神器との対面
聖堂寮の奥へと、セラフィナの先導する廊下を歩いていく。
気がついたら、いつの間にか一本道になっていた。左右に扉のようなものもなければ、人の住んでいる気配もない。さっきまであったはずの生活の匂いは、この場所からは一切感じられなかった。まるで、別世界であるかのように。
まぁ、そんな風に神々しい雰囲気すら感じる場所ではあるのだけれど。
「今日のご飯何かなー」
「俺、ハンバーグがいい!」
「残念だがノエル、メニューには魚の塩焼きと書いてあったぞ」
「うげー。骨取るの面倒じゃんよー」
前を歩く三人が、そんな緊張感の欠片もない会話をしているせいで、そんな気配は微塵も感じられないという。
まぁ僕としては、和むというか緊張感が緩和されてくれるから、ありがたいっちゃありがたいんだけど。
「さて……リンにも説明をしておこう」
「えっ、あ、は、はい?」
そこで、唐突に矛先が僕の方へと向いた。
説明って、何だろう。今日のご飯のことか。いや、ご飯が出てくれるのは非常にありがたい。自分で材料を買わなくてもご飯が出てくるって素晴らしいことだと思う。でも僕も子供っぽいと思われるかもしれないけれど、ノエルと同じく魚は少し苦手だ。何より骨が多いし、取るのが面倒だし。ちなみにハンバーグは僕も大好きなので、どうやらノエルと食の好みは非常に似通っているようだ。
先輩によこせとか言われたらどうしよう。
そのときは、断固として拒否をする方向で動こう。そもそも、先輩だから後輩の食事を奪っていいとか、そんな法律は存在しないのだ。先輩には絶対服従とか言ってたけど、それはノエルが決めたマイルールだということは分かってるし――。
「この道は、聖少女以外に立ち入ることができない」
「……」
ご飯のこと考えていてごめんなさい。
「先程、通ってきた赤の扉があっただろう。あれには魔術紋が刻まれていて、聖少女の魔力に呼応しなければ絶対に開かない仕様だ」
「は、はぁ……」
「まぁ、大丈夫だよ。今日のうちには、リンにも刻まれるはずだ」
そう笑みを浮かべて、セラフィナが自分の左手の甲を僕に見せてくる。
そこには、淡く光る百合の紋章が刻まれていた。光はゆっくりと脈打って、まるで呼吸しているみたいに見える。
僕、てっきりオシャレのために刺青を入れてるんだと思ってたけど、違っていたらしい。
「これは神器に選ばれた証だ。そして神器に選ばれた者だけが、姓を名乗ることができる」
「姓……ですか」
「ああ。貴族の出自ならば当たり前に持っているものだが、私たちは本来持っていない。私も十一歳のとき、初めて聖少女として選ばれるまで、名字など持ってはいなかった。私は神器を授かり、そして姓を授かった。リリィという姓をな」
セラフィナ・リリィ。
その名字の理由は、神器に選ばれたこと――そして、その左手に刻まれている証が
そして嬉しそうに、そんなセラフィナの隣でクレア、ノエルが揃って左手を見せてきた。
「あたしのはねー、
「俺のは
クレアの左手に刻まれているのは、燃える花のような意匠。
そしてノエルの左手に刻まれているのは、深い紫をした星形の意匠。
どちらもその名字――クレア・スカーレット、ノエル・ブーゲンビリア――自身の名字である花が描かれたものだ。
「へぇ……それじゃ、姓を神器から与えられるんですか」
「ああ」
「あれ? それだと、元々姓を持ってる貴族の出身とかの人って、どうなるんですか?」
なんとなく、思い浮かんだ疑問を聞いてみる。
僕をここに案内してくれた貴族の女性――確か、マルグリットさんだったか。僅かな邂逅だったせいで忘れてしまったけれど、貴族だから姓は持っていたはずだ。
そんな僕の疑問に、セラフィナが苦笑した。
「その場合は、二つの姓を名乗っても良い。たとえば第八席にいる聖少女は、名をブランカ・キルシュマン・カメリアと名乗っている。元々の姓がキルシュマンで、神器から与えられた姓がカメリアだ」
