第12話 飛来人

 遠くから、いくつかの足音が近づいてくる。

 濡れた土の上に腰を下ろし、尻を濡らしながら、俺はぼーっと地面を見ていた。


「ハリス!」


 傍でフィオナの声がした。

 ぼやけた視界の中にあった視点が、徐々に目の前の彼女へと合わさった。

 いつのまにか俺はフィオナに抱きしめられていた。

 涙声で「ごめんなさい」と耳元で繰り返し謝っている。


 アレックス先生に、ヨハネスとダンの姿もあった。

 それから辺境伯とシブガキさん。二人は共に、従来の大きな杖を手に持っていた。

 軽装の鎧と槍を携えた人の姿もあった。兵士みたいだ。


 みんなそろって、俺じゃない別の方向に目を向けていた。

 どれも険しい顔だ。口々に戸惑いをこぼしている、まるで何かに目を奪われているようだ。


 ――そこでふと思い出した。


 そうだ……熊を殺したんだった。

 両断された熊に濡れた広場。みんな、それを見つめていた。


「フィオナ。エスターがまだ森の中にいるんだ」


「今頃宿舎に戻ってるわ。みんな無事よ」


「ハリス殿、どういうことじゃ、ここで何があった!」


 気が動転したような勢いで、シブガキさんが俺の腕を掴んだ。


「え……」


「この濡れた地面はなんじゃ、お主は一体何をしたんじゃ!?」


「シブガキさん、やめてください。ハリスくんは疲れているんです!」


 アレックス先生が止めに入った。

 シブガキさんは「すまぬ、つい……」といつもの調子に戻っていた。

 ただ、辺境伯が俺を睨んでいた。


「生徒や獣の仕業とは思えんな」


 その場にしゃがみ、地面の濡れた土を指で摘まんだ。

 なにやら指先で土の感触を確かめながら、


「この辺りに水はない。無論、下山すれば海はある、深く森を行けば川も。だが土が湿っていることの説明にはならん」


 辺境伯は立ち上がりながら、


「ハリス・ジェンキンス。名高いジェンキンス公の隠し子。一カ月ほど前、初等部へ編入するため王都に移り住んだ。それ以前の情報は不明。その後、魔光石の熔解を発見。杖の大幅な小型化、軽量化に成功。異質過ぎる、なんとデタラメか。ただの子供が一カ月そこらで築ける実績ではない!」


 淡々と述べる言葉の先で、辺境伯は口調を強めた。

 俺にデカい杖の先端――魔光石を向けた。


「言え。貴様……農夫の愛したグラス一杯の水を使ったな?」


「……使ってません」


「ではこれをどう説明する?」


「知りません。気絶してたんです」


「気絶だと?」


「シブガキさんから聞きました。ラッセンさんが亡くなって、本も消滅したって」


「親父殿?」


「うむ、確かに話した」


「……なるほど。それで?」


「消えた本はもう読めないんですよね。じゃあここの土が濡れてる理由は、魔法以外にあるんじゃないでしょうか?」


「……びしょ濡れだぞ、魔法以外に考えられるか!」


 ――どこか遠くで爆発音が聞こえた。


 和太鼓を強く叩いたような、みぞおちに響く低音。

 空にけたたましい残音がするほど大きなものだ。


 みんな一斉に海の方へ振り向いた。


「なんだ、あれは……」


 辺境伯だけじゃない。

 みんな、目を見開いたまま硬直し動揺している。

 フィオナに支えられながら立ち上がり、俺も海の方を見た。


「……船?」


 目を細めてみると、海の沖の方に大きな船が一隻見えた。

 海賊だろうか、黒い旗を掲げている。


「小僧!」


 急に襟元を掴まれ、持ち上げられた。辺境伯だった。

 かろうじて息はできるけど、苦しい……。


「ぐっ……」


「ヒューブリッツ伯!」止めようとする先生の声。心配するフィオナの声も聞こえた。


 目の前に、辺境伯の恐ろしい顔があった。


「答えろ!」


 大口から唾が顔に飛んできた。

 そんなことには構わず、辺境伯は白い口髭の中から俺に怒鳴りつけた。


「今なんと言った!」


 俺は足をばたつかせるしかない。

 逃げようと体をよじれば、首元にかかる力が強まった。


「答えろ、小僧!」


「グルテン、ハリス殿を下ろすのじゃ!」


 シブガキさんの声――。


「親父殿……なぜ杖を向ける。俺はここの領主だぞ?」


「冷静になれ息子よ。お主が今、乱暴に掴んでおるのはなんじゃ、ただの子供ではないか?」


 その問の後、辺境伯はしばらく黙った。そしてそっと俺を下ろした。

 咳き込む俺を気にもせず、


「ただの子供だと――老いたか親父殿、どこに目をつけている。こいつは海に浮かぶあの巨大なものを見て、ただの一言、船と言ったのだぞ?」


 呼吸を整えながらも会話は聞こえていた。

 内容も拾えるけど、何を言っているのか意味が分からない。

 あの船がどうしたのか、船と言っちゃダメだったのか?


