第3話 王都のジェンキンス公

 山道をこえると、眼前に王都は現れていた。


 山脈に背中をあずけるように建てられた城と、囲む城下町。巨大な防壁。

 防壁の外にも点在する村や小さな町がいくつか見える。

 王都を中心に人が集まっているようだ。


 長旅のせいで俺もシンシア姉もくたくただ。

 これほど長い旅は初めてだった。

 馬車に乗っていれば言っている間につくだろう、そのくらいの甘い考えだった。


 名もない村や町に何度も立ち寄った。

 知らない土地の知らない宿。ベッドが痛かった。

 でも慣れ親しんだ家やベッドはもうない。


 家なら森にある木でも切って、自分たちで建てればいいとも思った。

 でも教会で目が覚め、シンシア姉の話を聞いていた時に思った――もうあの家にも、街道にも、町にも戻れないんだ。

 それは俺というより、この体に残るハリスの感情だったかもしれない。

 でも俺は本心でそう思い、それがなんだか今も悲しい。




 衛兵に止めれることなく、馬車は王都の出入り口――南の大門を通過した。

 出入りが頻繁だからか門の警備は軽いように思う。

 いつもあんな感じなのだろうか。


「もう布を取っても大丈夫でしょう、むしろここでそんな恰好をしていたら怪しまれます」


 馭者がそう言うので、頭を締め付けていた暑苦しい布を取った。

 テレシアさんに言われて、素姓を隠すためにつけていたものだ。


「ハリス、見て!」


 シンシア姉が興奮しながら、馬車の外を指をさした。


「うわあー!」


 俺も同じように声をだして驚いていた。


 隙間がないくらいに寄り添って立ち並ぶ建物の数々。それが平面から坂道に向かって遠くの方まで続いている。

 様式は結構いい加減な気がする。レンガや石造りのもの、赤や白といった色々な色の屋根。

 でも枯れた鉱山の町とは大違いだ。


 坂道の頂上に、象徴的な城が見えた。あそこに王様が住んでいるのだろうか。

 どうやって建てたのか不思議に思えてくるほどの姿だ。


「お二人とも、表の面だけ見てはいけませんよ」


 馭者の言葉に、俺たちは窓から顔をひっこめた。


「ここは大通りです、貴族や王族も通ります。もちろん国王だって外に用がある際はこの道を使うでしょう。だから綺麗に景観をそろえて道も舗装してるんです。裏通りは違いますよ。まあ、これからジェンキンス公にお会いになるのですから、お二人には無縁の世界でしょうが」


