働きますよっと」


 と軽口を叩いたのは、

 隣の列で土を均していたシンだ。


 頬骨の浮いた細い顔、やせていて、

 やけに身のこなしだけはしなやかだ。


 口元に浮かぶ薄い笑みは軽薄に見えるが、

 ……まぁ、良いやつだ。

 

 ちなみに、口から生まれたとは本人の言葉だが

 その巧みな話術で監督から情報を持ってくる。

 俺がお手本とする空気が読めるやつだ。


「なぁヴェル、さっきの監督の足音、

 ちょいとイラついてたんじゃねぇか?

 ほら、さっき通った時」


「だな。踵に力が入りすぎてた。

 誰かサボってたか、逃げでも企んだか」


「そ、それ僕のことじゃないですよね……?」


 慌てて口を挟んできたのは、

 少し離れた場所で荷車を引いていたラグアスだ。


 さっきまで腹が痛いと半べそかきながら

 トイレに駆け込んでいたのである。


 真面目な顔立ちに、まだ幼さの残る目。

 こいつとは年が二つも違う。


 最初に会ったときは十歳だったのに、

 今では俺の肩とそんなに変わらない高さだ。


 みんな大体ここ五年くらいで来たばかりだ。

 カルドだけ俺の一年後なくらい。


 つまり、カルドもシンも俺より年上だが、

 一応、後輩ではあるわけだ。


 ラグアスが一番新参。

 歳も一番若い。皆の弟分だ。


「ラグアス、お前はまじめにやってるだろ。

 心配しなくていいぞ。堂々と腹痛って言え」


「そうだぞ、ラグアス。

 お前はサボるんならもっと上手くやるタイプだ」


「それ褒めてます? シンさんそれ褒めてます!?」


 小声でやり取りをしながらも、

 俺たちは手を止めることはない。


 ツルハシを振るい、砕いた石を選別し、

 鉱脈の筋を読んで、必要な場所を削る。


 ここに来てから、身体は嫌でも鍛えられた。


 肩、背中、腰、腕。

 前世のフニャフニャした会社員の俺が見たら、

 随分と別人だな と笑うだろう。


 石や砂にまみれた皮膚は荒れ、

 指は固く、足の裏は石を踏んでも痛くない。



 まぁ、その分、頭を使う時間だけは

 気の遠くなるほどあった。


 坑道での仕事は単純だ。


 「掘れ」と言われた場所を掘り、

 「運べ」と言われた荷車を押し、

 「食え」と渡されたものを食べ、

 「寝ろ」と言われた時間に寝る。

 

