第10話 修学旅行一日目
馬車二台分はある幅の広いアーチ状の門をくぐり抜けると、目の前に白で統一された町並みが広がっていた。
連ねている建物の壁面や屋根が白い。
既に出迎えてくれている大勢の人の姿があり、
「キングズヘッドバレーへようこそ」
門の周りから木立のない遠景の丘に向かって、町民による道が作られていた。
王都の大通りに暮らす富裕層の人たちと比べても、差異のない華やかな身形だ。
魔光石の産地だって話だけど、よほど裕福な町なのだろう。
表の面だけを見てはいけない――いつかの馭者の言葉を思い出し、町を通り抜ける途中に何度もあった交差点から、通りの遠くへ目を向けた。
でも王都のように、深く見つめるほど暗さを帯びていくような気配は感じられなかった。
丘の途中にある屋敷の前で馬車が止まり、順に各場から生徒が降りてくる。下り坂にはまだ馬車の列が続いている。
そこは一旦、平面だった。丘はまだ続いていて頂上はそう遠くない。
辺りはまるでくり抜いたかのように木が生えておらず、一面芝生で整えられていた。
ただ丘を下りた左右にはそれなりに深そうな森が見える。
屋敷は右の森を背に建てられていた。
中は森の洋館だ。玄関ロビーに大階段――二階の左右向かって続くT字の階段。レッドカーペット。高すぎる天井とシャンデリア。
馬車を下りた生徒から中へ入り、これから数日使うことになる部屋へ案内された。
男子は階段を上がって左の棟、女子は右。一部屋三人部屋で、ヨハネスとダンが一緒だ。
「フィオナとは部屋が別なのか」
「彼女なら大丈夫だろう、貴族ともいい関係を築けているみたいだ」
この手の話をするとヨハネスにいつも言われるのが、
「ハリスは貴族のくせに、貴族を悪人のように見過ぎだ」
「そうかなあ」
「庶民の言う“貴族は汚い”とは大人の話だ。何も子供のころからそうだった訳じゃない」
「二人とも、先生が荷物を置いた生徒は、杖だけ持ってすぐ頂上に集まれだって」
遅れて部屋に入ってきたダンがそう言った。
〇
丘には頂上に向かって一本の登山道が通っていた。
入り口の立て看板に「キングズヘッドヒル」と書かれてあったけど、その言葉をやたら見かける。
キングズヘッドとはなんだろうか、王の頭?……。
登山道は木製で手すりまでついていた。
上っている途中、丘から引き返してくる町の大人や子供とすれ違った。
大して高い丘でもないのに、一体何を目的に上っていたのか。
そう思いながらヨハネスやダンと頂上に辿り着き、俺たちは想像もしない景色と巡り合う。
「海か……」
眼前に広大な海が広がっていた。
丘は町と浜辺とを繋ぐ中間地点だったんだ。
浜に向かってまた登山道が通っていて、町民や学校の生徒たちの姿が見えた。
ダン曰くアレックス先生は頂上へ集合とみんなに言った、なのに先生は浜辺から手を振っていた。
「まったく、アレックス先生も粋な計らいをしてくださる」
ヨハネスがなんだか紳士ぶった表情で優雅に微笑んだ。
「二人は南に海があることを知らなかったのか?」
もちろん俺は知らなった、知るはずがない。だから驚いてる。
丘の左右が森林地帯だから、おそらく浜への道はここしかない。
それで町の人を何度も見かけるんだ。
「ヒューブリッツ伯の屋敷があるとは聞いてたけど、町のことまでは。だからそれがキングズヘッド湾の傍にあるということも知らなかった」
「キングズヘッド湾?」
「この海のことさ。その昔、闇の王がここで斬首刑に処された、まあ古い逸話だけどね」
この世界にもおとぎ話の類があるらしい。
浜辺へ出ると陽気な雰囲気のアレックス先生が、
「みんな、どうだい海の感想は!」
先生のはじけた顔をみるのは初めてだ。
いつも教室では真面目で、微笑みといってもそれは慈愛の類で建前的なものも感じられた。
でも今のアレックス先生の表情には年相応のほとばしりが見える。
海と波の音を背景に、先生は額の拭う。
日光にライトアップされ、先生は誰よりも青春の真ん中で笑っているようだった。
「なあ二人とも、海ってそんなに珍しいのかなあ?」
