第19話 罠
「……わかった。とりあえず、昼には合流しよう。クロードにもそう伝えておく」
何だ……? この甘ったるい匂い。ああ、フラン先輩の匂いだ。鼻からいっぱいに入ってくる。吸えば吸うほど、俺の中はフラン先輩の香りでいっぱいになっていく。
ってことは、ここはフラン先輩の部屋か? 昨日のように、夢オチじゃなかった。本当に俺はフラン先輩の部屋に泊まったらしい。
起き上がると、既に身支度を終えたフラン先輩と目が合った。ラブコメのように着替えシーンに遭遇したり……ということはないようだ。
「悪いな、起こしてしまったか」
「いえ、おはようございます。何かあったんですか?」
さっきの話し声は誰かに電話をしていたのだろう。彼女の手には、端末が握られていた。
「ああ。実は、ちょっと厄介なことになってな……。エッフェンベルクが昨日から部屋に戻っていないそうなんだ」
フラン先輩はアンジェリカさんのことをエッフェンベルクだなんて呼ばない。なら、彼女の言うエッフェンベルクは妹の方だ。まさか、そんな。どうして……。俺は瞬時に眠気が吹き飛んだものの、頭の中は一気にぐちゃぐちゃになった。
「グレーテが、ですか……?」
「そうだ。先日も門限に遅れたことがあったそうだな。その時は寮長にこっぴどく叱られたらしいが、これで二度目だ。さすがに、早々に二度も問題を起こすような子でもあるまい。それに何より、このタイミングということもある。何かに巻き込まれた可能性もあるということで、
グレーテが失踪……この一件に関係がないと考える方が不自然な気もする。だが、何かの間違いであってほしいとも思う。それに、なぜグレーテなんだ。彼女を狙った意図は何だ? 俺は、どうしたらいい?
「とにかく、一旦アストリットと合流する。お前もさっさと着替えて談話室に来い」
「わかりました」
集合場所を伝えられ、俺はフラン先輩と別れて自分の部屋に戻る。フラン先輩には申し訳ないけど、俺は他にやらなくちゃならないことができた。……談話室には、行かない。
部屋に戻って支度を整えた俺は、部屋の前でフラン先輩が待っていることも考えて、窓から出ることにした。三階だが、
本当は表立って動くことはできないが、今は一刻を争う可能性が高い。今回は許容されるだろう。できれば
ヘザーではなくグレーテが狙われた。俺の大切な人は、グレーテだと思われているということだ。その犯人を生かしておくのは非常にまずい。それに何より、グレーテの身に何かあっては困る。
ルーツィアにも脅迫状を出したのは、標的のグレーテから注意を逸らすためだったのかもしれない。ルーツィアが狙われるとなれば、推測されるターゲットの中で最も実力が高くなる。なら、護衛につく者もそれなりの実力者——たとえば序列一位なんかがつくことになるだろう。しかし脅迫状が出ている以上、アンジェリカさんも護衛の任を放って妹を助けにはいけない。アンジェリカさんを足止めさせる目的もあったのかもしれない。
いや、何はともあれ、今はグレーテの安全確保が最優先だ。
俺は表層の感情を押し留めて、自分の奥底に眠る別の感情を呼び覚ました。使うのは久しぶりだが、問題はない。普段意識していない力の流れが感じられ、それを外にも向けてみれば、目で見ているのとは違う世界を視ることができる。
微かに
目的地の近くまで着くと、彼らの姿が肉眼でも視認できた。グレーテは眠らされているらしく、地面に転がされていた。わずかに胸が上下しているので、生きてはいるようだ。縛られてもいないということは、恐らく術か何かで眠らされ、絶対に起きないという確証があるのだろう。
二人の男は後期生の制服を着用していた。制服を着ているからここの学生だと思うのは早計というものだが、うち一人には見覚えがあった。四年のオルトヴィーン・ツー・アッヘンバッハ。以前、何かの大会で見かけたことがある。もう一人は残念ながらわからない。
俺は奥底に眠る記憶から、普段は抑え込んでいる感情を呼び覚まし、
隠れていた木の陰から飛び出した俺は、グレーテの脇に座り込む男の背後に瞬く間に肉薄した。そのまま乱暴に男の首を鷲掴みにし、一気に力を込める。まだ殺しはしない。
「クロード・フォートリエ……! そいつを放せ。さもなければ、大事なエッフェンベルクがどうなってもいいのか?」
この状況で何を言う。グレーテとの間には俺が入っているし、片手で男を掴んでいても、もう片腕があれば彼女に手出しをさせない自信はある。こいつのその余裕はどこから来るんだ?
