突然の神託

 僕が暮らしていたのは、神聖国家オリュンポス王都の端だった。


 王都は中央に行くほど、そこに住む人物の格も高くなる。壁に囲まれた中央部にいるのは貴族ばかりであり、平民である僕は入ることを許されない。とはいえ、両親の遺してくれた古い家で、一人で暮らすには特に不便も感じない――そんな、普通の町である。

 僕の両親は、数年前は流行病で亡くなった。遺してくれたのは古い家と、ある程度の借金だけだ。とはいえ、十二歳のときからもう三年もこの環境であるため、慣れたものである。

 まぁご近所さんとも仲良くやれているし、なんとか子供一人でも暮らしていけた、と言うべきだろうか。


「おうリン、今日も元気だな。学校は終わったのか」


「うん、おじさん」


 学校からの帰り道。

 いつものやり取りを交わして、僕は通りを歩いて自宅へと戻っていた。

 長く伸ばした髪に、華奢な体。胸はなくても顔立ちさえ整えていれば、どこからどう見ても女の子に見えるらしい。


 とはいえ僕は生物学上、男である。

 そう、歴とした男だ。だけれど僕は、女の子として暮らしている。

 何故ならこの国――神聖国家オリュンポスでは、男であることに価値がない。何故なら、男は聖少女に選ばれることがないからだ。

 この国では女の子こそ国の宝であり、夫婦は必ず一人以上の女児を宿すことを義務とされている。その扱いの差は顕著であり、男の子を産んでも何も出ないが、女の子を産めば一定の年齢まで国から補助金が出るほどだ。

 だから生まれたのが男の子でも、女の子として届け出るのは珍しくない。


 それがつまり、僕だ。

 生物学上も、性自認も、僕は間違いなく男である。だけれど生まれた環境が、僕を女の子として戸籍に登録することを余儀なくされたのだ。これにより僕は十八歳まで補助金を受け取ることができ、そのおかげで今まで生きてこれたと言っていいだろう。

 もっとも、この制度にも抜け道はある。

性別を偽って育てられたとはいえ、男がいつまでも女の振りを続けることはできない。だから一定の年齢になると、役所へと改めて自分の性別を申請し、それまで受け取った補助金を返済するという形だ。

 生まれたときから背負う、奨学金のようなものだと思ってくれればいいだろう。


 実に迷惑な制度だ。

 でも、そのおかげで僕は今まで、十五歳になるまで生きてこられた。僕を育ててくれた両親は貧しかったけど、補助金があったからこそ食いつなげた。そして両親が亡くなった今も、補助金のおかげで生きていけている。

 僕も来年には、学校を卒業する予定だ。

 これから声も低くなるだろうし、体つきも変わってくるだろう。そうなる前に、僕も性別を申請して、本当の自分に戻らないといけない。

 返済金はまぁ、なんとか働きながら返していくしかない。それが現実だ。

 そんな風に考えながら、古いなりにまだどうにか形を保っている自宅へと戻ると。


「……えっ?」


 僕の家の前に、黒い魔導車が停まっていた。

 少なくともこの近所では見たことのない、高級車だ。というか、この辺りの地域に住んでいる者で、魔導車を持っているような金持ちなんて一人もいない。遠くに用事があるのなら、乗合馬車を使うのが一般的だ。

 そして、そんな高級車から出てきたのであろう、三人の人物。

 いかにも偉い人然とした、漆黒の外套を纏っている初老の女性。そして恐らく、そんな女性の従者なのだろう、武装した男性二名である。何せこの国は女性優位なものだから、偉い地位にある人はみんな女性だという話も聞いたことがある。

 だけれど、解せないのは。

 そんな偉い人が、明らかに僕ん家の扉を叩いていることである。


 僕、何かしたっけ?

 いや、生まれたときから性別を偽ってはいるんだけど。


「あの……?」


「ん?」


 ひとまず近づいて、僕は女性に声をかける。

 まぁ、自分の家に帰るのに、扉の前に人がいるのだ。相手がどれほど偉かろうと、別に失礼になることではないと思う。これで僕が怒られるなら、この国の法律の方がどうかしてるだろう。