「どうだろう。海は南にしかないって聞くけど、修学旅行でもなければ来ないんじゃないかな?」
ダンもヨハネスも生で見るのは初めてだという。
他の生徒の様子からして、みんなそうなのだろう――海水をかけあったり、海を走ったり。
ローブが濡れることお構いなしに楽しそうだ。
「あ、フィオナ……」
生徒たちが戯れている中、一人、海と浜の堺で海水に小さな容器のようなものを近づけ、何かをしている彼女の姿を見つけた。
「フィオナ、どうしたの?」
フィオナは小瓶に海水を詰めていた。
それをどうするつもりなのか。
「海は珍しいから。ほら、これももしかしたら発明の役に立つかもしれないし」
こんなとこに来ても発明のことを考えてるのか。
「確かに。火で炙ると塩が作れるという話は聞いたことがあるねえ」
「確か、王都に運ばれてくる塩の産地もここだったよね」
何故だか盛り上がり始める3人。
「3人とも、海に来たんだし研究はおいといてさ、日光浴とか、もっと他のことしようよ」
海の広大さが王都での嫌な記憶を忘れさせてくれそうだった。
なのにこの3人が……。
「海水を汲むならこれを使いなさい」
吸い込まれそうな二つの穴が現れていた。
それが人の目玉だと気づく前に、俺はなぜだか緊張していた。額に汗をかいていた。
日照りのせいかもしれないとは考えられなかった。
気圧され、呑まれ、息を浅くし、表情は引き攣っていたかもしれない。
「完全に密封できるから、海の成分を逃すことがない」
「…・…ありがとう、ございます」
フィオナは気圧されていないのか、普段と変わらない様子で答え、早速海水を汲んでいた。
他の二人も瓶をもらい、同じくしていた。
「日光浴か、それもいいだろう」
老齢というには、少し逞し過ぎる……。
二メートルはある背丈と熊のような分厚い肉体。
腕なんか、俺の太ももくらいあるんじゃないだろうか。
口元をすだれのような白い髭で隠し、その人は俺に言った。
「しかし若き探求者たちの邪魔をしてはいけない」
音もなく、素通りしていった。
俺がその人の言葉について考えたのは、それから十秒か二十秒くらいしてからだった。
「ハリス、君もこっちに来て確かめてみないかい、この水、家の塩よりしょっぱいんだ!」
ヨハネスがそう言って、ダンとフィオナが手を振っている。
俺は、この3人にとって邪魔なのだろうか――。
しばらくして、アレックス先生が集合をかけていた。
どうも聞き逃していたのか、目の前で海水を採取していたはずの3人が遠くにいた。
ヨハネスはもう集まる生徒の中にいて、少し遅れて合流するダンの姿があり、
「ハリス、私たちも行こ」
立ち止まる俺に気付いたフィオナが、声をかけてくれていた。
「う、うん……」
小走りでフィオナに追いつき、他の生徒から少し遅れて合流する。
「遅刻ですよ、フィオナくん、ハリスくん」
青春が晴れ、アレックス先生は普段の顔に戻っていた。
その隣にはさっきの大きな老齢の人がいて……。
「……」
俺はまた、吸い込まれそうなその二つ穴に緊張していた。
ただ老齢の人はすぐに目を逸らした。
そして逸らされた瞬間の感触というのが、まるで失望された際の喪失感のようで、俺は自分の感覚というものが分からなくなってしまった。
他の生徒へも同様の視線はあって、その内の一人に過ぎないかもしれない。
――そうは思えなかった。
その人は、視線で俺に言ったんだ。
買い被りだった、失望したと。
「生徒諸君、健やかな毎日を送っておるかな。私はグルテン・ヒューブリッツ、この地で領主をしている――」
俺は多分、初見の一瞬か二瞬で、その人が誰か気付いていたんだろうから……。
夕暮れが東に消えかかるまでの間、俺たちは浜で杖の使い方についてレクチャーを受けた。
全部は把握してないけど6年生のクラスは3つ以上あった気がする。
広々とした浜に沿って広がり、各クラスごとに同じものを練習した。
等しく配られたのは人に当たっても害のない「空の小粒」という物語だった。
海に向かって杖を構え、それぞれ要約文を朗読し、誰が一番早く空圧を放てるか競いあった。