「ハリス」


「大丈夫だ」


 フィオナの体を借りて立ち上がった。


「そうだな小僧、貴様はあれを船と呼んだなあ!」


「……言いましたけど、それが何だっていうんですか」


 流石に腹が立ち、子供ながらに声を上げた。

 見上げると、辺境伯が冷たい目つきでニヤついていた。

 何かを確信したような、勝ち誇ったような笑みに見えた。


「教えてやる、エルゴノイツにあんなものはない。キングズヘッドにもなあ。船は内陸の者が湖や川などへ出る際に使う、小さな木造の板のことだ……。確かにそうだ、貴様に言われて気づいた。水の上に浮いているではないか、ならばあれは船だ、今ではもう船と解釈できる。しかし!――あのような世紀の大発明に驚きもせず、軽々と船の一言で片づけてしまえる者はいない! 少なくともこの場には一人としていない。町にも王都にもだ!」


「グルテンよ、そこまでじゃ。時間がない。住民たちに避難命令を出さねばならん」


「ヒライジンが襲来する、町に避難命令を出せ、兵を海岸に集めろ!」


 一拍の間も置かず、怒りのままに傍の兵士に命令する辺境伯。シブガキさんを「これで満足か?」と睨みつけた。


「みなさん、宿舎に戻りますよ。旅行はおしまいです、すぐに支度をしてキングズヘッドを出ます」


 アレックス先生の表情がいつもと違う。

 大人の顔色じゃない。苦笑いを浮かべていて、まるで怖がっているみたいだ。


 それはフィオナも同じだった。


「フィオナ、どうしたの、何をそんなに怖がってるの?」


「ハリスは怖くないの、“飛来人ひらいじん”が来るのよ?」


「飛来人?」


「ハリス殿」


 シブガキさんだった。


「少しよろしいですかな。ハリス殿に是非会わせたい方がおるのです」


「親父殿?……」


 下山しようとしていた辺境伯が足を止め振り返った。それはまるで人の正気を問うような、浅く低い声だった。

 シブガキさんと辺境伯、二人はまた向かい合っていた。


「お主は先に行くが良い、儂はハリス殿にちと用があるでの」


 辺境伯は「……ふざけるな」と声を荒げず、冷静だった。静かな怒りを感じる。


「――何のつもりだ?」


「……ここらが潮時じゃ、お主もそう感じておるのではないか? 儂はハリス殿に、すべて任せようと思うとる」


「任かすだと……」


「あの子に会わせる」


 先ほどまでの荒立った表情をぶり返し「バカな……」と辺境伯はシブガキさんに詰め寄った。


「気でも狂ったか?」


 掴みかかりそうな勢いで、シブガキさんの前で止まり、


「あの子がエルゴノイツに渡ればすべて終わる、終わるのだぞ、すべてが!」


 言葉に出すほど怒りのボルテージが上がるタイプのようだ。徐々に声がデカくなる。

 シブガキさんは正反対だった。


「では飛来人に渡っても良いとな!」


 いきなり声を荒げた。急にスイッチが入る人だ。


「時間がないのだ、意味のない問答をするな!」


「大いにある!――占領されれば奴らに渡るのは時間の問題じゃ。ハリス殿ならあの子を守ってくれよう、この大陸で家族の次に信頼できる人物じゃ!」


「こいつは!――」


「――そうであったなら、なぜ王都内であの杖を生み出したのじゃ!」


 激情が急に途切れた。

 シブガキさんは穏やかな口調で、


「魔光石の熔解もそうじゃ、なぜ西ではなく、エルゴノイツだったのじゃ、ん?……答えはすでに出ておろう。少なくとも、ハリス殿は我らの敵ではない」


 返答は沈黙だった。辺境伯は苦渋の表情の末、納得したのかシブガキさんに背を向けた。

 そして兵士と共に、急ぐように下山していった。

 一悶着終わり――。


 シブガキさんは、少し森の中に入るからついてきてほしいと言ってきた。それも俺だけに。

 緊急時に何を悠長なことを言ってるんだ。


「アレックス先生、ハリス殿は儂が責任をもって門まで送り届けるでの。先に他の生徒とキングズヘッドを出るとええ」


 先生は困った様子だった。でも了承していた。先生も先生だ。


「ハリス、一緒に行かないの?」


 フィオナが不安そうに聞いた。


