手(ティ、ティー)の歴史について

大隅 スミヲ

第1話

 手(ティ、ティー)。それは沖縄がまだ琉球と呼ばれていた頃に誕生した。

 己の身を守るために人々が身につけた武術。

 それは後に、本土に渡り名前を『空手』と変えた。


 手とは、琉球語で人間の部位である『手』を表す言葉であるが、他に『手法』という意味でもある。要は己の身を護るための手法。いわば、護身術、格闘技、武術などを指す言葉なのだ。


 手が空手になるまでの話は諸説ある。それは沖縄に存在する空手の流派などの伝承によって様々ではあり、どれが正しいということは一概に言えない。おそらく、それぞれが正しいのだ。


 琉球は、かつては王が統治する国だった。王を守るための武士ブサーはもちろん、この「手」を身につけていたし、漁師などの庶民たちもまたこの「手」を身につけていた。「手」は己の身を護るための手段だったのだ。

 こんな風に書くと、「琉球王国民は武闘派集団だったのか?」と思われるかもしれないが、昔の日本はみんなそうだったのだ。一度、戦が始まれば最前線で戦ったのは農民たちだった。農民は自分たちの土地を守らなければならない。こちらも諸説あるが、戦闘のみを行う武士集団が形成されたのは戦国時代だったそうだ。農民たちは、いざ戦となれば、農具を槍などに持ち替えて戦場へと出向いていった。特に下級武士たちは、半農武士などと呼ばれており、農業の傍ら武士として主君に仕えるなどしていた。その代表格とも言えるのは、今期の大河ドラマでもお馴染みの豊臣秀吉だろう。


 現代の空手というと徒手空拳。素手で戦うというイメージが強いかもしれないが、元々は武器術なども存在していた。実は現代の空手でも武器術がある流派も少なくはない。代表的なのは棒やサイといった武器である。こういった武器術もかつての時代の名残だとも言えるかも知れない。


 琉球で使われてきた「手」は琉球独自での進化を遂げた武術だった。当時の琉球は大陸(中国)との貿易が盛んだった。そのため、中国武術の影響を大きく受けてきた。かつて琉球の「手」の達人と呼ばれた人たちも中国へ武術留学などを行っていたりもした。


 ここで面白いのが琉球の「手」が中国のどこの武術の影響を受けたかということが後世の空手に影響してきているということである。中国武術を大きく分けると、北派と南派に分けることができる。北派は騎馬民族が多く、南派は船などで移動する民族が多かった。武術というのは、その土地、土地の生活に影響を受ける。北派武術は騎馬民族であるために蹴り技が非常に多かった。南派武術は腰をどっしりと据え、足で地面を掴むような土台をがっちりとさせる動きが多かった。琉球から武術留学した「手」の達人たちが、どこへ留学し、何を学んで琉球へと帰ってきたかによって、武術の性質が変わったのだ。


 このように中国武術の影響を大きく受けてきた「手」は、後に「唐手(からて、とうで、トゥーディー)などと呼ばれるようになる。唐は中国の国名である。ただ、中国が唐という政権だった時代、日本は平安時代であるため、その頃の武術が琉球王国に影響していたかどうかは謎である。


 話が少し逸れてしまうが、日本本土(ここでは琉球以外の日本を指す)での「手」はどうだったのかという興味も出てくる。本土の「手」。それは「相撲、捔力、角力(いずれも、読み方は『すもう』)」となどと呼ばれていた。現代のあの力士が戦う相撲とは、またちょっと違う。ここでは徒手空拳での戦いを想像していただきたい。当時の相撲では、蹴る殴るは当たり前、相手を踏みつけて殺すといったようなこともあったそうだ。


 その代表的な話が、日本書紀に書かれている野見のみの宿禰すくね当麻たいまの蹴速けはや捔力すもうだろう。この時、野見宿禰と当麻蹴速は、お互いに蹴りの応酬からはじまり、最後は倒れた蹴速の腰を宿禰が踏み折って勝つという恐ろしい死闘が繰り広げられた。勝者である野見宿禰には、当麻蹴速の領地だった場所が与えられたということなので、これは代表者同士が戦う、いくさのようなものだったのではないかと考えられる。


 本土でも「手」は独自の進化を遂げており、後々には武士の刀、剣術、槍術などと移り変わっていくが、弓の弦が切れ、刀が折れた後で戦うための無手むてでの技としては、やわらなどと呼ばれる体術へと変化を遂げていった。これが現代でいうところの古流柔術などと呼ばれるものであり、古流柔術から柔道、合気道、そしてブラジルへ渡ってブラジリアン柔術などといったものに変化を遂げてきた。


 さて、閑話休題。


 琉球での「手」は中国拳法の影響を大きく受けてきた。北派の影響を受けた「手」では蹴り技が多く、南派の影響を受けた「手」ではどっしりと構える動きが多くなった。それはそのまま、南派であれば漁師の多い地域の「手」となり、中央すなわち首里の武士たちなどが多い地域では北派の「手」などとなっていった。


 それは現代の空手において「かた」として継承されている。「形」は流派によってかなり違いが大きい。同じような名前の形であっても、動きがことなったりするのだ。形の中で蹴りが多い流派もあれば、どっしりと腰を落として構える流派もある。また立ち方の中では「騎馬立ち」などと呼ばれる立ち方がある流派もあるし、舟の上で揺れないようにする立ち方が元となったと言われる立ち方がある流派もある。このように「手」はその人々の生活に沿って進化を遂げてきた。


 現代では、武道や武術、スポーツの「空手、カラテ」となった「手」。しかし、その「手」から受け継がれた動きなどはかたの中や基本動作の中に深く刻み込まれている。これは、過去の人々が残した歴史や文化、伝承を現代に引き継ぐひとつのかたちでもあるのだ。


 と、今回は歴史の授業などでは決して触れられることのない「手」について、ちょっと熱く語らさせていただきました。


(了)

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