 長旅で何度か話すこともあったからか、馭者は少々余計なことまで言うようになっていた。

 なんだが気分を台無しにされた感じだ。

 シンシア姉もさっきまで目を輝かせていたのに大人しくなった。


「お二人にはまだ早かったですかね」


 裏通りはおそらく廃れているのだろう。

 それなら近所のあの町がそうだったから知ってる。


 しばらくして、大きな屋敷の門の前で馬車は止まった。


「ここがジェンキンス公の邸宅です。伝書はちゃんと持ってますね」


「はい」


「良かった、それをなくさないように。それでは私は戻ります。ちゃんと送り届けたことをお伝えしないといけませんので」


「え、もう帰っちゃうんですか?」


 長いこと旅をして今着いたばかりだというのに。

 邸宅に寄っていかないのだろうか。


「私はお二人のことは知りません。ですがその髪色を見れば、ただの平民でないことは分かります」


 ジェンキンス公も同じだと馭者は言った。

 自分は誰が見ても根っからの平民だから、むしろ傍にいない方がいいと。

 そんなことより、よく知らないのにここまで送り届けてくれるとは……。

 いい人だったかもしれない。


「ここまでありがとうございました」


「これが仕事ですから」


 馭者は俺たちを降ろすと、軽く手を振って来た道を戻っていった。


 と、誰もいない門の前に置き去りにされてしまった訳だが……。


「シンシア姉、ここからどうすればいいんだろう?」


 シンシア姉は格子の門から中を覗いていた。


「シンシア姉?」


「待って、誰かくるわ」


 シンシア姉に習い門の中を見ると、黒いスーツに銀の鎧という、なんとも見慣れない姿の女の人が近づいてくる。

 艶のある長い黒髪を後ろで一つにまとめているみたいだ。

 シンシア姉ほどではないが美人。

 腰にレイピアみたいな剣が見える。

 騎士か何かだろうか。執事にも見える。


「私はこの家に仕えている、執事のハルネと申します」


 執事だった。

 距離を保ち門越しに話しかけられた。


「旦那様に何かご用でしょうか?」


「伝書があります」


 シンシア姉が俺から伝書を奪った。


「テレシアさんに言われて来ました。そうジェンキンス公にお伝えてください」


 執事のハルネさんは鋭い目つきで俺たちを見た。

 警戒もあるだろうか、観察されている気分だ。


「旦那様は現在留守ですが、中でお待ちになられますか?」


「はい、中で待ってます!」


「ちょっと、ハリス……はい、そうさせていただけますか?」


「……では門を開けますので、中へどうぞ」


 思わず俺が答えてしまった。

 待ってましたと言わんばかりに元気よく。


 シンシア姉にちょっと睨まれながら、ハルネさんに案内され、俺たちは中へ通してもらった。




 屋敷の中へ通されると、まずドでかいロビーに迎えられた。大きな階段にシャンデリア。まるで洋館だ。

 以前の家が丸ごと余裕で入りそうなほどの広さだった。


「旦那様はしばらく帰ってこられません。どうでしょう、ただお待ちいただくのも退屈させてしまいますので、お風呂などは?」


 今になって気付いた。

 俺たちは長旅でかなり汚れていた。


「替えの服も用意させていただきます」


「すみません、甘えさせていただきます」


 シンシア姉がそう答えるのを待ってから、俺は笑みを浮かべた。



 〇



 俺は今、極楽浄土にいた。


 それはそれは大きな浴槽だ。

 広さだけならプールみたいなもんだ。いやそれ以上か。

 湯気のせいで先が見えないけど、風呂なんて短い名前で例えられるような大きさじゃない。

 風呂の端で、ライオンみたいな像やエジプトのホルスみたいな像の顔からお湯が流れている。

 天井も高い。

 無駄に無駄を重ねた至福の空間。

 流石は金持ちだ。


「――お背中をお流しします!」


 急に背後で誰の者とも知れないハモった声が聞こえ、俺は「はい?」と振り返った。


「な、なんだなんだ!?」


 浴室に素っ裸の二人の少女の姿があった。

 二人とも両手にタオルを持ち、今にも襲い掛かってきそうな雰囲気で腕を構え、一歩一歩ゆっくりと近づいてくる。


「いざ、洗浄洗浄―!」


「ぎゃあー!」


 俺は立ち上がり、大事な部分を押さえながら浴槽の中を走り回った。


「待てい、逃げることないよー!」


「そうだよそうだよ、背中を流すだけなんだから!」


 一人はそうでもない、もう一人は片言だ。意味不明なことを言って追いかけてくる。


 なんとか生き延びて浴室から更衣室へ逃げた。

 振り向くと二人の女はまだ追いかけてくる。

 目がぎらついている。このままじゃヤバイ。服なんか着てる場合じゃない。

 俺はタオル一枚をさっととって、そのまま更衣室を出た。


「え、シンシア姉!?」


 廊下で、出会いがしらにシンシア姉とぶつかった。


「ちょっとハリス、何よ急に……って、え、裸!?」


