第32話 金剛絶壁

 *



 今のが、可淑かすみさんの記憶……。彼女ら姉妹は、みんなこんな過去を抱えてるって言うのか……。


 彼女に唇を放されて、少し名残惜しそうでも、寂しそうでもある微笑みを向けられる。記憶を見られたと、たぶん彼女は気付いている。だからそんなに、痛々しい笑みを見せるのだろう。


 彼女の記憶から意識が現実に引き戻されて、結構な時間口づけをしていたように感じられたが、実際にはほんの一瞬だったらしい。戦場で口づけなどし出すものだから、男もここが好機と見て、猛然とこちらに迫ってきていた。その姿が、やけにゆっくりに見える。


「さあ行って」


 可淑さんに背中を押されて、オレは静玖しずくさんの元へと駆け出した。


 可淑さんは手近にあったやや短い鉄パイプを拾い上げ、振り回して迫りくる男に打ち付ける。男が心象虚像ゴーストを放出しても、可淑さんに触れれば簡単に霧散して、彼女には何の影響も与えることができずにいた。

 心象虚像が通用しないならば、男はただ再生できるだけの痩身。可淑さんの身のこなしに翻弄され、一発、また一発と鉄パイプの殴撃を食らっていく。


 その男をアシストすべく、仲間の男が可淑さんへ発砲した。危ない――と思ったが、彼女が向かい来る弾丸へ手をかざすと、弾丸は徐々に失速し、勢いを失くして地に転がった。可淑さんの能力はあまりにも万能過ぎないだろうか。彼女の能力の本質は、一体どんなものなんだろう。


「静玖さん! 大丈夫ですか?!」


 オレはその間にも静玖さんの元に辿り着き、咄嗟に彼女を抱きしめた。彼女の方からも、そっと抱き返してくれる。大丈夫。完全に意思をがれているわけじゃない。


「何なんだ、お前……。俺の静玖に触りやがって……!」


 オレがお父さんに何か言い返す前に、静玖さんはお父さんへ向けて手のひらを向ける。と、お父さんは見えない壁にぶつかったように、その場に蹲った。こちらへ来ようとしても、何かに阻まれたように、それ以上こちらに近づくことができずにいる。


「何をした静玖! 通せ!」


「お父さん、邪魔しないで」


 静玖さんに冷たく見下ろされて、お父さんは激高したように見えない壁を叩く。だが、見えない壁はびくともしない。それもそうだ。彼女ら魔法少女の力に、ただの人間が対抗できるはずがない。


「お前か……! お前が静玖をたぶらかして、洗脳したんだな! 殺してやる! 俺の静玖を返せ!」


「違う、洗脳なんかされてない! リンはわたしの大切な人。だから、リンに何かしたら、たとえお父さんでも許さない」


 いつの間にかオレは、静玖さんの中で大切な人にまで地位を上げていたらしい。そういえば初めて挨拶された時、彼女は絢乃あやのさんに何かしたら許さないと言っていた。オレは、彼女の中では絢乃さんと同じくらいにまで存在価値を認められたということだろうか。


 すると、嫌な気配を感じた。予感じゃない、気配だ。何かがうごめく気配。心象虚像の感覚に似ている。悪意を持って動く何かがいる。


「静玖さん、あの見えない壁、通すものは静玖さんが選べるんですか?」


「そうだよ。どうしたの?」


「なら、お父さんを中に入れてあげてください」


 気配の主は音もなく姿もなく、こちらに迫ってきている。オレと静玖さんを標的にしても、触れることができないのは流石にわかるはずだ。だとすれば、標的にされているのは、彼女のお父さん。


「え、どうして……?」


「いいから、早く!」


 オレがそう言うとすぐに、静玖さんのお父さんが見えない壁の内側に転がり込んできた。

 らしくもなく強引なオレの物言いに、理屈抜きで応じてくれたのは嬉しかった。そしてオレの予見通り、お父さんがいたところに奴のもう一人の仲間、黒装束に身を包んだ女が現れたのだ。


「リン、マズいよ。この守り、長くは持たない」


 見れば、黒づくめの女は見えない壁に張り付いて、何か念を送っているようである。まさかこいつも、あの男と同じような力があるのか? だとすれば、この見えない壁のエネルギーを吸収して、壁を壊すつもりだ。

 そうなったら、静玖さん一人にオレとお父さんを守らせるのは酷だ。可淑さんの能力なら、この吸収能力に対処できるようだけど、ただでさえ二対一を任せてしまっている彼女にこれ以上負担をかけるわけにもいかない。どうする、どうしたら……。


 迷っていると、静玖さんが声を張った。


「リン! お父さん! 死にたくなかったらこっちに来て。二人はわたしが守るから!」


「静玖……」


 お父さんは何か感慨深そうに、立ち上がることもなく静玖さんを見つめている。

 呆けている場合じゃないのに、とオレはお父さんの元へ駆け寄り、彼を支え起こして静玖さんの元へ連れていく。


「お前も、どうして……」


「オレはあんたのこと、許せないことをしたと思ってる。でも静玖さんがあんたのことを助けたいって思うなら、オレもあんたを助けたい。だって静玖さんが守りたい人は、静玖さんの大事な人だから」


 お父さんは歩きながら、涙を流し始めた。歩みが遅くなっていたので、ほら急いで、と喝を入れて、静玖さんの元へ急ぐ。


 彼女の元へたどり着くと、オレたちを背に庇うようにして静玖さんが立ちはだかった。どうやら見えない壁の範囲を狭めることで、強度を上げる算段らしかった。とはいっても、これは一時凌ぎに過ぎない。このままでは状況は悪くなるばかり。何か――この劣勢を打開するような何かがないと、押し切られる。


 これまでの姉妹たちとの会話を思い起こして、そこから何かヒントを得ようと考えてみる。魔法少女に関する知識を、全部ではなくともオレは彼女たちから色々聞いている。断片的に聞いていた知識を、もっと立体的に、再構成しろ。この状況でできることは……。


「静玖さん、オレに考えがあります。静玖さんはお父さんを守るのに徹してくれませんか?」


「そんな……リンは、どうするの……?」


「オレは……あいつと戦うよ」


 静玖さんは止めるだろうと思ってはいた。オレを心配してくれているんだろう。その気持ちは確かに嬉しい。だけど今は、状況が状況だけに、そうも言っていられない。オレがここで黒づくめの女を撃破すれば、状況は一気に好転する。できなければ、みんな死ぬ。それは、ここで何もせずいても同じことだ。


「いいか、あんた。何があっても静玖さんを守り抜けよ! 絶対だからな!」


「当たり前だ! 俺は静玖の父親だぞ!」


 静玖さんの記憶からわかっていた。お父さんは、心の底では悪ではないことを。心の底では静玖さんをちゃんと愛していることを。だから、互いの命が懸かっているこの状況では、彼に静玖さんの身を預けられる。

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