第32話

 雲の間から地上にエリンギン王国の王都の姿を見つけると、そのまま急降下し、正門を通り過ぎ市街地を抜けた。

 街は時間が止まっている。

 通りの人々は人形のように動かない。まるで模型の中にいるようだ。


 前方に女神大聖堂の姿を見つけると、オクムラは門の前に下りた。

 大聖女が何かやったに違い。こんなことができるのは、ここだけだ。だが病魔人には、通用しないがな……。

 オクムラは、聖堂に入り回廊を歩いた。

 大聖堂には、円堂がいくつかあった。中でも一際目立つ大きな円堂に入ると、そこに座り込む女の姿があった。


「そんな……」


 ユリは気配に気づいて振り向き、絶句する。


「王都の時間を止めているのはお前か。いや、違うな。お前からそんな力は感じない」


 オクムラが、はっとして目を見開いた。

 一歩下がると、彼の目前を槍を通過した。

 それは円堂の壁に突き刺さる。刃先から、黄色い光が漏れている。


「私です」


 オクムラの疑問に答えるように、彼女は言った。


「大聖女様……」


 ユリは無力感にさいなまれていた。

 自分では、オクムラから大聖女を助けることはできない。足手まといにしか、ならないだろう。戦いに参加することもできないと思った。


「ユリ、そこでじっとしていなさい」


 オクムラが、大聖女へタールのようにドス黒い眼を向ける。


「豪勢な魔法で出迎えてくれたこと、感謝する。どれほどの魔力を使えばこんなことが可能なのか、想像するだけで気がおかしくなりそうだ。あれだろ、聖堂内に蓄積した魔力を使ったのだろ? いったい何年分、いや、何十年分だ? ――大聖女様」

「……あなたが、前回この国に現れて以来ですよ」

「ご苦労なこったな」


 オクムラの姿は、大聖女の真横にあった。

 彼女が気付いたのは、1、2秒後のことだ。振り向き、目が合ったと同時に、胸に重みを感じた。さらに1、2秒して激痛が襲う。


「ごほっ……」


 咳と共に、口から血が零れた。

 オクムラの腕が、彼女の背中から胸へと貫いていた。

 大聖女は膝から崩れ落ち、薄暗い円堂へと前のめりに倒れた。


「大聖女、様……」


 ユリは悲しみに震えた。

 オクムラが遠くを見るように、視線の方向を変えた。


「魔法が解除されたな。よしよし……」


 前触れなしに、オクムラの口元から黒い血がつーっと流れた。

 今しがたの大聖女のように咳をし、さらに大量の黒い血を吐く。

 オクムラ自身、何が起きたのかわからないようだ。

 片目がぎょっろと戸惑い、背後へ向いた。

 彼の背後に、マサオの姿があった。とんでもなく口角を上げ、にやりと笑みを浮かべている。


「先日はどうも、兄ちゃん」


 オクムラの首を短剣が貫通している。

 彼に首を噛まれ、遺跡内で死んだはずのマサオは、ぴんぴんしていた。


「かはっ!? き、貴様……」

「貴様やと? 目上のもんは敬えや、カス。てかなに殺してくれとんねん」


 マサオは片手でオクムラの髪を掴み、短剣を振り抜いた。

 草を刈り取るようであった。取り立てのタケノコのように、マサオの手の下で、オクムラの首がぶらついている。


「その目……貴様、病魔人か。【織姫】が寄生していたのだな。ならば何故、俺に害をなす!」


 マサオの両目は、オクムラと同じ目をしていた。

 白目がなく、真っ暗だ。


「兄ちゃん、えらいもん、うつしてくれよったなあ。おかげで目がおかしなってもーたやないか。頭もぐわんぐわんしたわ。映画を短時間に一気見したみたいに、知らん映像が頭ん中に流れ込んでくるし」