「シンシア姉、これには訳が! って、そんなことよりヤバイんだ、なんかものすごく怖い女の子二人が追いかけてくるんだよ!」


「ものすごく怖い女の子?」


「なんで逃げるのよ!」


「洗うだけー、背中流すだけー!」


「ほら来た!」


 二人の珍妙な生き物が俺たちの目の前に立った。

 終わりだ――。


 その時、少女たちの背後に大きな影が現れ、後ろから二人の後頭部を何かが強打した。

 二人は声をそろえて「痛てっ!」と声を出して頭をおさえた。


「カプレ! チャウ! あんたら客人の前で、なんてはしたない恰好してんだい!」


 それはメイド服を着た大きなおばさんだった。

 廊下の天井に頭がつきそうなほどデカい。


「二人とも、これで前を隠しな!」


 バスタオルをかけられると少女たちはおとなしくなった。

 さっきまで化け物に見えていた二人は普通の女の子だった。


「ハルネに言われて来てみれば……これは一体、どんな状況かな?」


 それは最悪の出会いだった。


 俺とシンシア姉の後ろに、ブロンドの長い髪をした美男子が立っていた。



 〇



 清潔な服に着替えた俺とシンシア姉は、談話室で待たせれていた。


 落ち着いた雰囲気の中ふかふかのソファーに座り、テーブルをはさんだ向かいにはもう一つ同じソファーがある。今は空席だ。


 部屋の扉が開き、先ほどのブロンド美男子が現れた。

 その後ろにはハルネさんの姿もあった。


「お待たせしてしまって申し訳ない、近頃色々と立て込んでいてね。そちらの少年、カプレとチャウが失礼をしてしまったみたいで申し訳ない」


 脱いだ上着をハルネさんに預けながら、美男子は俺に言った。

 なんとも穏やかな口調と表情だ。

 目つきは温度を感じない、けど冷たい感じでもない。


「いえ、全然……」


「客人が風呂に入る際は背中を流すようにと言ってあるんだ。君が逃げ回るので動揺してしまったと言っていたよ」


 こっちのセリフだ。


「それで、君たち二人は一体どこの誰なのかな?」


 美男子は目の前のソファーに堂々とくつろぐように腰かけて言った。


「私はシンシアと言います。こっちは弟の」


「ハリスです」


「私はベン・ジェンキンス。知っての通り、この屋敷の主だ」


 この美男子が例の公爵だったか。

 まさか初対面が全裸でとは……最悪だ。


 ジェンキンス公はテーブルの伝書に目を通し。


「ふんふん……これをテレシアが?」


「はい」


 シンシア姉が答えた。


「で、テレシアとは誰だい?」


 俺とシンシア姉は思わず「え」と声をそろえた。


「そ、その、私たちはテレシアさんに、ジェンキンス公に会うようにとだけ言われて……会えば分かると言われたんです」


 シンシア姉の動揺した様子に俺も軽く焦ってきた。

 この伝書は言わば切り札だ。

 上手くいけばこれでしばらくは安泰、そう思っていた。

 ジェンキンス公の家にも入れてもらえて、俺は安心しきっていた。


 このままじゃダメだ。

 俺はソファーから立ち上がって訴えた。


「違うんです、俺たちはルナエナさんに言われて!」


「おーっとっと、そこまでだ」


 ジェンキンス公は指を自分の唇に寄せて、静かにするようにとジェスチャーで言ってきた。


「慌ててはいけない。特に私のような者を前にして取り乱すなど、絶対にあってはならないことだ。事前に公爵に会うことは分かっていたのだから、心の準備をしておく時間は十分にあったはずだよ」


 急に口調や雰囲気が変わった。

 俺とシンシア姉は取って食われたように、完全に縮こまってしまった。


「と、まあ、説教はこのくらいにしておこう」


 ソファーにもたれ、くつろぎなおすとジェンキンス公は「冗談だ」と続けた。


「この伝書の中身は見たかい?」


 もちろん見てない。

 ただ渡すようにとだけ言われた。

 見ようとも思わなかった。


 問いかけながら、俺たちの返答が分かっているかのように、ジェンキンス公は伝書の両端を指先で摘まんで俺たちに見せた。


 中身は白紙だった。


「テレシアなどという者は存在しないのだよ」


「え……いえ、そんなことは――」


「――存在しないのだよ、シンシア」


 シンシア姉の言葉は遮られた。


「よって君たちがどこの誰で、どうやって王都に入りどのようにして私の元まで辿り着いたのか、それを知る者はいない。分かるね?」


 シンシア姉は黙ったままだ。

 俺も今一つ理解できない。

 それが分かっているかのようにジェンキンス公は続ける。


「テレシアは名前ではない、記号だ。何の意味もない記号」


「意味がない?……」


 俺は訊ねた。


「だがそれはごく限られた者しか知らない。私の知る限りでは、私と、ここにいる執事のハルネ。ルナエナ王女とその従者ジェラルド。この4人のみだ」


 一体何の話をしているんだ……。

 ルナエナさんが王女? ジェラルドさんが従者?


