第27話 命の恩返し
今日はA、Bブロックの二回戦。二回戦までで、六十四人の参加者は一気に十六人まで絞られることになる。ただ、二回戦はまだ見ておかなくていいだろう。順当な勝ち上がりになるだろうし、それより、自分のブロックに集中しなければ。
俺のいるCブロックの勝ち上がりは、次の二回戦で一年生のブルーノと当たる。一回戦では二年生相手に余裕を持った立ち回りで圧倒していた。相手の二年生も油断があったように見えるが、それでも彼の素質はかなり高いだろう。
三回戦で当たるのは二年生次席のミアか、三年のアンリエッテ。本命はミアだろうと思うが、アンリエッテも一回戦を見る限り、
情報の少ない一年生と当たるのは少し不安要素ではあるが、油断せずにかかれば問題はないだろう。俺は一年生首席に勝っているわけだし。ただ、若いうちは
すると、端末にメッセージが届いた。アストさんからだった。
『いつものところに来てくれない? 今から来れる?』
この聞き方は、緊急の用事というわけでもないみたいだ。だが、断るほどの予定はないし、すぐにでも向かおうと、返信をする。
『すぐ行きます』
『誰にも見つからないように、来て』
そう付け足されて、少し疑問が浮かぶ。普段から人目につかないようにと言われていたが、今日、改めてそう言われたのはなぜなんだろう。誰かに聞かせられない、秘匿性の高い話なのだろうか。
言われた通り、人目を気にしながら、見つからないように旧図書館まで向かった。アストさんは中にいるらしく、いつものように開け放たれた窓から中へ入る。
「クロ、ちゃんと一人で来てくれた?」
仄暗い薄明りの中、アストさんは木の机の上に腰掛けていた。
「ええ。もちろんです」
俺も彼女に倣って、並んでいる机の一つに腰掛けた。
「わたし、ずっと考えてたんだ。クロに命を救われたこと。そのお返しに、何ができるだろうって」
「お返しなんて、いいですって。俺が勝手に助けただけですし」
「良くないよ。クロが良くても、わたしが良くないの。レンフィールドはわたしからピアスを奪う代わりに見逃すと言ってたけど、クロが助けてくれなければ、どちらにしろわたしは死んでいた。ピアスを取り返すことも叶わずに、あの場で死んでいた」
リリアナさんは俺の能力を知っている。だから、俺が治すだろうと踏んで、即死しない程度に致命傷を負わせて痛めつけていたのだろう。
「俺だって、アストさんに死んでほしくなかった。生きてほしかった。だから、治しただけです。俺の自己満足みたいなものですから」
「クロは当然のことをした、みたいに言うけど、落とすはずの命を拾ってもらったことは、どんな理由であれありがたいことだよ」
どうやら、何を言っても折れるつもりはなさそうだ。こうなったアストさんには、本人の希望通りお返しをさせてあげるほかない。なら、何か簡単なものを要求して、それで納得してもらおう。
「その、お返しっていうのは?」
「うん。だから、ここに来てもらったの。ここなら、誰も見ていないし、誰も聞いていない。クロが望むなら、わたし自身、今日のことは忘れてもいい。わたしにできることなら、何でもするよ」
いつもは表情のないアストさんが、こういう時に限って艶っぽく頬を染める。いや、俺にはそう見えるってだけなのか。何でもするという言葉から、そう思い込んでしまっただけなのだろうか。
「クロは、わたしに何してほしい? わたしと何がしたい? わたしに何がしたい?」
ここなら完全に二人きり。何があったとしても、二人の中だけで留めておける。さらにはアストさん自身も、今日のことはなかったことにしてもいいと言っている。つまり、ここでどんなことがあったとしても、今後の関係に影響がない。だから、何でも望みを言ってほしい。そう言っているのだ。
かと言って、本当に何でもお願いするのはどうなんだ。アストさんは自分で言ったことは絶対に守るだろうけど、俺自身が、後々悔んだりしないか? いや、ここで日和るほうが後悔するか。でも……。
「いっぱいあって困っちゃう? 一つじゃなくてもいいよ。クロの気が済むまで……わたしを好きにして」
なんてことを言うんだ、アストさんは。誰も聞いていないからいいものの……。いや、誰も聞いていないからこそ、彼女もここまでできるのだろう。彼女だって、平常心というわけではないだろう。俺が何を望むのか、気が気でないはずだ。いつもと違って寂しそうな笑みを浮かべているのが、何よりの証拠だ。そもそも彼女は、普段からあまり笑ったりしないような人なのに。
「じゃあ……今度買い物に行く予定なので、それに付き合ってもらえませんか?」
「えっ、そんなのでいいの? もっと、こう……攻めたお願いでもいいんだよ?」
アストさんがどこまで何を想定していたのかはわからないが、これでも精一杯なんだ。たしかに、命を救われたことには釣り合わないかもしれないけど、俺にはそれでも充分だ。アストさんとデートできるなら、それで。
「じゃあもう一つ。せっかく救った命なんですから、もっと自分を大切にしてください」
「わかってる。もちろん、誰にでもってわけじゃあない。救ってくれたクロだから、だよ」
「命を救われたくらいでほいほい何でもしてあげてちゃあ、アストさんを好きになった人は、少し複雑な気分じゃないですか?」
これがもし、命を救ったのが俺でなくて、その人にこのセリフを言っていたらと思うと、正直やるせない。彼女が死ななかったことは感謝したいが、その見返りに彼女を好きにされたんじゃあ、たまったものではない。それを、アストさんはわかってくれるだろうか。
「……わかった。ごめん。もう、こういうことしないよ」
