第11話 修学旅行二日目

「ハリス、今朝はなんだか眠そうだね」


「これに懲りたら部屋抜けなんて止めることだ」


 ダンの呑気な、ヨハネスの紳士ぶった説教が聞こえた。

 フィオナはなぜか羨ましそうに、


「誘ってくれれば良かったのに」


 夜の海や森を見たかったらしい。

 出会った時は消極的なタイプに見えたのに、今では誰よりも好奇心に満ち溢れている。

 適当に返事をして、アレックス先生の説明にぼんやりと耳を傾けた。


 朝食を済ませてすぐ、生徒全員が浜辺のペンションの前に集められた。

 どうやら、これから四人一組のグループに分かれて森に入るらしい。


「いいですか、これからグループごと森に入ってもらいます」


 そこで昨日覚えた魔法なんかを活かして、昼飯を調達するのが目的らしい。


 メンバーは自主的に決めていいとのことだったので、ヨハネスとダン、それからフィオナと組んだ。

 フィオナは女子に人気があって引き抜くのに苦労した。

 ヨハネスが「ハリスには彼女が必要だ」と言うと、女子たちは受けいれた。

 まるで合言葉みたいだ。気味が悪い。


「今のどういう意味なんだ?」


「君の発明品をフィオナが店で売ってるんだ。噂の一つや二つ立ってもおかしくない」


「噂?」


「気にするな。それより僕たちも行こう。こんな面倒なことは早く終わらせるに限る。狙いはウサギだ」


 なぜ教えないのか、そっちの方が気になった。

 フィオナが頬を赤らめているから何となく想像できる。


「獲物を手に入れたグループはすぐに下山するように」


 先生の号令を背に、俺たちは森に入った。



 〇



「探すのが大変そうね」


 草木の密集具合を見て、フィオナが言った。


「先に水くらいは確保しないと」


 不安そうなダンに、そのうち見つかるだろうとヨハネスは余裕そうだ。

 最悪、俺にはあの物語がある。

 喉が渇いて野垂れ死ぬなんてことはない。


「しー、静かに」


 最初に見つけたのはヨハネスだった。森の途中に木々の途切れる開けた場所があって、そこに動物がいた。

 ヨハネスは手で俺たちにしゃがむように指示を出し、


「で、どうする?」


「手慣れた雰囲気出した割には相談するんだな」


「ウサギなら経験がある、でもあれはシカだ」


 他人事のように「うん、ウサギより大きいね」とダン。

 殺生なんて一番やりたがらないタイプだな。

 というか、二人とも俺より経験がなさそうに見える。

「やらないなら私がやるわ」


 フィオナが草木の陰から杖を構えた。


「やったことあるの?」


 俺が聞くと、


「うん。幼い頃、お父さんと森で……」


 少し沈んだ声だった。

 フィオナは工場区のあの店と家が一体になった建物に一人で住んでいる。

 幼い頃に両親は亡くなっているらしく、今まで遺産と修理業で生きてきた。


「どうするつもりなの?」


「そのための魔法でしょ、空圧を頭に当てるの。筆記でやれば気付かれずにやれる」


「分かった、やってみて」


「空の小粒」――は、朗読で約10分かかる。

 要約しても大体そのくらい、それが普通の人の詠唱時間だ。

 速記術でやって半分の5分とか……俺がやれば1分くらいでいける。

 ただし朗読なら俺がやっても5分は絶対かかる。


 フィオナはまだ速記文字を知らない。

 でも「線」の物語は暗記していて、筆記は使えるようだった。

 朗読はまずいだろうと筆記を選び、宙に書き出して杖から空圧が放たれるまでに、2分から3分くらいかかった。


「――当たった!」


 フィオナの嬉しそうな声が聞こえてすぐ、シカの頭に空圧が命中していた。

 シカはバランスを崩し前足が折れるように崩れ落ちた。


「誰が担ぐかはジャンケンで決めよう」


 余裕ぶるヨハネスに、ダンが、


「みんなで持とうよ、結構重たいと思うよ」


 二人の会話を遮る形で、俺とフィオナは声をそろえて「――あ!」

 シカは地面で踏ん張るようにして起き上がり、そのまま小走りで森の中に消えた。


 しばらく、俺たちは黙ったまま固まった。


 なんてバカなんだ……。


「フィオナの後に俺も一発撃つべきだった。そしたら絶対気絶させられたのに」


 完全に油断してた。

 溜息をつく俺とフィオナの背にヨハネスが、


「しょうがないさ。気を取り直して次を狙おう。逃した魚は大きいというけれど、どうしたって逃げられてしまう時はある」


「これは釣りじゃないよ、ヨハネス。狩りだ」


「獲物を狙うという点においては一緒さ。僕が言いたいのは」


「――気を取り直せってことだろ。今やってるよ、僕もフィオナも。ジャンケンはあとだ、行こう」