「それよりハリス、熊は大丈夫だったの、怪我とかしてない?」とダン。


「うん。なんとかなったよ」


「いやいや、何となくなるようなものじゃないだろ」ヨハネスは納得いかないらしく。「一体何をしたんだ、熊が真っ二つじゃないか」


「ガラスの剣で斬ったんだ」


「……剣が使えたのかい?」


「まさか。初めて使ったよ」


「……ますます理解できない。辺境伯の言う通りだ、デタラメだよ、まったく」


「フィオナ、二人を連れて先に馬車に乗ってて」


「私……もうハリスを置いていきたくない」


「同意見だ」とヨハネス。「さっきは君の男気を尊重した。だが下手をすれば死んでいたかもしれないんだ、二度も置いてはいかない」


「そうだよハリス、僕たちと一緒に下りようよ」


 林道の入り口で手を振っているシブガキさんが見える。

 指で3人を示して連れていってもいいか確認すると、首を横に振った。


「帰ったら、熊と対峙した時のことを話すよ。それから……発明の続きをしよう」


 王子に熔解の特許を取られて以来、俺は発明の話を一切しなかった。

 でも間違いだった。

 どんなことがあっても、作り続けるしかないんだ。俺はもうハリスなんだから。


 林道へ向かう途中、3人の声が聞こえた。俺の名前を呼んでいる。

 俺には飛来人とかいうものの脅威が分からない。

 多分、3人はそれを気にして心配してるんだろう。


「――門で待ってるから!」


 フィオナの声が聞こえて、俺は手を振った。



 〇



 随分と森の中を歩き進んだ。


 そこは林道で、隣合う木が影響し合いできていた。葉の隙間から差し込む木漏れ日が、無数に道の奥の方まで続いている。

 なんともノスタルジックな空間だ。


「――ハリス殿は異世界から来られたのですか?」


 シブガキさんが言った。


「……何を言ってるんですか?」


 立ち止まり、俺の顔をまじまじと見つめて、


「嘘が下手ですな。つまりですな、それが飛来人なのです」


 まだ何も答えてない。でもシブガキさんは確信しているみたいに、俺が異世界人だという前提で話を進めた。


「僕はジェンキンス公の息子ですよ?」


「過去、沖にあのような物体が現れたことはありませぬ。あれを船と呼んだ者も……。それに、ベンジャミン・ジェンキンスに息子はおりませぬ。娘も」


「だから隠し子ですよ、僕もシンシア姉も」


「ジェンキンス公という人間をよく知っている者には、それが嘘であることは明白です。初めてお二人のことを聞いた時、儂は胸が震えました。あのジェンキンス公が隠し子など……よほど信頼のおける者から託されたのだと思いました。何故なら当時、ジェンキンス公の愛した者もまた、西に住んでおったからです」


 ――孫は西に住んでおったのです。


 思い出した。海岸で、シブガキさんは俺にそう言った。


「その、西って何なんですか?」


「それは儂でなくとも話せます。息子は勘の鋭い男ですから、一目見て、あなたがただの人間ではないと気付いたのでしょう」


 辺境伯を通じて、シブガキさん自身も俺を疑うようになったという。

 そしてさっき、俺が「船」と言ったことで確信したのだと。


「ハリス殿が何者であるのか。それを議論している時間は、残念ながら今はありませぬ。それよりも、あなたに託したいものがあるのです。魔光石の熔解を発見し、王都に小さな革命をもたらしたあなたに」


 そこはまだ、日の差し込む林道だった。

 シブガキさんは「さあ、ここが入り口です」と紹介するように手を広げた。

 それがちょっと奇妙に思えて、


「……何してるんですか?」


「知る者にとっては入り口。知らぬ者にとっては、いくら歩けど林道」


 でもそこはただの道の途中だ。

 シブガキさんは「さあ、お先にどうぞ」と林道の先へ進むよう手招く。

 中腰になり、疑い半分くらいの感じで俺は踏み出した。

 一歩、二歩、三歩……。


「は?……」


 俺は林道じゃなく、薄暗い洞窟の中にいた。

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