「私が二人の名前を出すのは今の一度切りだ。と言いたいところだが、それは君たちに事の経緯を聞いてから、ということにしよう」


 エルゴノイツへの侵入、および王都への侵入とジェンキンス公に会うまえの道筋は、事前に入念に計画されたものだった。

 テレシアというのは、ルナエナさんとジェラルドさんがジェンキンス公との間で交わした、もしものための合言葉のようなものらしい。


 シンシア姉は事の経緯を説明した。

 話を聞いている間、ジェンキンス公は何を考えているのか分からない表情だった。

 一切質問したりしなかった。


「――ラッセンと、言ったのかい?」


 その名前が出てくると初めて、静かに驚いた様子で訊ねた。


「ハリス、そうよね?」


 シンシア姉の問に俺は頷いた。


「初めは商人でした。枯れた鉱山の町に現れて、町の子供たちに本を読み聞かせたりしてました。僕が物語に興味をもって色々聞くと、名前を教えてくれたんです」


「ラッセンとは……まさか、ラッセン・ヒューブリッツのことかい?」


「そういえば、ジェラルドさんが彼を前にそんな名を言ってたような気がします」


 シンシア姉が覚えていた。

 俺にはその時のことが、なぜだか今一はっきりと思い出せない。

 部分的には覚えているのに、何か忘れているような気がする……。


「まさか東外区に評議員を……」


「どうしたんですか?」


 ジェンキンス公の怪しげな笑みが気になった。


「おおよそ分かったよ、君たちの身に起きたことが。ジェラルドと相まみえたということは、ラッセンは死んだのか?」


「はい。ルナエナさんが埋葬しました」


 知らなかった。

 そうか、ラッセンさんは死んだのか。


「ラッセンとジェラルドの戦いを見たかい?」


「はい、見ました、凄かったです!」


 急にあの時の光景がよみがえって、興奮が声に出てしまった。

 恥ずかしくなり、前のめりになっていた姿勢を元に戻す。


「そんなに魅力的なものだったかい、彼らの魔法は?」


 でもジェンキンス公は優しく微笑んでいた。


「その……はい」


「それは良かった」


 どこか納得したような様子だった。


「話を変えよう。いきなりなんだが、二人の今後について伝えておきたい。まず君たち二人は私の養子になってもらう」


「養子?」


「ちょ、ちょっと待ってください。養子ということは、私たち二人はジェンキンス公の息子と娘に?」


「それが最も安全だ。いや養子はマズいか……では隠し子ということにしておこう、そう珍しいことではないから疑われる心配がない。手続きはこちらで済ませておく。ここからが本題なんだが……」


「ここからはわたくしが説明させていただきます」


 ハルネさんが前に出て軽く頭を下げた。


「お二人には明日から学校へ通っていただきます」


「エルゴノイツでは、君たちくらいの子供は必ず学校に通う。ほぼ強制的にね。特に近年、エルゴノイツは魔術師の育成に手こずっていてね、質のいい若き才能を求めているんだよ。これが中々育たない」


 突然の話に混乱して整理ができない。


 俺とシンシア姉は今日からジェンキンスという姓を名乗ることになる。

 名乗る以上は学校に通わなければいけない。でないとジェンキンス公が罰を受けることになってしまう。

 家に隠しておくという考えもあったらしいが、見つかってしまった際のリスクが大きい。

 特にジェンキンス公は王都でも有名な公爵であるため、敵も多いのだそうだ。

 見えない敵につけ入る隙を与えないためにも、ここは大人しく学校に通わせておく方が得策だと考えた。とのことだ。


「お二人のご年齢をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 ハルネさんは俺とシンシア姉の年齢について確認した。

 俺は今11歳、数えで12だ。

 シンシア姉は15歳、数えも同じ。


「微妙だ」


 ジェンキンス公が言った。


「となると、ハリスは初等部6年から。シンシアは中等部3年からだけど、二人とも、半年後には進学ということになってしまうのか。これは中々に酷な話だ。特にシンシアは地獄かもしれない」


