第20話 レンフィールド

「ご苦労さま、ヘザーちゃん。……あれぇ? クラゼヴィッツはどうしたの? 連れてきてって言わなかった?」


「……申し訳ありません、お姉様」


「まあ、いいわ。クロードくんだけでも充分」


 そう言って、どうしてやろうかと舌なめずりするような眼が俺に向けられる。


 リリアナ・レンフィールド——ヘザーの姉で、昨年の首席卒業生。その名を聞けば、この学園で彼女を知らない者はない。良くも悪くも。まさかこの一件に、この人が絡んでいようとは。

 この人の命令なら仕方がない。ヘザーに逆らうことなどできなかっただろう。だから、彼女を責めることはしない。それよりも、この悪逆の姫からどうやって逃れるか、今はそれだけを考えなければ。


「久しぶりだね、クロードくん。元気してた? せっかくの再会なんだし、ちょっとくらい、お姉さんが遊んであげてもいいよ?」


 その意地の悪い恍惚とした笑みに、嫌な記憶が呼び起こされる。抑えようとしても、身体が震えてきてしまう。


「そんなに怯えなくてもいいじゃない。可愛いなぁ。あ、ヘザーちゃんの彼氏なんだったっけ? 表向きは。あはは、そのバカみたいな恋人ごっこ、まだやってるの?」


「……何が目的なんですか? あれだけのことをしておいて、まだこの学園に用があるんですか?」


 卒業してからもこの学園にちょっかいを出すなんて。まだやり残したことがあったのだろうか。


「そう急かさないで。そうねぇ……聞きたかったら、ヘザーちゃんの口から聞いたらいいよ。ずっと君を利用し、騙し続けてきたヘザーちゃんにね。ねぇ、気づいてた? 君と恋人ごっこをするよう言いつけたのって……わたしなんだよ?」


 そんなこと、聞きたくなかった。ヘザーが俺に話してくれたことは、決して嘘ではないと思う。俺との恋人ごっこをさせるために、言うことを聞かなければ政治の道具にすると脅したのだろう。そして彼女も、恐らくは俺と同じく、別の目的を持って学園に入学したんだ。


「ごめん……クロ。私……」


 ぽろぽろと泣き出してしまうヘザー。なんて痛々しい姿だ。利用されるだけ利用されて、こんな惨めに晒し上げられて。俺との関係を辞めようと言い出した彼女は、姉への抵抗を試みようとしていたのかもしれない。


「気にするな。悪いのは誰か、わかりきってるだろ」


「え~、それってわたしのこと? ひどいなぁ、クロードくん。随分と勇ましくなったねぇ。でも……」


 すると、強いエネルギーの流れを感じた。これは心素エモじゃない。壊心エクスエモーションだ。リリアナさんの壊心エクスエモーションに呼応するように、周囲の心素エモが彼女へ流れ込んでいっている。まるで、周囲に溢れる感情を喰らい尽くすかのように……。この感じ……まずい。


 壊心エクスエモーションには個々で特有の性質がある。リリアナさんの性質は……。


「もうちょっと従順な方が、好みだなー」


 リリアナさんが手を振りかざすと、地面がごっそり抉り取られた。彼女の足元から俺の目の前まで一直線に、空間ごと無に帰すような一撃。こんなことをしてみせる必要なんてない。それでもただただ脅すためだけに、力を見せつけた。お前のことは、いつでも殺せる、と。


「さて、と。立ち話はこれくらいにして、そろそろ本題に入ろっか。アンジェリカをここに呼んでほしいのよ。もちろん一人で来るように、ね」


 そこへ、ようやく落ち着いたらしいヘザーがよろよろと俺の隣にやってきた。


「クロ、この人はアンジェリカさんを殺す気だよ」


「そりゃあ、もちろん殺すよね。わたし、アンジェリカ嫌いだし。そういうわけだからクロードくん、アンジェリカを呼んでもらっていい?」


 自分で呼ばずに俺に呼ばせようとするのは彼女らしい。


 彼女はサプライズが大の好物だ。逆に、予想できてしまうことが何よりも退屈だと聞いたことがある。だからこそ、余計なことは言うなと釘を刺された。のこのこやってきたアンジェリカさんのあっと驚く顔が見たいのだろう。


