第35話 小さな背中

 静玖しずくさんのお父さんは家まで送り届けてあげて、ようやく、オレたちは家に戻ってきた。


「おかえり~! 片付いたって連絡来たから、安心してこっちのみんなで先にご飯食べちゃった。お風呂入ったらみんなで食べなよ~」


 絢乃あやのさんは相変わらずのマイペースだ。しかし彼女のその自由な振舞いを見ると、なんだか安心する。家に帰ってきたのだと思える。本来、オレの家に絢乃さんたちはいなかったはずなのに、おかしな話だ。


「先に入っておいで、凛太郎りんたろう。それとも一緒に入る?」


 可淑かすみさんが冗談めかして言うと、それを冗談だと思わない者が一人いた。静玖さんだ。彼女は可淑さんに取られまいと、オレの腕をぐいと抱き寄せる。


「可淑、やらしいことする気でしょ。ダメだよ、リン。変なのについていっちゃ」


「しないわよ……。変な印象操作はやめなさい」


「え~、ズルい! わたしだけ仲間外れにしないでよ。わたしも一緒に入る~!」


 瑠璃子るりこさんが乱入してきたことで、どんどん話がややこしくなった。しかもあんまり大きな声で言うもんだから、他の姉妹に聞こえてしまうじゃないか。もう少しオレの立場を考えてくれ。


「いや、一人で入りますから」


「でも……」


 心配そうに食い下がったのは、やはり静玖さん。わかっている。心配なのだろう。今日もオレは魔力を供給してもらった。しかも今日は、可淑さんにだ。たぶん、この間――二回目に魔力供給を受けた時は、静玖さんも加減をしてくれていたらしかった。だから余計に、心配なのだろう。裏を返せば、静玖さんは可淑さんを信用していないのだ。


「じゃあ、じゃんけんで勝った人となら、入ってもいいですよ」


 この時のオレは、きっと疲れていたんだと思う。まともな判断ができていなかったんだ。後で絶対後悔しそうな選択を、オレはしてしまった。


 俄然嬉しそうにする静玖さんに、予想外の事態に動揺を隠しきれない可淑さん。そして恥ずかしがりながらも興味津々そうな瑠璃子さんと、三者三様の反応を見せた。


 そして始まった、第一回じゃんけん大会。オレとの混浴権を賭けて。


「あ……」


 まさかの一回で決着がつき、真っ先に静玖さんが絶望を多分に含んだ声を漏らす。

 そんな静玖さんに少し申し訳なさそうに、しかし驚きと好奇心が入り混じった子供みたいなキラキラした目を向けてくる瑠璃子さん。可淑さんは、どこかほっとしたように胸を撫で下ろしていた。


「わ、勝っちゃった!? じゃあ、いいの? 本当にいいの?!」


 少しばかりの冷静さを取り戻したオレは、何であんなことを言ったのかと早くも自分の正気を疑い始めていた。

 言い出した手前退けるはずもなく、オレは瑠璃子さんに連行されるように、風呂場へと引かれていった。


「……嫌だったら、やめてもいいよ?」


 脱衣場の扉を閉めて、瑠璃子さんはそんなことを言い出した。みんなの前で前言撤回するようなカッコ悪いところを見せないように、あえて二人きりになってからそう言ってくれるあたり、彼女の優しさを感じる。でもそんなことを言われたら、余計にやめられなくなってしまう。それを口にする瑠璃子さんが、あまりに寂しそうだったから。


「大丈夫です。男に二言はありません」


「そ、そう? そんなに緊張しないでね。わたしのなんて、見ても何も面白くないし。ほらわたし、凛太郎くんからすればだいぶおばさんだからさ」


 正直な話、オレはそんなに緊張していなかった。静玖さんと一緒に入ったことで耐性が付いたのか、余裕ができたのかはわからない。それでもあの時に比べたら、というのはあった。どちらかと言えば、緊張しているのは瑠璃子さんの方だ。


 瑠璃子さんはオレに背を向けたまま、ブラウスを脱いで、スカートを脱いで、下着姿になる。耳につけたピアスを外して、ネックレスを外して、キャミソールを脱ぐと、彼女の小さくて綺麗な背中が露わになった。長い髪も、今はいったんヘアクリップで纏め上げている。

 オレの様子が気になったのか、顔だけこちらをちらと振り返り、少し照れながら微笑んだ。その笑みがとても色っぽく見えて、少しオレも緊張してきてしまった。


 瑠璃子さんは最後の一枚も脱いで、腕で少し身体を隠すようにしながら浴室の扉を開けた。


「先に入ってるね。凛太郎くん、本当に、無理しないでいいからね。何ならわたしが出るまで、そこで待っていてくれてもいいから」


 彼女にそう言わせてしまうくらい、オレは覚悟が甘いように見えたらしい。それもそうだ。オレはまだ、一枚も脱いではいない。決して怖気づいたわけではない。むしろ、瑠璃子さんの肢体に見惚れてしまっていたのだ。

 なんだか静玖さんに申し訳ない気持ちが湧いてくる。どうしてだろう。別に、静玖さんとは特別な関係でもないのに。


 オレもようやく服を脱いで浴室の扉を開けると、瑠璃子さんは髪を洗っているところで、こちらを見はしなかった。


「凛太郎くん? 来てくれたの?」


「ええ、まあ」


 オレも彼女と背中合わせになって、シャンプーで頭を洗い始めた。


「邪魔でごめんね。でももうちょっとかかっちゃいそうなの。たぶん凛太郎くんの方が早いだろうから、シャワー使っていいからね。あ、凛太郎くん、バスリリー使う? ほら、これ。先使っていいよ」