「そうしてもらえると、俺は嬉しいです」
「でも、せめて今度の買い物の時、支払いはわたしにさせて。それくらいは、させてくれてもいいでしょう?」
それで諦めてくれるなら、いいか。彼女も金銭的に困っているわけではないだろうし。貴族ということもあるが、これまでの大会の賞金でかなりの額を稼いでいるだろうし、多少支払いをお願いしても、彼女の負担にはならないだろう。
「わかりました。いつにするかは、また連絡しますね」
「ありがとう。わたしのわがままを聞いてくれて」
「いいんですよ。逆の立場だったら、俺も同じようなことをしたでしょうから」
最後に、明日も頑張ってねと言われて、俺はアストさんと別れて部屋に戻った。アストさんはもう少し旧図書館に残るそうだ。
旧図書館には古い
◆◇ ― ブルーノ・エルスター ―
二回戦の相手はクロード・フォートリエ、か……。一気に随分と格上に当たるな。一回戦も格上の二年が相手だったが、油断してきた相手を下すのは難しくなかった。今回も、相手は油断してくれるだろうか。
いや、そんなことを期待してたら、オレはあいつには絶対勝てない。……グレーテ・クラウゼヴィッツ・フォン・エッフェンベルク。準決勝までは必ず勝ち残って、あいつに勝つ。そうしないと、オレの気は収まらない――。
入学した時から苦手だった。へらへらと愛想を振りまいて、上流貴族の生まれだか何だか知らないが、先輩からも注目されている。その実、一年生首席という実力も確かなものだ。欠点らしい欠点が、あまり見当たらない。
そもそも平民生まれのオレと貴族のあいつとではわかり合うことなどできはしない。だから、あいつに反感を持ってもオレは驚かなかったし、今のような強い感情を向けたりはしなかった。
生まれた時から格差がある。恵まれて育ったあいつとオレとの間には、あいつが想像もできないほどの隔たりがある。それが、オレにはわかる。だから会話すらまともに成り立つと思えない。だったら歯向かうのもバカらしい。
いつしかオレは、貴族だから、という理由で上流階級者どもを忌み嫌ってはいても、関わりを避けようとするだけで、面と向かって張り合う気をなくしていた。
だが、あいつは違う。例外だ。あいつにだけは、貴族だとか平民だとか、そんなこと関係なく立ち向かいたい。
――あれはいつだったか、ここ最近のことだ。
その日の放課後、オレは学園の敷地にある温室にいた。以前、学園内を
それに何より、ここに来ると、いつも決まってあの人がいた。植物たちの世話をしているという、アンゼルム・フォン・プリングスハイムさん。彼女も貴族だったが、オレはまったく気にならなかった。なぜなら、彼女は美しかったから。それに優しい。
彼女の笑顔はいつでもあたたかく、柔らかい。オレの話を真剣に聞いて、受け入れてくれた。オレの感情に合わせて、笑ってくれたり、慰めてくれたり。
オレには母親というものがいないが、こんな人が母親だったら……。そう思わずにはいられなかった。
そんな時、あいつは現れた。
いつものように、アンゼルムさんの仕事ぶりを眺めるように、温室内を見て回っていた時だった。角を曲がったところにある白いアヤメのプランターの前。愛らしいものを眺めるようなあいつの横顔に出会ってしまった。
ほとんど黒のような濃い茶色の髪には、白いアヤメがよく映えていた。オレに気付いた水色の瞳に見つめられ、オレは動けなくなってしまう。
「エルスターくん、お花、好きなの?」
会話したことなどほとんどないはずなのに、あいつはオレの名前を覚えていやがった。貴族様は下民の顔なんて、どれも同じに見えるんだろうと思っていたのに。
「……悪ィかよ」
「ううん。お花を大事にしてくれる人って、優しい人だと思うから」
そう言って、ふっと微笑んだ。その瞬間、心臓の音がやけにうるさく聞こえた。いつもに増して静かだからか。どうしてだか、いつもより部屋も暑く感じる。
「あ、そろそろ時間! ごめん! 私、門限あるから、もう行くね!」
呆然としてしまっていたオレを取り残して、あいつは慌てたように出ていってしまった。
あの日から、ずっと変だ。あいつのあの顔を、ずっと思い出している。頭から離れない。
あれ以来、オレは温室に行っていない。またあいつのあの顔を見たら、オレはいよいよおかしくなってしまうかもしれないから。だから、行けずにいる。
もっとあいつのことが知りたい。もっと、あいつに関わりたい。いつしかそんなことをも考え始めていた。
あいつは貴族。その中でも上流貴族。嫌な奴だとは思っていない。だが、関わることなどできないと思っている。
オレは平民。その辺の街にいる、ありふれた人間。貴族から見れば、野菜同然に見えるだろう人間だ。貴族には、オレたち平民の区別などついているのだろうか。いや――少なくとも、あいつには見分けがついていた。でも、それだけだ。オレはあいつにとって、何でもないクラスメートに過ぎない。
だから、オレはあいつに勝って、オレの存在を知らしめる。あいつを負かした平民として、あいつの記憶に刻み付けてやる。
これから戦うクロード・フォートリエ。こいつは貴族じゃないようだが、模擬戦であいつに勝った。オレがこいつに勝てば、あいつはオレのことを意識するだろうか。準決勝で戦うかもしれない相手として。
一度あいつと戦えば、オレ自身の燻っているこの気持ちが何なのか、答えが出せるかもしれない。だからこの一戦は、落とすわけにいかない。あいつと戦うまでは、負けるわけにいかないんだ。
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