いくら放っても波打つ程度だから、海はもってこいの場所だった。
俺がガラスの直剣を出す場合、速記術で一分程度かかる。一分間、手を休めることなく書き続けないといけないから難点ではある。
ハルネさんが言っていたのは剣だけの話で、世辞だろう。
「空の小粒」は元々が短編で、おとぎ話並みの短さだった。
そもそもが要約文のようで、そこからさらに短くまとめるのは少し難しかったけど。
――俺が最初で、一番早かった。
全クラスの生徒の前で海上の水が激しく上空に弾け跳ぶと、浜辺は十数秒静まり返り、その後にクラスのみんなから称賛された。
口元が自然と緩んだ。
ある生徒が「俺たちのクラスが一番だ」と他クラスを煽り、そこから一触即発のムードが始まった。
揉め事は好きじゃなかったけど、何故だかその時は楽しかった。
自分がみんなを先導していると錯覚したのかもしれない。
それも束の間、砂浜で俺たちを見つめるヒューブリッツ辺境伯と目が合ってしまった。
空に群青色の闇が広がる頃には、また丘を登った。
風呂と夕食を経て一日目が終わった。
〇
修学旅行というより合宿みたいだ。
ヨハネスとダンは不満一つもらさず、就寝時間の22時を過ぎても、真っ暗な部屋で魔法初体験の感想と発明の話をしていた。
深夜1時を過ぎる頃には二人とも寝むっていた。
夜の砂浜で一人、寝付けない時間の暇をつぶす。
体育座りで、だらけながら、夜の海に「空の小粒」を詠唱し、空圧を飛ばす。
飽きてきて、今度はガラスの直剣を出して放り投げた。字が雑になるにつれて剣も脆くなる。
ガラスにひびが入るようになり、何度目かに出した剣が軽く力んだ瞬間に柄が砕けた。
「痛っ……」
手の平を軽く切ってしまった。溜息が出た。
ただ、川や湖に向かって無駄に石を投げる人の気持ちが分かった気がした。
その時、ふと浜に人影が見えた。
目が慣れるまでに少しかかり、それまでは暗闇に錯覚を見たのかと思ったけど、人だった。
「……シブガキさん?」
疑わしくはあった。
でもそれは、紛れもなくシブガキさんで……。
以前よりも腰が曲げて立っている。手には杖が見えた。
歩きにくい砂上を踏んばりながら、俺は歩み寄った。
「久しいですな、ハリス殿」
目の前まで来ると、王都にいた頃と違う口調があった。雰囲気もまるで違う。
漠然と見開く眼が海を見つめている、こちらに振り向くことはなく。
表情はしんとしていて、口だけが動いた。健康的な声だった。
「……なんで、ここにいらっしゃるんですか」
――どうしてキングズヘッドに。
療養中だという話だけど、この辺りが住まいなのだろうか。
「昼間、授業の様子が見えとりました。実に見事な魔法でした」
シブガキさんは近くに見える、浜辺の家を指さし、
「あれが儂の家です」
それは昼間にも見た二階建てのペンションだ。
ちょっとした豪邸で、浜と森の堺に建てられている。
「あれは確かヒューブリッツ伯の家だったような……」
「息子も住んでおりますよ、もちろん」
「息子って」
辺境伯のことを言っているのだろうか。シブガキさんは海を見つめたまま沈黙した。
会話が止まると波の音がよく聞こえ。
――背筋に悪寒が走った。
瞳孔の開いた丸い眼が、すうっと俺を見つめていた。
顔の半分は月光に照らされ、もう半分は中心から離れるほど暗く隠れている。
「あの杖を見た時は眼の奥が熱くなりました。込み上げる想いを奥歯でこらえ、儂はあなたを、あなたのすべきことへ案内した。良いものを見せてくださった」
病的なくらいにやつれていると思った。
でも言葉の一つ一つははっきりしている、以前よりも。
「その……辺境伯は、シブガキさんのご子息だってことですか?」
「いかにも」
「じゃあ、シブガキさんの姓は……」
「儂はヒューブリッツではありませぬ。グルテンは婿養子なのです」
「そうなんですか……。お聞きしたいんですけど、ラッセン・ヒューブリッツは」
「――孫です」
「……そうですか」
