第42話 壊心
「まず、何から話したらいいでしょう……」
「まずは
今の説明で、ミアはわかっただろうか。改めて説明した方がいいか? ちらとミアの方を窺うと、やはり彼女は少し整理ができていないようだった。
「アストさんの理解で合っています。もう少し細かく言うと、
「何だかそれって、“無限回廊”に似ていますわね。何か関係が?」
言われてみればそうだ。“無限回廊”の本質を知ったのがつい最近のことだったから、今まで気づかなかった。というより、“無限回廊”のことはミアも知っているのか。
「“無限回廊”との関係はわからない。この
「なら、ミアも“適性”があれば、訓練して扱えるようになるということです?」
「まあ、そういうこと。ただ“適性”――つまりは強烈な記憶というのは、精神や心が壊れるくらいのものですから、“適性”がある人の多くは
俺も
「
リリアナさんのことに触れると、アストさんの表情が少し曇ったような気がした。この前は彼女に手も足も出なかった。次こそは、と思っているのだろうけど、具体的な勝算が見つかっているとは考えにくい。
俺の情報が少しでも彼女のヒントになればいいのだが。
「
さすがはアストさん、鋭い指摘だ。
「はい。原理はわからないのですが、
「
ミアも貴族の血を引くだけあって、政治的な物分かりもいいらしい。いや、さすがはアストさんの従妹だと褒めるべきなのだろう。同じ歳ごろのグレーテが、同じように考えられるかは正直怪しい。
「俺が
アストさんにはもう知られてしまっているため、彼女は特別反応を見せることはない。だが、ミアは違った。明らかな動揺を見せて、俺へ向ける眼が冷たく変わる。
「あの……人を殺したこと、あるんですの?」
「……あるよ。そういう仕事だからね」
俺の答えを聞いて、彼女は一瞬はっと目を見開いて、すぐに悲しそうに視線を落とした。嘘でもないと言ってほしかったのだろうか。人を殺したことのある俺は、受け入れられないだろうか。
「そういう……こと、ですの」
そう小さく呟いた彼女は、先ほどのアストさんのように、俺を優しく抱きしめた。ふわっと広がった薄い金色の髪から香る、フローラルな香り。これはミアの匂いというより、彼女の使っているシャンプーの香りか。
何のつもりかと聞く前に、驚くほど柔らかい口調で彼女は続きを話してくれた。
「先ほどのお姉様とのやり取り、ようやくわかりましたわ。バカですわね、貴方。お姉様じゃなくたって、ミアだって、同じように思いますのよ。可哀そうだなんて思うつもりはありません。人を殺せてしまう自分を変えたいと思うのなら、ミアもそのお手伝いをいたしますわ」
この子は本当に十一歳なのだろうか。いや、今年で十二になると聞く。となると、やはりグレーテと同い年か。それにしては大人びているように感じる。お姉様の英才教育のおかげなのか。
まるで彼女が俺よりも年上かのような抱擁力を感じてしまうのは、どうしてだろうな。このままこの小さな胸の中で泣き出してしまいそうになりながら、俺はそう思わずにはいられなかった。
「ありがとう……ミア」
「これでミアは貴方のパートナーであり、貴方の秘密を知る数少ない人物になりましたのよ。ですから、何かあればミアに相談してくださいな。ミアの前でなら、どんなに弱くてみっともない姿を晒していいんですのよ。ミアはそれができる相手なんですから、遠慮なんてしたら、本気で怒りますわよ」
すると、さっき離れたはずのアストさんも、俺の背から再び俺を抱きしめてくれる。
「ちょっとミア、わたしの分も取っといてよ? 彼は一応、わたしの弟子なんだから。わたしにだって、弱いところを見せてくれると嬉しいな。悩んでいたり、苦しいことがあったら、一人で抱えずにわたしたちに言ってごらん。迷惑かけちゃうかもとか、そんなの後回しでさ。きっと、話してよかったって思わせてみせるから」
俺は幸せ者だ。血に塗れ、薄汚れた世界で生きてきた俺には過ぎた幸せだろうか。俺を拾い上げて、ここに通わせてくれたアンジェリカさんには感謝してもしきれない。アストさんたちに大事にしてもらうほど、俺はエッフェンベルクに返さなければならない恩が増えていく。
「俺は男なのに、情けないですね。俺の方こそ、二人の力になれたらって思うのに……」
「クロは男である前に、男の子だからね。今はまだ、お姉さんに甘えておきなさい。いつか本当の意味で強くなったとき、今度はこのおばさんを助けてちょうだいな」
お姉さんと言ったって、俺とは三つしか違わない。でもその三年の差が、今はとても大きく感じる。いつか、俺がその三年を埋めて彼女と対等になれる時が来るのだろうか。
「おばさんだなんて言わないでくださいよ。いつまでだって、お姉さんですよ。ミアは……なんていうか、俺より年下なのに、お姉さんみたいだね」
「ふふっ、ミアのこと、お姉様と呼んでもいいんですのよ?」
それ、あまり人に見られたくないな。変なプレイだと思われそうだ。
彼女も俺とは二つしか違わない。それなのに、いとも簡単にその二年を埋めてきた。いや、それどころか俺よりも年上のようにすら感じる。俺が彼女らよりも未熟なのか、精神的に。
やがて、二人は俺から離れ、それぞれの席に戻った。
「さて、それじゃあ後片付けしちゃうから、その間にペアの二人はもう少し仲良くなっておくといいんじゃないかな」