「あの、私の何が地獄なんですか?」


「まず普通に学んでいてはついていけないだろう」


 初等部は6年制。

 中等部と高等部は3年制。

 つまり俺は、半年後には中等部へ進学する。

 中等部に入学するシンシア姉は、半年後には高等部へ進学することになるのだという。


「初等部は基本的に物語の理解や要約くらいのものだから、字が読めるものにはそう難しいことではない」


 それならいけそうだ。

 俺もシンシア姉も、ジェラルドさんとルナエナさんに字は教えてもらっているし読める。


「しかし中等部から杖の勉強が始まるんだ。杖は魔法を扱う上では基本中の基本。少なくともシンシアはこの半年の間に、物語の理解と要約、杖の基本的な扱い方を覚えなければいけない」


 ジェンキンス公は顎をなでながら悩んだ。


「つまり魔法の勉強は中等部から始まるんだよ。その最も大事な部分を3年という時間をかけて定着させる、それが大事なんだ。仮に半年で理解できたとしても、高等部は地獄だろうね」


 やけに地獄という言葉を使う人だ。

 シンシア姉はどこか漠然とした不安を浮かべていた。


「そうだ。ハルネ、これから二人に授業をしてやってくれないか?」


「授業、ですか?」


「君ならその手のことに詳しいだろう。せめて物語の要約くらいはできないとマズい」


「……分かりました」


 ハルネさんは乗り気でない感じがした。



 〇



 屋敷の図書室は広々としていた。

 でも本の数は想像していたほどには少ない。スカスカの棚に数冊ある程度だった。

 それに加えて長テーブルが一つに椅子が複数。

 一番多いと思ったのはガラス食器だ。食器棚にびっしり入っている。


「ここで待てって言われても、ハリス、どうする……ハリス?」


 俺はさっそく本棚の本を一冊手に取った。

 本の題名は「たくみの愛したワイングラス」――。


「シンシア姉、見てよこれ」


「どうしたの……匠の愛したワイングラス、何よこれ?」


「これが物語だよ。多分、この食器棚にあるワイングラスはこの物語を使って出したものなんじゃないかなあ」


「え、そうなの?」


「うん、だって魔法ってそういうものでしょ? あ、違った、これは魔法じゃなく物語なんだった」


「これをどうするの?」


「ラッセンさんはこう言ってた――物語は字が読める者なら誰でも使うことができるって」


「つまり、これをそのまま読めばいいの?」


「うん。だけどそれじゃ現象を起こすまでに時間がかかっちゃうんだ」


「……確かに。こんな分厚いもの、すぐには読めないわ」


「うん、だから要約して読むんだよ」


「そういえば、さっきジェンキンス公もそんなことを言ってたわね」


「ラッセンさんも言ってた。でも要約って、普通は一回全部ちゃんと読んでからするものでしょ? そうじゃないとできないし。でもそれだとやっぱり時間がかかる」


「じゃあどうするの?」


「重要そうな部分だけ読めばいいんじゃないかなあ」


 シンシア姉は俺の考えが意味一つ分からないみたいだった。


「たとえば第一章――初めてのワイングラス。ラッセンさんは目次は読まなくていいって言ってたけど、僕は違うと思うんだ。この時点で一章の中に何が書いてあるのか想像するんだよ」


「じゃあ……たとえば最初の章には、誰かにとって初めてのワイングラスについて書いてあるってこと?」


「うん。僕もそう思う」


 比較的理解しやすい目次だ。

 俺とシンシア姉は物語の1ページ目を開いた。


「読み込むんじゃなくて、なんとなく適当に、重要そうだなーとか、気になる部分を見つけて読む。まずは他は読まない。これを繰り返せば普通に読むよりも早く理解できないかなあ?」