 流石にこの紳士を気取ったような能天気さに腹がたった。


 そこで、場所を変えるため立ち上がろうとした時だった。


「――待って」


 ダンが中腰の体勢を維持しながら、身構えていた。

 それは警戒しているように思えた。


「ダン、どうしたんだい?」


 気になったヨハネスが最初に訊ねる。


「声を静かに……何か聞こえる」


 俺たちは息をひそめた――。

 そこでぽつぽつと、途切れながらも聞こえる音があった。

 それは少しずつ、微かに増していく。


「こっちに来る……」


 ダンがそう言ってすぐ、森の中から一人の生徒が現れた。

 目の前の開けた場所で立ち止まり、息を切らし、額に汗を浮かべながら、視線をきょきょろと落ち着きがない。

 明らかに表情が普通じゃない、怯えているのか震えているよう思う。

 俺たちはそのまま草陰に潜んだ。声を落とした。


「出ていく?」とフィオナ。


 俺は言った。


「何かおかしい、様子を見よう」


「うん、普通じゃないね。猛獣は出ないと聞いてるけど、あれではまるで何かに追われているみたいだ」


「あれは確かエスターくんだよ」


 ダンが知っていた。

 ヨハネスが疑問を浮かべて「誰だい?」と聞くと、ダンは、


「ヨハネスくんの席がある列の、一番前の席に座ってる男子だよ。知らないの?」


「ダン、君はクラスの生徒全員の名前を憶えているのかい?」


「そういう訳じゃないよ。でも、エスターくんは優秀だから。ハリスほどじゃないけど要約が上手で、浜で練習してた時は魔法の詠唱速度も速かったから」


 ダンは優秀だと感じた生徒の名前は自然と憶えてしまうのだと言った。


 落ち着かない様子だったエスターの動きが、茂る森の一方向を見つめ止まっていた。

 見える横顔がそれまでよりも荒々しく沈黙している。

 その視線の先に、何かいるのか……。

 俺はそっと杖を構えた。


「ハリス?」


 フィオナが俺の腕をそっと掴んだ。何をするつもりなのかと問う表情で、


「様子がおかしいわ」


 その時点で、ヨハネスもダンも何かの気配を感じ取っていた。

 そして、茂みの奥からエスターの前に、静かに、のそのそと黒い巨体は現れた――。


「あ、あ、あ…・…」


 今にも叫び出しそうに開けた口を震わすエスター。細切れに吐く小さな息は、内に押し込めた恐怖が漏れ出ているように見えた。

 でも叫べば終わる。それが分かっているんだ。

 ――それは熊だった。


「ヒグマだっ!? んんん……」


 声を出しそうになるダンの口を、ヨハネスがとっさに押さえた。

 杖を握る手の甲に触れていたフィオナの手が、そっと離れた。自分たちにはどうすることもできない、そう悟るように。


「先生を読んで来よう」


 ヨハネスはそう言った。

 ただそれは同時に、エスターを見殺しにすることにもなる。


「ヨハネス、ダンとフィオナも連れていってくれ」


「ハリス、君は?」


「熊の気を逸らす」


「正気かい?」


 小声で、ヨハネスは無茶だと訴えた。出来っこないと言った。


「今やらないとエスターはおしまいだ。熊の気を引き付けて、その間にエスターを逃がす」


「私も残る」フィオナが言った。


「ダメだ、二人と下山して」


「二人同時に熊の足に空圧を当てるの。そしたら何とかなるはず」


「……でも」


 時間がない。

 悩んでいる間にも、熊はエスターに迫ってる。


「ヨハネス、ダンを連れて行って」


「分かった。行くぞ、ダン」


「う、うん」


 俺とフィオナはすぐに杖を向け、詠唱に入った。

 フィオナは朗読、俺は速記術でだ。

 俺が先に終わり、立ち上がって草陰から姿を現す。


「こっちだ!」


 熊の気を引き付けるため、大声を出した。

 熊がエスターからゆっくりと体をこちらへ向けた。

 フィオナが立ち上がり、杖を構えたまま俺の横に並ぶ。朗読もそろそと終わりそうだ。


「エスター、走れ!」


「え……」


「いいから走れ!」


 俺の声に戸惑いながら、エスターは森の中へ走っていった。


「フィオナ、右前足だ!」


 フィオナの朗読が終わり、それに合わせて俺も筆記を終える。

 ――空圧が飛んだ。

 熊がゆっくりと動き出した。土を踏みしめる力が強く、前進する速度がどんでもない。

 でもトップスピードに入る前に、狙った部位に空圧が当たった。

 思ったよりも上にずれた。


「よし!」


 でも熊は右足を内側にひねらせ、速度に乗ったまま、ずりこけた。

 熊が転倒して、足の裏に振動が伝わってきた。


「ハリス、やったわ!」


「フィオナの言った通りだ、すごいよ!」


 これほど上手くいくとは思ってなかった。


