第21話 気が変わった
「ダメですよ、アストさん。……俺、アストさんを殺されたくないです」
「わたしが勝つとは、思ってくれないんだね……」
そんな悲しい目をされても、もはや俺の心は分厚い鎖でリリアナさんに縛り付けられている。師匠への信頼より、悪姫への畏怖。それが圧倒的に勝っていた。
「それは……俺だって、そう思いたいですけど。でも、あの人は勝つとか負けるとか、そう次元で戦っていない。だから、アストさんは殺される。俺は、それが見てられないんです」
「ほらほら、どうするクロードくん? このままだとわたし、クロードくんの大好きなアストちゃん殺しちゃうよ? 何を差し出して、見逃してもらう? ……よーく考えてね」
けたけたと面白がるように高笑いを響かせるリリアナさん。
「ごめん、クロ。これ借りるね」
そう言うなり、アストさんは俺の腰に提げられていたナイフを取って、俺の目の前から消えた。いや、次の瞬間にはリリアナさんの背後にいた。
しかしリリアナさんに軌道を読まれたのか、蹴りをまともに食らって彼女は塀に叩き付けられる。
「アストさん! もういいですって、やめてください!」
「アストちゃんさぁ……せっかく交渉してあげようとしてるのに、そういうの、どうなの?」
アストさんはなおも、フローターで素早くリリアナさんに迫り、ナイフを突きつける。が、その手首を掴まれて、刃は彼女に届かない。それどころか、掴まれた手首を捻りあげられ、逆に刺し返されてしまう。
いったん距離を取ったアストさんは、肩に突き刺さったナイフを抜き、正面からフローターの最高速で突っ込んだ。小細工なしのスピード勝負。瞬きもさせないほどの間に、アストさんはリリアナさんに肉薄した――はずだった。
それなのに、彼女は地面に押し倒されていた。ナイフは弾かれ、首を掴まれて、為す術なく苦しみ、もがいている。そんな彼女へ、リリアナさんは左手を掲げる。
「待ってください、リリアナさん! お願いします!」
俺の必死の嘆願に、思い留まってくれたのか、リリアナさんはアストさんを再び持ち上げて、塀へ投げ飛ばした。
すると、何かに気付いたのか、リリアナさんがアストさんの元へしゃがみ込む。
「これ……どうしてこんなものを持っているのかしら」
リリアナさんが見つけたのは、アストさんが両の耳に付けているピアス。ひし形の青い石の飾りがついたもので、
これを見たリリアナさんからは、珍しく嫌味な笑みが消えていた。
「アストちゃんはこの場で殺そうと思ってたけど、気が変わったわ。クロードくんが泣いちゃうしね。命までは取らないであげる。その代わり、これはもらっていくわね。ふふっ、いいでしょう? 死ぬよりは」
アストさんの答えを聞く前に、リリアナさんは彼女の耳から強引にピアスを毟り取った。
「クロードくんはもうしばらくあんたに預けておくことにするから、わたしが迎えに来るまで精々傷物にしないよう大事にしてあげてね」
細々とした息を切らしながら、瞼を持ち上げているのも辛そうなアストさん。こんな彼女を見るのは初めてだった。そんなアストさんを蹴り飛ばして、リリアナさんは今度はこっちにやってくる。
「せっかく今日はアンジェリカと遊ぶつもりだったのに、なんだか興醒めね。また今度にするわ。あなたが廃人化させた坊やとそこに伸びてる坊やはもういらないから、適当に処分しといてよ」
この二人もリリアナさんの差し金だったらしい。
「ああ、そうだ。口止め、口止め」
そんなことを言いながら、彼女は二人へ右手をかざす。と、二人の胸が抉り取られた。
塀を飛び越えてきた男たちは、リリアナさんの指示でまた塀の向こうへ帰っていく。
「あ、最後にもう一つ。言伝をお願いしたいんだけど」
まだ何かあるのか。もう勘弁してくれ。お願いだから、早く帰ってくれ。そう言葉にできたら、どんなにいいか。
「何、でしょうか……?」
「アリーセに伝えておいてほしいんだ。あの子、わたしのせいで
序列二位のアリーセさんが
「あの、何を伝えれば?」
「あなたのお兄さんはとっても元気よ。あなたから当主の座を取り戻すために、必ず殺してやるって言ってたわ。わたしも婚約者として、少なからず協力してあげるつもりだから、近いうちにまたお会いしましょ。そう、伝えておいて」
「……わかりました」
この人は帰り際にも、また一つ大きな火種を撒いていくつもりなのか。
「じゃあ、クロードくん、ヘザーちゃん、またね」
満面の笑みを浮かべながら、リリアナさんも塀の向こうへ去っていった。塀の内側には、俺たち三人と、二人の死体だけが残された。
彼女が去って、すぐに俺はアストさんの元へ駆け寄った。
リリアナさんから受けた傷もそうだが、ヘザーが刺した傷も深い。動き回ったせいで、血もだいぶ流れてしまっている。このまま救護を待っていたら、アストさんはまず助からない。
「……ごめんね、クロ」
「諦めるのは早いですよ。俺が治します。傷口を見せてください」
俺の
アストさんの傷口へ手をかざし、
「クロ、すごいね……ありがとう」
「今はゆっくり休んでください。回復したら、ちゃんと話をしましょう」
「……わかった」
それを最後に、アストさんは瞼を閉じて、そのまま眠ったように動かなくなった。気力だけで意識を保っていたらしい。傷は塞げたし、損傷した細胞も再生させた。後は体力が戻れば、目を覚ますだろう。
「ヘザーは、大丈夫?」
見れば、ヘザーは緊張の糸が切れたように、力なく地面に座り込んでいた。
「クロ……ごめんなさい。私は最初から、今日のことを聞かされてた。そのために、クロに近づくよう、命じられてた。……ごめんなさい」
「気にするなって。グレーテを連れていかなかったのは、お前の機転だろ? 助かったよ。それに、お前も死ななかったし」
この場にグレーテが連れてこられていたら、何もかもが違っただろう。主に悪い方へ、変わっていたに違いない。それでもヘザーは自分が悪いと言って聞かないので、俺は彼女をそっと抱きしめた。
「お前はレンフィールドの者として疎まれるかもしれないけど、俺はお前のことをちゃんとわかっているからな。姉の悪評はお前のせいじゃない。利用されたのも、お前のせいじゃない。誰にどんな謗りを受けたって、気にしなくていい。少なくとも俺は、お前の味方でいるよ」
「ありがとう……クロ」
彼女もぎゅっと抱きしめ返してくれる。一瞬触れ合った頬は濡れていて、堪えようとしながらも、彼女のぐずぐずと鼻をすするのが聞こえるのだった。
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