「……ええ。なんとなくだけど、分かるわ。題名の匠がこの本の主人公ね?」


「そうそう。匠の初めてのワイングラスは、舞踏会に忍び込んだ際、一目ぼれした貴族の女性が手に持っていたもの」


「素敵なお話ね」


「ここから要約しようよ。今分かったことを短文にして、声に出して読み上げるんだ」


「朗読ね?」


「そう。それで物語は現象になるはず」


 貧しい家の匠。匠の唯一の才能は、好奇心と行動力だ。

 そして人と物を同等に愛することができるのだと、書かれている。

 でも一目ぼれした割に声をかけないのは、匠が女性に臆病だったからだ。

 相手が貴族ではさらに難しい。身分の差。

 だから匠は想いを伝える手段として、彼女の最も近くにあったワイングラスに目をつけた。

 だが匠はその後、ワイングラスの世界にのめりこんでいくことになる。

 ここまでが一章、この先から二章だ。


 つまりここまでを要約し、それを朗読すれば――。


「ハリス、これ……」


 シンシア姉はテーブルに現れた光に目を輝かせた。

 一つのワイングラスが現れると言葉をなくした。


「これが、匠が舞踏会で見たワイングラスだ」


 俺とシンシア姉は、物語の「理解」と「要約」を習得した。


「すごい、すごいわ、ハリス! 魔法って、こんなことができるのね!」


「違うよ、これは物語だ。多分魔法はもっとおっかないものなんだと思うよ。ジェラルドさんがやってたみたいに、人を縛ったりするような」


「わ、分かったわ。これは魔法じゃないのね」


 シンシア姉は今のうちに、少しでも学ぼうとしているように思えた。


「思ったんだけど、初等教育で学ぶ内容はこれで終わりなんじゃないかなあ? だってジェンキンス公は、ほとんど理解と要約だけって言ってたし。あ、そうだ。シンシア姉、もう一つ物語を見せてあげるよ。ラッセンさんに教えてもらったんだ」


「ねえハリス、ラッセンは私たちを襲ってきた悪人なのよ。ティムとユリカだって危なかったんだし……なんだか彼のことを話す時、あなた楽しそうじゃない?」


「楽しそう?」


 シンシア姉がよく分からないことを言った。

 もちろん楽しいさ。

 こんな面白いもの、他にないだろう。

 朗読するだけでガラス細工が出てくるなんて自然の摂理に反してる。

 こんな現象、この世界だけだ。


「物語が見たいだけだよ。もちろんラッセさん、じゃなかった。ラッセンは嫌いだ」


 仕方ないじゃないか。

 俺に初めて物語を教えてくれたのはラッセンなんだから。

 どうしたって彼の言葉は思い出す。


「それよりシンシア姉、グラスの中を見てて」


「グラスの中?」


 俺はラッセンから少しの時間だけ借りて読んだ、農夫の愛したグラス一杯の水――第一章「賢人との出会い」を要約し朗読した。


「あ、水が出てきたわ!」


「上手くいった!」


 成功だ。


「ん、あれ?」


 おかしい。水がグラスに少量しかない。


「どうしたの?」


「変なんだ。予定では水がグラスを満たすはずなんだ」


「物語の理解が足りないんじゃないの?」


「理解が足りない?」


 思い出した。

 この物語は5章に分かれてるんだ。ラッセンは水の量は5段階だと言っていた。

 俺は一章しか読んでない、だから少量なんだ。

 満たすには5章分読む必要がある。

 でも俺は、あの物語を4章の途中までしか知らない。

 

「待てよ。だったら……」


 一章の要約分をさらに短くしてみよう。

 理解が大事だっていうならできるはずだ。

 水はもう少量でいい。

 同じ内容も重ねて何度も朗読してみよう。


「シンシア姉、もう一回見て。次は多分、大丈夫だから」


 短文を朗読してみた。


「農夫の渇き、賢人が差し出した救いは、一杯のグラスの水――」


 グラスの底で水がぼこっと動いたような気がした。

 さらに何度も朗読する。

 二回や三回やったくらいでは増えた感じがしない。

 あれ、これちゃんと出てるか、もしかして要約を間違えたか。

 流石にこれは要約し過ぎかたか。


「ちょっと、ハリス!?」


「あ……」


 水がグラスから一気に溢れて、テーブルがびしょ濡れになった。

 さらにテーブルで筋を作るように流れた水が絨毯に垂れた。


「どういう、ことですか……」


 部屋の扉の前にハルネさんの姿があった。

 信じられないものでも見たかのように目をパッチリ開けて、風呂場で見た石造のように動かない。


 ハルネさんは一目散にどこかへ走っていった。


 戻ってきた時、後ろにジェンキンス公の姿があった。


「これは……。ハリス、君がやったのか?」


 深刻そうに浅い鼻息をもらし。


「ハリス。今後、『農夫が愛したグラス一杯の水』を朗読することは禁止だ。その一片すら口に出してはいけない。君が知っているということも他言してはならない。でないと私の息子になるよりも、もっと厄介なことになる」


 ジェンキンス公の顔が一瞬、怖かった。

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