「あー……なるほど」
「まぁ貴族から聖少女が選ばれることは、滅多にないけれどね。私が聖少女に選ばれてから今まで、ブランカ一人しかいないよ」
ふっ、とセラフィナが嘆息する。
まぁ実際、平民の女子と貴族の女子、どちらの人数が多いかと言われたら明白だ。そして選ばれることに血脈など関係もない聖少女は、どうしても平民の比率が高くなるだろう。話に出たブランカさんとやらは、珍しい部類なのだと思う。
セラフィナが聖少女になってから。
十一歳から今まで――十七年の間で、たった一人だけ。
……。
だめだ。たった一人しかいない貴族出自の聖少女より、『十七年も聖少女をやっているセラフィナ』の方が違和感を覚えてしまう。さすが聖少女(28)。
「さて……着いたよ」
僕の思考は斜め上に逸れつつも、足取りはちゃんと真っ直ぐ進んでいたようだった。セラフィナ先導のもと、どうやら目的地へと到着したらしい。
そんな僕たちの目の前に現れたのは、先程よりも遙かに重厚な扉だった。
黒い金属に黄金の線が絡み合って、花畑のような紋様を描いている扉――まさに花の名を冠し、花を己の証として示す、聖少女の神器がある場所に相応しい意匠だ。見ているだけで圧倒されるそれに対して、セラフィナがゆっくりと左手を示す。
「開けるよ」
きぃん――そう、僅かに魔力が働く音。
それと共に扉の黄金の紋様へと魔力が滲み、そしてゆっくりと、重い金属製の扉が開いていく。
「わ……!」
思わず、その威容に驚くことしかできなかった。
中にあったのは、輝きを放つホールだ。高い天井から陽光が差し込んでいるのか、頼りない蝋燭の火しかなかった廊下を歩いてきた目からすると、ひどく眩しい。
いや。
眩しいのは光だけではなく――そこに鎮座した、黄金の筺。
大理石で造られているのだろう台座は、他に十一個存在する。だが台座の上に筺が乗っているのは、たった一つだ。そして、それぞれの台座には百合、九重葛、紅華といった花の紋章が刻まれている。
触れていないのに、熱すら感じるほど。
視線を向けるだけで、胸がざわつくほど。
これが、神器――。
「あれが、きみの神器だ」
セラフィナの声が、ひどく遠くから聞こえてくるように感じた。
下手な神殿とか教会に行くより、遙かに神々しい。そこに間違いなく『神』がいると感じさせる、そんな存在感がある。あまりの存在感に、言葉すら失ったと言っていいだろう。
そんな神器――黄金の筺に刻まれている紋様は、
「触れるといい、リン。そして神器の声に耳を傾けるんだ」
「……は、はい」
触れる?
僕なんかが触っていいの?
そんな疑問を抱きながらも、しかし導かれるように僕の足は前に出て、黄金の筐体へと手を伸ばす。
神器の声。
きっと僕に、そんなものは聞こえない。だって神器が選んだ相手は、僕じゃないのだから。聖少女として選ばれたのは、きっと僕じゃない誰か別の『リン』なのだから。
そう考えながら、神器へと触れた次の瞬間。
世界が、音を失った。
――新たなる聖少女よ、よくぞ参った。
「――っ!?」
僕の脳を直接揺らすかのような、そんな重厚な声音が響いた。
あまりの威容に、あまりの威厳に、僕は何も返すことができない。ただその声に目を見開き、驚愕することしかできない。
目がちかちかする。まるで、頭の中に直接語りかけてくるかのような――。
――我は神器。これよりそなたは、『
だが。
そんな厳かな声音に一瞬、戸惑いが混じるのが分かった。
人間を遙かに超越した存在でありながら、そこに見える感情――それは、困惑。
――えっ、お前……男じゃね?
えっ。
あ、はい。そうです。
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