「エイガ?……」

「ホンマ、異世界とか来るもんちゃうわ」

「……そうか。お前、は、異世界の」


 オクムラの両目が、ゆっくりと閉じる。


「先生?」


 ユリは警戒していた。

 その黒い眼を見れば、マサオが人間でないことはすぐにわかった。

 緊急事態である――女神が、病魔人になってしまった。


「クレイ、マドカ、化粧よろ」


 円堂の隅から、同じく遺跡内で死んだはずの二人が現れた。

 二人は、共に片目のみが赤く光っていた。つまり半分腐乱者――半ゾンビである。

 感染していながら、クレイとマドカは人間のように会話をしていた。マサオの化粧箱を取って、マサオの顔に、せっせとピエロのメイクをほどこしている。


 クレイとマドカは、カミキリに首を斬り落とされ、死んだ。だが今、二人の首はしっかりとくっつき、二人には意識がある。

 これは女神の力によるものだろう、とユリは思った。それは説明ができる。

 だが、目の方は説明できない。

 感染を半分に留めるなどということが、可能なのか。


「女神パワーで蘇らしてん。あのちっこい老害がぶった切った頭もこの通りや。女神様様やろ?」

「おかげで命拾いしました、女神様」とクレイ。

「命拾い言うてもな、君一度は死んどるねんで?」

「そ、そうでした。実感がないんですよ、これが」

 マドカが苛立ちを浮かべている。「あのクソ爺、次あったらぶっ殺してやるんだから」

「やめとき、次もまたぶった切られるだけや……。とまあ、二人は生き返った。でも俺の力でもそこまでやった。感染してすぐに治療してたら、もう少し上手いこといったんやけど。二人とも、目が赤いやろ、半分ゾンビみたいやねん」

「やはり、半分は感染しているんですね」

「でもシンクとか言ったっけ? あのクソガキも偶に目ぇ赤かったし、ノープロブレムやろ。てかまじあいつら許さんからな……俺を見捨てていきやがってからに」


 マサオは「ユリちゃんもやで」と不満げに言った。

 ユリが、思い出したように言った。


「先生、大聖女様が……」

「死んでるなあ、あっさりと。腹つつかれただけで死ぬとか、聖女の風上におけるん、これ?」

「先生、お願いします。どうか、大聖女様を助けてください! エリンギン王国には大聖女様が必要です!」

「嫌や――」


 マサオは、感情なく言った。


「断りもなしに呼び出して、勝手に女神とか読んで、気休めに大衆の病を治させて……でもこいつ、本心では、そんなことしても無駄やとわかってたわけや」

「大聖女様は、民のことを思うがあまりに」

「ユリちゃんーん? 君がどこまで知っとるんかは、俺も知らん。でもな、俺は病魔人やねん。それがどういうことか、わかる? 俺の中には病魔の歴史が流れとる、いうことや。自分のことのように、これまでの病魔人たちの記憶があんねん。マサオとしての意識があるのはな、女神パワーで定期的に治癒しとるからなんや」


 マサオは、見捨てられたことを根に持っていた。


「記憶によれば、大聖女や国王は、いつやったか感染の疑いのある人間を皆殺しにした。それがこいつら流の消毒っちゅうことや。対して俺を召喚したのは、言ってみれば除菌や。女神の力は、素早く処理すればオスの虫を殺せる。でもメスは殺せん。大聖女はな、最初から俺なんて必要ないことはわかってたんや。やけに早漏なオスでな、メスと合流した瞬間には病魔人になる。そうなったらメスでもオスでもない、女神は無力や。俺は用済み。コンドームのようにゴミ箱へ捨てられる。遺跡で俺がオクムラくんに殺されことはな、この女にしてみれば丁度よかったんや」


 マサオの化粧が終わったようだ。

 クリエとマドカが、マサオに鏡を向ける。


「こんな感じでよろしいでしょうか」とクレイ。

「……上手いやーん?」


 マドカとクレイが顔を見合わせ、微笑みあった。


「つーわけで、ユリちゃん。ごめんやけど、大聖女ちゃんはご臨終や。埋葬したり」

「先生!」

「二人とも、王宮に行くで!」


 マサオはユリを無視する。


「王様を、ぶち殺しちゃってもいいかなー!」

「え、女神様、国王様を殺しにいかれるんですか?」とマドカ。

「諸悪の根源は国王や。とりあえず、エリンギンの王族と貴族、片っ端からぶち殺していくから。あ、街のゾンビ軍団はみんなミーたちの仲間やから、殺したりしたらアカンで?」


 二人は「わ、わかりました!」と声をそろえた。


「君ら同様に半分ほど救ってやってもいいんやけど、色々面倒くさそうやしなー……反女神信仰派の奴らとか、あとはミー自身を認めてない奴らもいるって話やし」


 マサオは思い出したように言った。


「あ、せや、美人ちゃんだけ軍団から外しとこか。その子らだけ外して馬車に乗せよ。もうすぐ王都の外に、馭者と馬車が到着するから」


 マサオは思念だけで、付近のゾンビたちの行動をコントロールできるという。

 クレイとマドカは、尊敬の眼差しを送った。


「エリンギンの浄化が済んだら、次はセロリンの王族ぶっ殺しに行くから。ま、急いでないし、気長に行こうや」


 マサオは、「いーかな!」「よいかな!」と掛け声を上げた。


「先生!」とユリが怒号を飛ばす。

 だがマサオは、足を止めず、円堂を離れていく。


「ユリちゃん。【織姫】使わんだけ、感謝しぃーや。君はもう自由やから、ついてこんでいい」


 マサオは、遺跡に置き去りにされたことを、根に持っていた。


 この数時間後、エリンギン王国の王都が崩壊した。

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