第17話 ラブコメトラップ再び
異様に甘い匂いがして、目が覚めた。果物のようでも、花のようでもある、わずかにつんとするような、甘い香り。これはオレの部屋でするような匂いじゃない。
目を開ければ、すぐ横に目に入ったのは、白銀の髪。
オレの肩のあたりに頭があって、ベッドから落ちないギリギリのところに寝そべっている。ちゃっかりオレと同じ毛布の中に身体を忍び込ませている彼女は見間違えようがない。
少し暑くなってきているせいで、彼女の寝巻も随分と薄手のものになっている。服越しでも、その肌の柔らかさが伝わろうかというほど。この状況で、それを意識しないという方が酷だった。加えてこの、甘ったるい匂い。理性を侵食する、魔性の匂いだ。
なんとか理性を保って、柊菜さんを起こさないようにベッドを抜け出そうとする。が、捕まった。柊菜さんに身体を抱き寄せられて、いとも簡単に彼女の腕の中に包まれてしまう。起こさないようにと変な体勢を取っていたせいで、簡単にバランスを崩したんだ。
彼女はまだ寝息を立てている。寝相が悪いのか、変な夢でも見ているのか。とにかく彼女はまだ起きていない。起こしたら、変な誤解をされるだろうか。どちらかといえば被害者はオレなんだが、この状況下では、往々にして男が加害者で女が被害者になりがちである。
体勢が悪いせいで、起き上がれない。彼女の腕から抜け出せない。ぎゅっと抱き寄せられているせいで、オレの胸に彼女の豊かな胸が押し当てられる。ふんわりと柔らかいのに、押し戻そうとしてくるたしかな感触がある。もはや抗えない。ほんの少しだけ、このままでもいいかもしれないと思いつつあった。
そんな時に限って、部屋の扉をノックする音がする。声を上げたら柊菜さんを起こしてしまうかもしれない。どうしたものか。そう迷っているうちに、次の行動に移られてしまう。
「
その声は
でも、扉を開けて目に飛び込んできたこの光景を見て、彼女は言葉を失って固まってしまった。それから何を言うでもなく、後ろ手にオレの部屋の扉をそうっと閉める。と、カチャリという音が聞こえた。扉を閉めた音ではない。鍵を閉めた音だ。
「随分とお楽しみみたいじゃない、凛太郎くん」
違うんです、小声でそう言っても、瑠璃子さんは聞く耳を持たない。やっぱりそうだ。この状況だけ見たら、オレが柊菜さんにちょっかいをかけたと思え……ないと思うんだが、そう思われてしまうんだろうか。
「いいな、ズルいなぁ。わたしだって、凛太郎くんのこと、いっぱい甘やかしたいのに」
そんなことを言いながら、瑠璃子さんは足音も立てずにベッドの脇に寄ってきて、ちょこんとしゃがみ込んだ。何をするかと思えば、オレを助けるでもなく、物欲しげにオレの首筋を指先でなぞる瑠璃子さん。
「お姉ちゃんも混ぜてよ」
などという、恐ろしいことを口走った。彼女はオレの味方ではなかったらしい。しかし、よく考えろ。相手は瑠璃子さんだ。少し恥ずかしいが、あの手を使えば寝返らせるのは難しくないはず。今は状況が状況だ。四の五の言ってられる場合ではない。
「オレを、助けてはくれないの……? お姉ちゃん……」
縋るように言うと、一瞬、瑠璃子さんの口元が緩んだように見えた。いいぞ、効いている。畳みかけろ。
「瑠璃子姉ちゃんだけは違うと思ってたのに……オレのこと、いじめるんだ……」
「えっ、いや、わたし、そんなつもりじゃ……ううん、ごめん、いじめないよ。わたしはいつでも凛太郎くんの味方だからね。ごめんね、変なこと言って困らせちゃって。嫌だったよね。あの……お願いだから嫌いにならないでね?」
縋るようにオレの目を覗き込んでくる瑠璃子さん。不安を顔に滲ませて、本気で泣きそうになっているように見える。これが演技でないなら、それはそれで怖い。
「大丈夫、嫌いにならないよ。だから、助けてくれない?」
「うん。わかったよ。ありがとう、好きでいてくれて」
今、恐ろしい事実のすり替えが起きなかったか? 嫌いにならないとは言ったが、好きだとは言っていない。これが無意識で行われたんだとしたら……なんていうか、とんでもない人だ。
瑠璃子さんは、強引に柊菜さんの腕の中から俺を引っ張り出してくれた。お礼を言おうとしたら、間髪入れずに今度は彼女はオレに抱きついてくる。
「る、瑠璃子さん?」
「……助けてあげたんだから、ちょっとくらいいいでしょ? 凛太郎くんも、ぎゅってして? あと、ありがとうお姉ちゃんって言って?」
なかなか恥ずかしい見返りを要求されてしまった。しかももう助けられた後なので、断り辛い。わざわざ後から要求してくるあたり、こう見えて瑠璃子さんも
「あ、ありがとう……お姉ちゃん」
「いいのいいの。これくらい、お姉ちゃんだから当然だよ。何かあったらいつでも頼ってくれていいんだからね」
言葉とは裏腹に、甘えるようにオレの胸に顔を擦り付けてくる瑠璃子さん。恥ずかしさのあまり、顔がドロドロに熔けてしまいそうだ。いやいっそ熔けてくれ。
ぎゅっと抱きしめた瑠璃子さんの身体は思ったよりも随分小さくて、力を入れれば砕けてしまいそうなほどに
胸に変な膨らみがないせいで、ぎゅっとしていると全身で彼女を感じられる。彼女と表と裏で一つになったような、そんな感覚。体温を共有して、彼女の中に溶け出ていくような。オレの中には彼女が溶け入ってくるような。居心地のいい安心感。
「……ねえ、凛太郎くん。
“これ”と言うのが何を指すのかわからなくて、聞き返してみたが、教えてくれなかった。
「やっぱり何でもないから。ごめん、忘れて。わたしも忘れるから。わたし、こういうのわからなくて……ちょっと、びっくりしただけだし……」
自然に身体を離して彼女の顔を見れば、ほんのり頬を赤らめて、視線は合わせてくれない。いまいち要領を得ないが、彼女がそう言うのなら、オレも気にしない方がいいのだろう。
「そう言えば、柊菜さんに用があったんですか?」
「ううん。部屋にいなかったから、どこに行ったか気になっただけ。いるなら別にいいんだ。ひぃちゃんは外でもすぐ迷子になっちゃうからね。せめて家の中にいてくれれば、まだ安心ってわけ」
当の柊菜さんは、これだけ騒いでもまだ眠っているらしい。
今何時だろうと時計を見ると、もうお昼だった。たしかにこんな時間まで姿が見えなかったら、どこに行ったか心配にもなるか。
「そうそう、用事と言えば、
貸していたノートの件だろうか。
「ありがとうございます。じゃあ、早速行ってきます」
「あ、うん……」
オレはドアの鍵を手早く解錠し、眠っている柊菜さんと立ち尽くしている瑠璃子さんを置いて、そそくさと部屋を出た。
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