「あれも王都では中々な地位におりましたでしょう。最後はエルゴノイツに利用され……。孫とお会いになったことはありますか?」
「はい、何度か」
「そうですか。評議員ともなると自由に会うこともできない、死んでしもうては尚更です」
「ラッセンさんは、僕に物語を教えてくれた最初の魔法使いでした」
「……ほっほっ、孫がですか。まあ、魔法使いではあったのでしょうな。ただ世間が認めているほど立派ではなかった。孫が魔法師であったことには理由があるのです」
「え、ラッセンさんが魔法師!?」
「ご存知ありませんでしたか、なるなる……。となると、ハリス殿は孫が持っていた物語についてもご存じない?」
「えっと、グラスを水で満たす本のことですか?」
他言するなとジェンキンス公は言ったから……。
明確に口にしていいものかどうか迷った。
「農夫の愛したグラス一杯の水――思えばあれが、孫の運命を決めてしまったのかもしれません」
「運命、ですか……」
「水を現す物語は、あの一冊しかないのです。孫は評議員になるため、グルテンの書斎から本を盗み出したのです」
ラッセンは死んだ父親の形見だと言っていた。
あれは嘘だったのか?……。
「だから魔法師になれたんですか、あの物語を持っていたから?」
「享年25歳、その若さで評議員ですよ。天才などという軽い言葉では説明にもなりませぬ。魔術師評議会は、あの物語を手元に置いておきたかっただけです。しかし失われてしもうた……」
「失われた?」
魔術師評議会にとって、重要なのはラッセンではなく物語だ。
だたし、あの物語はラッセンの所有物だった。書斎から盗み出された時点で、父親――グルテンは息子に譲るため所有権を放棄していたのだという。
ラッセンの死と共に、シブガキさんは「農夫の愛したグラス一杯の水」の消滅も知ったという。
「いずれにしろ、孫は殺される手筈だったのでしょう。孫と本には目印がつけられておったのです」
評議会は常にラッセンと物語の位置や状態を確認できたという。
それは魔法的な何かによって認知することができたらしい。
だからラッセンの死にも、本の消滅にも気付けたのだとシブガキさんは話す。
「農夫の愛した水は失われた……」
「……失われると、どうなるんですか?」
「無論、物語がこの世から消え、もう誰もそれを使うことはできなくなります」
それはおかしい。
だって俺は、ジェンキンス公の屋敷で「農夫の愛したグラス一杯の水」を使った。
手元に物語はなかった。ラッセンがくれなかったから。
でも普通に使えた。そういうものだと思ってたから疑いもなかった。
そういえば……。
ジェンキンス公が本もないのに物語を使うなと言っていた。
思い出した、それで標本をくれたんだ。
ん、つまりどういうことだ?……。
「その、たとえば手元に本がない場合に、何か魔法を起こしたとして、一体どうなるんですか?」
「ん、どうなるとは?……。どうもなりますまい。使えぬのです、何も起きませぬ」
訳が分からない。
俺が間違っているのか、それともシブガキさんが間違っているのか。
もしくはこの人は嘘を言っているのか。
でもそうは見えない。
「所有者と本は消滅した。じゃあたとえば、今この世の中に、あの水の物語を使える人がいたとして、シブガキさんはどう説明しますか?」
俺に問に、シブガキさんは「変わったことを聞かれますなー」と海を見た。
今回の沈黙は長かった。
しばらくして「可能性としては……」と言葉が始まり、また何拍かの間があり、
「ラッセンの死のどこかに理由があるのでしょうな、あくまで妄想の類ですが」
俺は仮定の話だということを忘れ、
「死ですか? 一体どんな死に方をすれば物語は……」
「血の盟約です――所有権は本に自分の血を垂らすことで得られ、もう一度行えば解除できます。しかしです、奪おうとする者にとってこれは面倒でしかない。では企む者はどのような手段を取るのか?――所有権は、所有者を殺すと殺した者に帰属するのです」
――だからラッセンはいずれ評議会に殺された。
そういうことか。
「な、なるほど。理解できました。でも、あの物語は今この世にない訳ですよね。それで誰かが使えた場合は……」