 そんなことを言いながら、瑠璃子さんはわざわざ泡塗れにしたひらひらがいっぱい付いた玉を渡してくれた。


 こんな時でも、瑠璃子さんは気遣いの鬼だ。別にオレは何も言っていないのに、あれやこれやと気を回してくれる。こういうところはお姉さんらしい。いや、どちらかと言えばお母さんみたいだ。きっと瑠璃子さんは長女だから、ずっとこうして他の姉妹に気を配って、面倒を見てきたのだろう。そのおかげで、あんなにのびのびと自由な妹たちが育ったのだろう。

 でもそんな瑠璃子さんは、気が休まる時があるのだろうか。オレまで瑠璃子さんの優しさに、気遣いに甘えたら、誰が瑠璃子さんに優しく気を回してくれるのだろう。


 オレは一番年下だけど、この家の長男だ。長女である瑠璃子さんとは対等なはず。だから彼女をわかってあげられるのは、きっとオレだけなんだ。まあ、オレには兄弟はいないけど。


「瑠璃子さん、背中流しましょうか?」


 自分の頭も身体も洗い終えたオレは、ちょうど長い髪を洗い終えて、再び結わえ直した瑠璃子さんにそう声を掛けた。

 こうして間近で見ると、耳の付け根と髪の生え際から肩へのライン——つまりはうなじ——が妙に色っぽく見える。肩から少し覗き見える鎖骨も美しい。その小さなボディラインはたしかな丸みを帯びていて、静玖さんよりも随分女性らしいように思えた。


「えぇっ?! そんな、いいよぉ……」


「遠慮しないでくださいって。たまにはいいじゃないですか。お願い、変なことしないから」


「えっと……じゃ、じゃあ、お願いしようかな」


 瑠璃子さんは、どうも押されると弱いらしい。本気で嫌なら嫌だと言ってほしいが、その時はちゃんと言ってくれるだろうか。


 その白くて小さな背中にバスリリーを宛がい、力を入れすぎないように気を付けながら、ごしごしと擦るようにして洗う。


「今日は遅くなっちゃってごめんね。もう少し遅かったら、ちょっと危なかったよね。でも、真っ先に可淑を呼んだのは正解だったと思うよ? 可淑なら、大抵の局面には対応できるはずだし」


 たしかに、あのままではジリ貧になって、消耗戦にされてやられていたかもしれない。瑠璃子さんが来てくれたのは、割とギリギリのタイミングだったようにも思う。


「静玖さんまで呼ばれちゃったのは予想外でしたけどね。たぶん可淑さんも、そのせいで少し余裕なさそうでしたし」


「可淑は予想外の事態には意外と弱いからねぇ。昔っからアドリブとか苦手だもん。だからあらかじめ、可能性の低いことまで想定して本番に臨むのよね」


 ふふっと笑う瑠璃子さん。オレはそこで、気になっていたことを聞いてみることにした。


「そういえばみなさんって、昔から一緒にいたわけじゃないんですか?」


「うん、そうだよ。みんな、最初はそれぞれのパパのところで過ごしてたか、一度施設に預けられるかしてたと思う。ママは忙しい人だったからね」


 静玖さんの記憶には、絢乃さんの姿があった。あれは彼女らがいくつの時だったのだろう。でも、可淑さんの記憶には、他の姉妹は出てこなかった。あれは彼女が八歳になる前の記憶だったようだけど。可淑さんが八歳ということは、絢乃さんたちは三歳。静玖さんの記憶の時よりは、随分前の記憶か。


「ママのやることが一段落した頃、少しずつみんな集められて、一緒に暮らすことになったんだ。いつだったかな、たしかわたしが九歳くらいの頃に、可淑とひぃちゃんと一緒になって、その後に調子とむっちゃん。シズとあやのんが来たのは、それから少し経ってからだったけどね」


「でも、静玖さんと絢乃さんは一緒に暮らしてたんですか?」


「よく知ってるね……。ああ、シズの記憶を見たんだっけ。まあ、厳密には一緒に暮らしてたわけじゃないらしいよ。隣の家だったとかで。シズとあやのんのお父さんはね、双子なんだ。本当の。一卵性なんだって。すごいよね」


 そうだったのか。双子が揃って同じ女性との間に子供を作ったっていうのか。それも、同じ時期に。そんなことあり得るのか……? と思ったが、実際にあり得たんだから驚きだ。

 言われてみれば、姉妹の中でも静玖さんと絢乃さんは少し似ている気もする。それもそうか。一卵性の双子って、遺伝子的には同じなんだっけ。それが同じ女性との間に子供を作ったら、その子供の遺伝子って、本当の双子と同じじゃないか? さすがに二人は二卵性なのかな。一卵性ほど似てはいないし。


「そういうわけで、二人は姉妹の中でも特別仲良しなんだよ。凛太郎くんも、それはなんとなく思ってたでしょ?」


「まあ、たしかに」


 静玖さんは、姉妹の中では絢乃さんを別格扱いしているようだった。しかし絢乃さんの方は、誰かを特別視している様子はなかったけど。いや、静玖さんには少し甘いか。


「あー……ねえ、凛太郎くん。そろそろ背中以外も洗いたいな。それとも凛太郎くんが洗ってくれる?」


 話に熱中していたら、オレは彼女の背中を洗うことよりも話の方に意識が向いていた。流石に他の場所に手を伸ばす勇気はなくて、オレは大人しくバスリリーを瑠璃子さんに手渡そうとする。が、彼女はそれを受取ろうとはしなかった。


「バスリリー越しなら、いいよ? そっち向かないから、洗ってよ。もう少しお話ししたいでしょ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る