「さあ、僕らも下山して……」


 ――のそっとした音が聞こえた。


「そんな……」


 熊がもう起き上がっていた。


「早過ぎる」


 気絶してない。

 かなり豪快にこけたはずなのに無傷だ。

 起き上がって、体をねじって毛を軽く震わせながら、体についた砂をはらっている。


「フィオナ、走れ!」


 俺は叫んだ。

 フィオナを先に逃がさないダメだ。


「でもハリスは?」


「足止めする。そんなにすぐに先生は来ない。もう誰かが残るしかない。なら僕だ」


 詠唱を始めた。

 ガラスの直剣がどこまで通用のするのかは分からない。

 これでハルネさんの言葉が嘘かどうか分かる……。

 いや、剣なんてどうやって使うんだ。剣道すら習ったことがないんだ、あんな分厚い巨体、斬れる訳ない。


「ハリス……」


 左手に剣を握った。

 あえて右手にまだ杖を持ったまま、片手で剣を取った。


「行くんだフィオナ、君まで死んでしまう!」


 砂を微かに蹴る音がして、「ごめんなさい」とフィオナの涙声が聞こえた。

 それでいい。

 俺は、目の前の熊と対峙した。


 思い出せ、思い出すんだ、ラッセンの魔法を。

 あれが魔法だ。俺の知る限り、あれが唯一、攻撃という手段になり得る魔法の形だ。

 人を殺すための夢をラッセンは言った。どこか儚い声色だった。

 でも、それほどにあれは脅威的だったんだ。

 ラッセン自身がそうだと思えるほどに。

 あれなたこの熊をなんとかできるかもしれない。

 俺は、死ぬつもりはない――。


「やってやる……」


 ――それはそれは美しい水だった。


 枯れた鉱山の町の、通りの隅で、初めてラッセンの朗読を聞いた。

 その時の声が、記憶の中で何故か美しく聞こえる。

 俺は杖を宙で走らせ、速記文字を書き始めていた。


 杖の中はおろか、俺はあの物語を持っていない。

 持っていない物語を再現することはできない。

 あれはそもそもラッセンの所有物だ、俺が使えるはずもない。

 でも俺は使ってみせた。

 水はグラスの底から確実に現れていた。


 ――所有権は、所有者を殺すと殺した者に移るのです。


 シブガキさんの声が記憶の中で聞こえた。

 そうだ。あの物語の所有権を、既にあの時点で俺は持っていた。

 ラッセンの死後、俺に移ったからだ。


「俺が殺したのか?……」


 ラッセンを殺したのは俺か……。

 思い出せない。

 気絶する直前、俺はジェラルドさんを救おうとラッセンに向かって走った。ラッセンに手を伸ばしていた。

 そのあとが分からない、思い出せない。

 でも、そうじゃないと説明がつかない。

 この世に原本がなく、所有者も死んでいて、それを俺が使える理由はなんだ、どこにある……。


「そんな……」


 文字を書き終えた時、波の音が聞こえた。

 頭上を見上げると、あの時ラッセンの背後にあったものと同じものが、背後から俺を包んでいた。


「嘘だろ」


 ショックだった。

 その光景は、その荒々しい水の姿は、あの日の証明でしかない。


 ――俺はラッセンを殺していたんだ。


 迫る熊。

 近づいてくるにつれて存在を増し、大きさが増し、暴力的に俺の命に差し迫る。


「くっ!」


 俺の感情が一瞬、避けることえを拒んだ。ラッセンを殺した事実を受け入れられない。

 でも何かが正直に反応したのか、背後の水が体を押し流し、熊から守った。

 辺りの土が濡れていく。ただ水の体積が減ることはない。

 熊は足を滑らせながらも踏ん張り、止まった、

 振り返り、また俺を睨んだ。


 一向に荒々しいまま、背後で波の音がする。目の前の熊を威嚇するかのように。

 抱く危機感や、極小の闘気や殺意が、水に反映されているかのように思えた。


 迫る熊に水流を送りながら横に回った。

 そして剣を構え、脇腹に向かって斬りかかった。


「うぐっ!」


 刃が通らず、弾かれ、剣が手を離れた。宙を舞った。

 それをまるで反射的に水が追いかけて掴んだ。

 背後で一つにまとまる水は、まるで狐の尾のように見えた。先端には掴んだガラスの直剣が握られている。

 魔法が覚めぬまま、水の尾は熊に向けて波音と共に迫った。

 ――その後は一瞬だった。


 尾は、まるで触手のようにしなった。剣を巧みに振り乱しながら、確実に熊の体を切り裂いた。

 くねる水の残像の中で、細い血をまき散らしながら弱っていく。

 そしてある一瞬か二瞬、胴体の前と後ろで別れ、きれいに両断したロールキャベツのようになった。


 熊は動かなくなった。

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