 俺がアンジェリカさんを呼ぼうと端末を取り出すと、突然リリアナさんが手を振り、辺りの空間を抉る。俺は彼女の言うことを聞こうとしたはず。何が気に食わなかったんだろう。突然こんな癇癪を起したように荒れる人じゃなかったはずだ。何が彼女をそうさせたのだろう。その答えは、すぐにわかることになる。


 リリアナさんの背後から、心素エモの刃が伸びてその首を狙っていた。


「そのケガでよくやるねぇ。ちょっとは成長したじゃない、アストちゃん」


 この場に参戦したのはアストさんだった。見れば、右の脇腹に止血をした跡があったが、そこからまた血が滲んでしまっている。


「アストさん……! ごめん、なさい……っ」


 ヘザーのその言葉から察するに、ヘザーは護衛のアストさんを刺して、この場にやってきたのだろう。アストさんはアストさんで、簡単に傷の処置をしてヘザーを追ってきたのだろう。だが、正直アストさんには来てほしくなかった。俺は――アストさんに死んでほしくない。


 リリアナさんが刃に触れると、彼女の首に当てていた刃は蒸発するように消えていく。


 壊心エクスエモーションは、集中している他のエネルギーを分散させる効果がある。だから壊心エクスエモーションを使われると、心素エモによる攻撃はまったく通用しない。さっき俺がアッヘンバッハの刃を砕いたのも、同じ原理だった。


「わたし、今あなたと遊んでるほど暇じゃないの。それにわたし、あなた嫌いだし」


 殺される……! そんな予感がして、リリアナさんへ集まろうとするエネルギーの流れを利用して、彼女へ突っ込んだ。震える脚を無理矢理に叩いて。何よりも速く。全力で。彼女の前に立ちはだかった。


「あはっ、クロードくんさぁ……浮気はダメじゃない。こっちを守りたいならあっちを殺すけど、どうするの?」


 アストさんに向けられていた手は、ヘザーの方へ向けられる。その悪戯っぽい笑みは、まさしく悪魔そのものだった。


「実の妹だから殺せないとでも思ってる?」


「いや、リリアナさんは、ヘザーを殺しませんよ」


「……どうして? わたしがそんな、姉妹愛に溢れているように見えるの?」


 そのどんな時でも崩れることのない極悪な笑みからは、たしかにそんなものは欠片も感じ取れない。他人のことは、自分に都合のいい玩具くらいにしか思っていないんだろう。都合が悪くなれば、壊して捨てる。それだけなのだろう。だからこそ、彼女はヘザーは殺さない。


「こんなに使い勝手のいい手駒を、簡単に手放すわけありませんから。俺を殺さないのもそうでしょう? アンジェリカさんを殺すまでは、俺はいくらでも利用価値がある。だから、多少は目を瞑ってくれている。……違いますか?」


 俺のその言葉を聞いて、リリアナさんは堪えきれないように、腹を抱えて笑い出した。


「最高だね、君は。ヘザーに関してはその通りだけど、君に関しては少し違うかな。わたしは君を気に入ってるんだよ。あわよくば、エッフェンベルクを捨てて、わたしの方へついてくれないかなぁ、と思ってるくらいにね」


「俺はエッフェンベルクを裏切りませんよ」


「ええ、今はそれでいいわ。でもいずれ、そうも言ってられないように、わたしが追い込んであげるから。楽しみにしてて」


 とりあえず、本当にヘザーを殺す気が無くてよかった。だったら今は、どうにかアストさんを殺さないでくれるよう、交渉に集中できる。


「……クロ、わたし、あいつ殺したい。どうして言いなりになってるの?」


 アストさんの言うことはもっともだ。俺も部外者だったなら、同じことを思ったかもしれない。だけど、ダメなんだ。あの人と戦うこと自体が間違っている。

 このままアストさんが退いてくれれば、巻き込まれずに済むかもしれない。巻き込まれずに済むように、お願いできるかもしれない。だから、頼むから、矛を収めてほしい。どれだけそう訴えても、彼女が退いてくれないことはわかりきっていた。だからこんなにも、両の目から涙が溢れて止まらないんだ。

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