「そんな、片付けならミアが……!」
「ミアともあろう者が、お姉様の言いつけに逆らうと?」
そう言われては、ミアは従うしかない。さすがアストさん。こういうところはブレない。
しかしながら、先ほどのことが思い出されて少し気恥ずかしかったのか、ミアは俺となかなか視線を合わせてくれず、会話にはならなかった。
後片付けを終えたアストさんが戻ってくると、俺とミアの間に流れる何とも言えない沈黙に、少し残念そうに眉の端を下げた。
「あれ、お話しなかったの? 週明けから早速、放課後は特訓するけど、作戦とか決めとかなくてよかったの?」
週明けからって、随分急な……。
大会が終わるのはいつも週末で、その週明けからいつものように学園の授業がある。
またいつものように退屈な時間を過ごすのか。俺は実戦や演習の授業が好きなのだが、前期課程ではそういった授業はまだ多くない。ほとんどが知識を補うための座学で、演習も机上でできる簡単なものしか行わないので、いつも退屈していた。
ふと、お姉様、とミアはアストさんに何かを耳打ちすると、アストさんはうんうんと頷き、満足げにミアの頭を撫でた。
「そうだね。ミアの言う通り。じゃあ明日、第一森林演習場に来て」
ミアがアストさんに何を耳打ちしたのかは気になるが、俺はとりあえずアストさんの言う通りにすることにした。
「わかりました」
今日はこれでお開きとなり、帰ろうとすると、アストさんに呼び止められた。
「帰っちゃうの? 別に朝まで居てくれてもいいよ? ミアは泊まっていくんでしょう?」
「はいっ、お姉様さえよろしければ」
なんだか覚えがあるぞ、この展開。前に、フランさんの部屋に行った時にもあった。たしかあの時も、アストさんが俺を引き留めた。結局俺は彼女の押しに負けて、そのままフランさんの部屋で……いや、目が覚めた時は自分の部屋にいたんだったか。結局あの後、どうなったんだ? 眠かったからか、記憶が曖昧でよく思い出せない。
「ミアも泊まると言うなら、なおさら俺は帰りますよ。アストさんも、そんな軽々しく男子を部屋に泊めないでくださいよ」
アストさんはたまにそんな無警戒なことを言い出すから心配になる。俺は本気で男だと思われていないんだろう。今日だってどちらかと言えば、女子会のようなノリで誘われているような気さえする。
「誰でもというわけじゃないってば。わたしの唯一の弟子で、秘密を共有する仲の男の子、だよ。ミアがいると嫌なの?」
「そういうわけじゃないです。ただ、せっかくお姉様との水入らずだったのに邪魔したら悪いなと思いまして」
「それは……一理ありますわね」
ミアが俺に寝返りそうなのを察して、アストさんはすかさず攻勢に出る。
「ミア……クロとわたし、どっちの味方なの?」
そう言われてしまえば、ミアは弱い。そんなの、アストさんだと言うしかないだろう。それをわかっていてのこの質問だ。アストさんも意地が悪い。
「お姉様は、クロードさんに泊まっていってほしいんですの?」
ミアにそうはっきり言われて、アストさんは思いもよらない反撃だったのか、珍しくたじろいだ。
「だって……彼もわたしの大切な弟子なのに、男の子って理由だけで遠慮させるのは違うでしょう? ミアが泊まっていいなら、彼だって泊まっていいと思うの」
「ではお姉様は、ミアと一緒にお風呂に入るなら、クロードさんとも一緒にお風呂に入るべきだとお思いなんですか?」
「そうだね。クロがそう望むなら」
ミアの正論に、アストさんは自棄になっていないだろうか。さすがにその返答は苦しいと思うが……。
「アストさん……平等に扱ってもらえるのは嬉しいですが、もう少し、恥じらいというものを持ってほしいです」
「……クロのためだったのに」
そう小さくぼやきながら、アストさんはふいと視線を外す。
「俺のことを思ってくれるなら、あんまり刺激的なことは避けてくださいよ。アストさんのあまりの魅力に、俺が我慢できなくなってしまったらどうするんですか?」
「クロ……そんな風に思ってたの?」
アストさんが恥ずかしそうに身体をよじって胸元を手で覆う。少し頬も赤くなっているように見える。ここまで動揺しているアストさんは初めてみたが、誤解は解いておいた方がいい。
「たとえばの話です。そういうことも、あるかもしれないじゃないですか」
「……ないの?」
そう言われると辛い。ここでないと言ってしまえば、アストさんにはそれほど魅力がないということになってしまうし、あると言ってしまえば、やはり変態認定されてしまう。どちらに転んでも、いい結果にはならないだろう問いだ。
俺が答えづらそうにしていると、アストさんはぽんと俺の頭に手を置いて、そのまま撫でてくれた。
「ごめん、意地悪なこと聞いたね。わかった。でも、変に遠慮しなくていいからね。わたしはクロのことも大切だし、信頼してる。だからこんなこと言うんだよ。それはわかってほしい。わたしの傍に居たかったら、あなたはそれを遠慮しなくていいんだからね」
「ありがとう、ございます」
俺にはそう言うしかできなかった。アストさんの言うこともわかる。理解はできる。でも、どうも腑に落ちない。何が自分でも納得いかないのかわからず、それを言葉にできなくてもどかしかった。
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