 そんな僕に対して、女性が振り返る。

 高級そうな服に身を纏い、腰には国章を刻んだ短剣を差している。その時点で、彼女が貴族の一員なのだと理解できた。

 貴族が、僕の家に何の用なんだろう。


「あら……もしかして、あなたがリン?」


「え、ええ。そう、ですけど……」


 優しげな声音で、僕へとそう言ってくる女性。

 何かの間違いではないかと思ったけれど、どうやら僕を訪ねてきた様子だ。そして僕のところに偉い人が来る理由なんて、一つしか思い浮かばない。

 僕の両親が、僕の性別を偽って申請していたことが、ばれた――。

 顔から、血の気が引いていく。


「ぼ、僕に、何か……?」


「ええ」


 にっこり、と女性が微笑む。

 その微笑みに宿るのは、優しさだ。しかし同時に、どうしようもない威圧感を覚える。笑顔なのに威圧感があるって、一体どういうことなんだ。

 そして、風の噂で聞いたことがある。

 役所で改めて申請を行う前に、出生時に性別を偽っていたことが看過された場合のことだ。勿論のこと補助金は中止となり、それまで支払われた補助金に対して、一括の返済を求められるという。

 そして勿論ながら、我が家にお金なんてない。

 ただでさえ、毎月のように補助金がなければ生きていけないのだ。いや、補助金があっても、月末は食べるものに苦労するくらいなんだから。


 やばい。本当にやばい。返せない。

 足が震える。明日から、どうやって生きていけばいいんだ。

 そう戸惑っている僕に対して、女性は静かに告げた。


「リン」


「あ、あの、ごめんなさ――」


「あなたに託宣が下りました。リン。あなたを新たな聖少女の一人として、招聘いたします」


 …………。

 ……………………。

 …………………………………………。

 …………………………………………………………は?


 思わず謝ろうとしたところで、頭が真っ白になった。

 聖少女?

 あの、聖少女?

 テレビで映る、国の守護者で、華やかな衣装を着て笑顔で手を振る、あの?


「これは神のご意思による託宣です。あなたに拒否権はありません」


「えっ……え、えっ?」


 理解が追いつかない。

 僕が、聖少女?

 いや、無理だろ。僕、男だよ。生物学上も、性自認も、どっちも男だよ。ただ戸籍上、女の子の振りをしてなきゃいけないというだけで、完全に男だよ。聖『少女』だろ。なんで僕が選ばれてんだよ。


「ちょ……ちょっと、待ってください……えっ?」


「無論のこと、貴女にとっては青天の霹靂のようなものでしょう。ですが貴女は、神より光栄な役割を与えられたのです」


「い、いや、そうじゃなくて……」


 かろうじて、声を絞り出す。

 僕の声は低めだが、今のこの見た目なら通じるはずだ。そう信じたい。


「ほ、本当ですか? 僕が、聖少女、ですか?」


「ええ、その通りです」


 女性はあっさりと頷く。


「託宣は絶対。神器が貴女を選ばれたのです」


 冗談だろ、と心から言いたい。

 だけど、言えない。何せ僕、戸籍上は女なのだ。ここで「実は男なんですよ」と言うことは、つまり補助金の一括返済を求められる未来となる。つまり、明日から僕は生きていけないということだ。

 どうすればいいんだよ僕。


「聖少女の任務は、災禍と戦うことです。貴女が拒もうとも、これは神のご意思であり、神器の選択です」


「いや、あの……間違いとかじゃ、ないですよね?」


「神託に間違いはございません」


 女性はそう、凛とした声音で告げる。

 いや、絶対に間違えてると思う。確かにリンは僕の名前だけど、同名の誰かと間違えてると思う。どうして分かるのかって、僕が男だからだよ。

 でも、間違いないって言っちゃったよこの人。どうすればいいんだよ僕。

 そんな僕の震えに対して、女性はそっと僕の肩を叩いた。


「ええ、分かりますよ」


「えっ……?」


「神より与えられた役割に、震えるほど喜んでいますね」


「……」


 いや。

 全然、そんなことないんですけど。

 完全に、置いてけぼりを食らっている感覚だ。世界は続いているのに、僕だけが別の頁に飛ばされたみたいな。いや、前の頁に取り残されているのかもしれない。


「それでは、三日後に迎えに参ります。それまでに身支度を整えておいてください。聖堂寮に入ることとなるため、身近な人物には別れを告げておいた方が良いでしょう」


「……」


「ですが、みな喜びましょう。神より、光栄な役割を与えられたのですから」


 女性は念押しするように僕に対して笑みを浮かべ、そして背を向けた。

 僕は女性と侍従二人が車に乗り込み、そのまま去ってゆくのを見送りながら、ただ呆然としていた。


 どうすればいい。

 僕は男だ。なのに、聖少女。たった一言でこんなに矛盾する言葉あるだろうか。

 だけど真実を告げれば、不正がばれて捕まる。僕は家も生活も、未来さえ失うだろう。

 つまり。

 僕はこれから、聖少女として生きていかなければならない。


 男なのに。

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