「――可能だと思われますか?」
シブガキさんは俺の目をじっと見つめて言った。
呑み込まれそうなその眼は、辺境伯と似ている。
「孫は物語のみで魔法を行ったそうです」
「……それが、どうかしたんですか?」
「魔法は杖で行うものです、まだご存知なかったですか? 孫は外法と呼ばれる手段をとったのです、何のためかは知りませぬ。ただ、それを行えば永久に物語は失われるのです」
杖は物語を攻撃に転換する。
でもラッセンは杖を持っていなかった、本一冊だけだった。でも水には勢いがあった。
とすると、あの時ラッセンがジェラルドさんに向けていたものは、すべて魔法だったということだ。
俺は気絶してしまい、最後までは見ていないけど、あの空高く打ち上がった噴水――あれは外法によるものだったのか。
でも、俺はその後に物語として使っている。
「ハリス殿。一つ仮説を言わせてください」
「はい……」
「もしそれが可能であったとして。となると、それは物語が本に依存するものではない、ということになりませぬか?」
「本に依存しない、ですか?」
「物語と本は一つのものです。国が所有する原木から作られた紙に、エルゴノイツの文字で物語を記す。するとそれは現象となる。魔法にもなる。ですが実は別個のものであった――つまり、物語は単一の存在であるということにならないでしょうか?」
単一の存在……。
分からない、どういう意味だ。
「それ以上は何とも言えませぬな、あくまで仮説です。それに、儂は発明家ではありませぬ。あるいは息子なら、何か知っているやもしれませぬが」
「グルテンさんですか……。でも昼間、多分、何か失望させてしまったかもしれないんです」
「失望?……」
「目が合った時そんな気がしたんです……。何か僕のことを話されてませんでしたか?」
「さっぱりですなー」
「そ、そうですか……」
「息子は感覚が鋭いのです、儂以上に長けている。ハリス殿に何かを見たのやもしれませぬな」
明日から本格的な授業が始まるそうだ。
そろそろ部屋に戻った方がいいと、シブガキさんは言った。
あくまで仮定の話だという建前上、これ以上、水の物語について詮索しない方がいいだろう。
真面目に聞き過ぎれば、それだけ現実味を感じさせてしまう。
ジェンキンス公のいいつけは、やっぱり守った方がいいのだろうし……。
「――孫は最後、どのように死んだのですか?」
丘に向かって数歩離れた時、シブガキさんの声が聞こえた。
「はい?……」
「儂にはひ孫もおりましてな。孫は若くして妻と子を授かり、西に住んでおったのです」
「そう、だったんですか……」
「ハリス殿――」
振り返ると、シブガキさんの空虚なぎらついた眼が見ていた。
「――孫は西に住んでいたのですよ」
同じことを繰り返した。
声色をまったく変えず、まるで初めて話すかのように言った。
その眼は、まるで、何かを探っているような、観察しているように思えた。
俺の反応を見ているのか……。
「休まれてください」
でもしばらくして、シブガキさんは優しく微笑みそう言った。
丘の途中で振り返ると、シブガキさんの姿はまだ浜にあった。
そこでふと思いだした――ラッセンの言葉だ。
ラッセンはジェラルドさんに叫んでいた。
――妻も娘も、みんな奴らに殺された。
奴ら?……。
何だ、ラッセンは誰のことを言ってたんだ。
「ラッセンは西に住んでいた。若くして妻と子を授かり……」
西に何かあるのか?……。
シブガキさんは、なんで俺にそんなことを言ったんだ。
さっき、俺の何を確認していたんだ。
あれは、確かに何かを確認している眼だった。
何かまだ、シブガキさんに聞かなきゃいけないことがある――。
「――就寝時間のはずですよ、ハリスくん」
引き返そうと浜に体を向け、最初の一歩を踏み出した時だった。
「あ……」
丘の頂上からアレックス先生が見下ろしていた。
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