第35話 『ビジョン』でミた女とアルマンド

「フィィ。リリリリリリ」

森の奥で虫が鳴いていた。


バーベキューコンロの前では

歌川と笠原が缶ビールを片手に

立ち話をしていた。

2人から少し離れたところに

鈴木とヒカルがいた。

ヒカルは鈴木が手に持った紙皿から

肉を取って美味しそうに食べていた。

その時。

中庭の扉が開いて小柄な男が姿を現した。

大烏だった。

大烏は黒のボーラーハットに

ダークグレイのスーツを着ていた。

その姿はまるで

どこかの大企業の重役のようだった。

大烏の後ろから少女が顔を覗かせた。

その少女を見て私はハッと息を呑んだ。


少女はベリーショートの髪を

ピンク色に染めていた。

二重の狐目。

やや低い小さな鼻と大きな口。

こうしてみると

年の頃は10代かもしれない。

私と同じかそれより少し上。

彼女は膝上までの赤いワンピースに

これまた赤いフードの付いたケープを

羽織っていた。

その姿は

絵本の中の「赤ずきん」のようだった。

彼女こそ

『ビジョン』の中で

私の隣に座っていた女だった。


「大烏くん!」

2人の存在に気付いた歌川が叫んだ。

「やあやあ。

 遅れてすまないね。

 ちょっと急用が入ってしまってね」

そう言いながら大烏は歩いてきた。

隣の少女の方が若干背が高かった。

「紹介しよう。

 彼女は蒼井海(あおい うみ)くんだ。

 飛び入り参加になるが、

 仲良くしてくれ給え」

「お世話になりまぁす。

 ウミでぇす。

 20歳になりましたぁ。

 ちなみにぃ。

 彼氏はいませぇん」

蒼井は鼻にかかった甘ったるい声で

そう言うとぺこりと頭を下げた。

「ふむ。

 それで。

 遅れたお詫びに

 シャンパンを用意したのだがね」

そして大烏は手に持っていたボトルを

掲げた。

「おお。

 アルマンドじゃないか。

 しかもノワールとは素晴らしいね!」

歌川が目を輝かせた。

「へぇ。

 流石金持ちは違うね。

 俺達庶民には

 滅多にお目にかかることのできない

 代物だ」

笠原が大袈裟に手を叩いた。

「何よ何よ。

 そんなに高いお酒なの?」

ヒカルが興味津々に

ボトルを見つめていた。

「そ、それなら・・こちらのグラスに」

いつの間にか木製のテーブルの端に

鈴木がグラスを8つ並べていた。

「ふむ。

 鈴木さんの気配りに感謝だね。

 では早速乾杯しようではないか」

大烏が慣れた手つきで

シャンパンを開けた。

私は目の前でグラスに

液体が注がれていくのを

ただぼんやりと眺めていた。

液体の入ったグラスを鈴木が手に取って、

1人1人順番に渡していた。

私の中にふと小さな不安が芽生えた。


「ど、どうぞ」

気が付けば、

鈴木が私の目の前に立って

グラスを差し出していた。

「滅多に飲めるモノじゃないから

 頂いておいた方がいいぞ」

歌川にそう促されて

私はグラスを受け取った。

テーブルの上には

グラスがあと2つほど残っていた。

1つのグラスにシャンパンが注がれ、

それを鈴木が手に取った。

大烏は残った最後のグラスに

シャンパンを注いだ。

「ふむ。

 では準備はいいかね?」

大烏はグラスを手に取って

皆の顔を見回した。

釣られて私も視線を動かした。

談笑している笠原と歌川の姿が見えた。

2人は手にグラスを持っていた。

笠原の右隣にはヒカルがいた。

彼女はグラスに鼻を近づけて

興味深そうにその香りを嗅いでいた。

その光景を見た瞬間。

私の頭は目まぐるしく回転した。

ここまで。

シャンパンのボトルに触れたのは

大烏ただ1人。

誰にも毒を仕込むことはできなかった。

つまり。

毒はシャンパンではなく

グラスの方に仕込まれているのだ。

「・・今回。

 わざわざこんな辺鄙な場所まで

 足を運んでくれた皆に感謝を込めて」

大烏がグラスを目の高さに掲げた。

迷っている暇はなかった。

「乾杯!」

その声と同時に私は駆け出した。

そして。

グラスに口をつけようとしていた笠原に

体ごとぶつかっていった。


「おっと!」

笠原の手から落ちたグラスが

芝の上で砕け散った。

笠原は姿勢を崩して尻餅をついた。

私も倒れる演技をした。

「何してんだ、馬鹿野郎っ!」

すぐに罵声が飛んできた。

「ご、ごめんなさい!」

私はすぐに謝罪の言葉を口にした。

立ち上がった笠原が

濡れたデニムを手で叩いた。

「いや悪い悪い。

 いきなりのことで驚いたんだ。

 君こそ大丈夫か?」

「は、はい。

 本当にごめんなさい」

私は起き上がってもう一度謝罪した。

「ふむ。

 割れたグラスは江藤に片付けさせよう。

 三ノ宮くん。

 江藤を呼んできてくれるかね?

 部屋か応接室にいるはずだ」

「あ~。

 それならぁ。

 お手洗いに行くついでにぃ、

 ウミが呼んできまぁす」

蒼井はそう言うと

慌ただしく駆けていった。

私はもう一度「すみませんでした」と

誰にともなく頭を下げた。

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