「彼女に手を出すならこいつを殺す」
「交渉決裂だな。正直、そいつがどうなろうが俺の知ったことじゃあない」
とは言っても、どちらも生かして“主人”に引き渡したい。こいつらの後ろについている者について、情報を引き出さなきゃならないからな。こっちはもうすぐ気を失うだろうし、目の前のアッヘンバッハの相手だけすればいい。
しかし、そういう時に限って予想外の事態が起こる。
「おい、エッフェンベルク。そいつを殺せ」
アッヘンバッハがグレーテに命じると、グレーテは目を覚まし、俺に向けて剣を抜いた。
……精神干渉系か。面倒なことを。こっちは殺さずに捕えたいというのに。
「……彼女の精神を害したこと、後悔させてやる」
片手で掴んでいる男が気絶したのを確認して、俺はその首から手を放す。と、すぐさま脇からグレーテの
その一突きをいなし、一歩踏み込んでアッヘンバッハの懐に入った。奴はあくまで
「な、何をしたっ!? おいエッフェンベルク! さっさとこいつを殺せ!!」
この位置なら、俺を刺そうとグレーテが伸ばした槍を避ければそのままこいつを貫くことになる。だが洗脳下にあるとはいえ、彼女の手を汚させるのは忍びない。
俺は伸びてくる切っ先が触れる前に、そのすぐ奥の柄を掴んだ。得物を捕えてしまえば振るえない。
そのままもう片方の手でアッヘンバッハの腕を引き、地面に叩きつける。見れば、倒れ伏した奴は情けない声を上げながら、俺に引っ張られた右腕を確かめるように押さえている。どうやら折れたらしく、力なくだらんと垂れていた。
グレーテの槍は掴んだままで、俺はナイフで奴の右目をえぐり取る。と、耳をつんざくような絶叫を上げるので、グレーテの槍を放して、すぐさまその喉を握り潰した。喉を潰しても生きてさえいれば、いくらでも情報は引き出せる。それこそこいつの意思に関係なく。
空洞になった右目には、代わりに同じくらいの大きさの透明な球体を押し込んだ。この球体は
アッヘンバッハの
さっきのこいつの絶叫でこの場所はもう気付かれただろう。さすがにこの状態のこいつらを放置はしておけない。だがグレーテはここに置いていってもいいだろう。見つけてもらうまで、そう時間はかからないはずだ。
しかしできればこいつらは学園側に引き渡さず、うちで回収したい。“主人”に連絡を取るか……いや、それでも間に合わない。
すると、突然背後に人の気配を感じて、慌てて振り返る。いつの間にか背後を取られていた。
「手伝ってあげようか?」
そこにいたのはヘザーだった。いつもの気怠そうな様子で、俺に手を差し伸べている。
なぜ彼女がここにいる? アストさんに護衛されているんだと思っていたが。それに、この場所をどうやって? そして、どうやって気配もなく俺の背後に立った……?
疑問は尽きないが、今は一刻を争う。彼女の手を借りるほかない。
「ついてきて」
俺は倒れた二人を担ぐと、ヘザーの案内に従って森林演習場を抜ける。予定通り、グレーテは置いていくことにした。さらに進むと、学園の敷地の境界を示す塀に辿り着いた。たしかにここまで来れば見つかる可能性は低いが、ヘザーはなぜここを案内したのだろう。
「……ごめんね、クロ」
そんな声が聞こえたかと思うと、塀の向こうから思いもよらない人物が現れた。それを皮切りに、武装した男たちが次々と塀を飛び越えてくる。
もしかしなくても、これは……罠、なのか?
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