 抵抗すれば殴られる。逃げれば殺される。

 考えても仕方のないことは山ほどある。


 だから逆に、考えることをやめなかった。


 足音の数。

 ランプの位置。

 空気の流れ。

 湿度の変化。

 隣の列のツルハシの打ち込まれるリズム。

 上から落ちてくる小石の粒の大きさ。


 暇さえあれば、それらを数えて、並べて、

 頭の中で地図にしていった。


 火山の中、海の底、空の果て。

 十つの未踏のダンジョン。


 リリーが話していたことを今でも時々思い出す。

 ここもある意味、ダンジョンみたいなものだ。


 誰かが攻めてくることもない。

 誰かが攻略することもない。

 ただ掘られて広がるだけの穴。


「ヴェル、今、上の天井がちょっと鳴った」


 カルドが小さくつぶやいた。

 誰にも聞こえないくらいの声で。


 俺は一瞬、ツルハシを止める。


 ……確かに、聞こえた。

 今この列の奥、三つ向こうの支柱のあたり。

 ほんの少しだけ、木が軋む音。

 土の圧が変わる気配。


「……崩れはしねぇよ。

 支えが一本やられただけだ」


「判断が早えな、お前は」


「十年もやってれば暇だからな。

 こういうの数えるしかやることねぇんだよ」


 そう言うと、カルドはふっと笑った。

 滅多に笑わない男のそのわずかな口元の動きで、

 こっちまで「ふっ」と気が緩みそうになる。


「お前、言っとくけどたいがいだぞ。

 監督より先に崩落を見抜く奴隷なんざ

 他に聞いたことねぇ」


「給料もらえるならやってやるんだけどなぁ。

 ……あいにくゼロだ」


「だな。マイナスまでありそうだ」


 シンが肩をすくめる。


「けどまぁ、ヴェルのおかげで助かるのは事実だ。

 崩れる前に動くから、死者は他の班より少ない。

 なぁ、ラグアス?」


「はい! ヴェル兄さんのおかげで

 この班の評価もいいですし!」


「班の評価良くても、

 飯が増えるわけじゃねえけどな」


「そこは言わないでくださいよ……」


 ため息混じりのやり取りをしながらも、

 ラグアスの目はどこか誇らしげだ。

 

 こんな今の状況ですら、

 誰かの役に立てていると感じているらしい。


(……十年)


 ツルハシを岩肌に打ちつけながら、

 俺は心の中で小さく呟く。


 この十年という時の中で、

 俺の空間把握は明らかに“異常”になった。


 誰がどこに立っているのか。

 何人がこの坑道にいるのか。


 今この瞬間、ランプの灯りが

 どの高さで揺れているのか。


 どこに空洞があり、

 どこが詰まっているのか。


 目をつぶっていても、ほとんど分かる。


 暇だったから。

 考え続けるには時間がありすぎたから。

 それを、ずっと、ずっと、意識してしまった。


 その結果、気づけば“当然の感覚”

 息を吸うように当たり前になっていた。


 誰かが言うだろう。

 それを才能と呼ぶのかもしれないと。


 だけど、本人からすれば、

 ただの「暇つぶしの延長」だ。


「おーい、三番坑、交代だ!

 荷車組と入れ替えろ!」


 監督の怒鳴り声が、奥の方から響く。


 足音四つ。

 鉄の鎖の擦れる音。

 

 怒鳴り声はわざと大きいが、

 裏に疲労の色が混じっている。

 今の監督は、そこまで機嫌は悪いわけじゃない。


「カルド、シン、ラグアス。

 ここはひとまず終わりだな」


「おう。次は運搬だ。

 腕がちぎれねぇ程度にな」


「ちぎれたらヴェルの空間把握で拾ってもらうさ」


「僕は落ちた腕をリアカーに乗せる係ですか!?

 絶対いやですからね!?」


 シンの適当なボケに

 ラグアスが必死でツッコむ。

 カルドは相変わらず表情を変えないが、

 肩がわずかに震えていた。


 こうして笑い合える相手がいるから、

 十年も生き延びられたのだと思う。


(名前も、故郷も、何もかも 

 ここに来る前のものは薄れていく)


 ヴェル、という名は奴隷商の前で

 とっさにひねり出したものだ。

 本当の名前は、もうずっと呼ばれていない。


 ここで生きている俺は、ヴェルだ。


 カルドに呼ばれ、シンに呼ばれ、

 ラグアスに呼ばれる俺の名前。

 だったら、それでいい気もする。


(……とはいえ、だ)


 荷車を押しながら、俺は暗い坑道の先を眺めた。


 この十年、空間の形ばかりを見続けてきた結果、

 ひとつだけ分かってしまったことがある。


 この坑道は、まだ続いている。

 俺たちが行ったことのない奥へ、奥へ。

 監督たちも把握していない“穴の先”へ。


 火山の中でも、海の底でも、空の果てでもない。

 けれどこれはこれで、ひとつの「ダンジョン」。


(いつか、ここを“外”に繋ぐ地図にしてやる)


 そんな馬鹿げたことを考えながら、

 俺は荷車を押し続ける。


 暇だ。

 暇だから、考えることをやめられない。


 そしてその暇こそが、

 俺の空間把握を、さらに研ぎ澄ましていくのだ。



 ──十年の奴隷生活は、まだ終わらない。

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る