3.
翌朝、早めに起きて朝食を作っていると、焦磨が起き出してきていつものように食卓に着く。先に起きた方が相手の朝食も作るよう決めているが、ほとんどいつも僕が作っている気がする。
「おはよう。よく昨日のうちに帰ってこれたね。大変だったんじゃない?」
彼がいつ頃帰ってきたのかは知らないが、この時間に起きてくるということは、それほど遅い時間ではなかったのだろう。事件発生当日は、そのまま帰ってこないということも珍しくはないのだが。
彼は大きく欠伸をしながら、スマホの通知を確認しているのかこちらを見ずに答える。
「まあな。とは言っても、結構めんどくさい現場だったからそのせいで手こずったっていうか……」
焦磨によれば、今回の春翔さんの事件の現場になったフォトスタジオは内部の造りがやや複雑になっており、控室が並ぶ階層の両端に当たる部屋がコの字型に繋がっているらしい。そのコの字の内側の部分に控室が何部屋か並ぶという構造だそうだ。その両端の部屋は備品庫として機能している部屋なのだという。そのせいで、各控室は想像よりも狭い部屋となっていて、個室といって差し支えない程度の部屋だったそうだ。入って正面の壁は一面の鏡張りになっていて、ちょっとしたテーブルと椅子があるだけのような状態。控室というよりは、更衣室というような位置づけだったのかもしれない。
「で、問題はここからなんだが、監視カメラがほとんどないんだよ。なんか知らねぇけど、以前に監視カメラの設置角度をいじって盗撮に使っていた職員がいたのが問題になって、控室周辺のカメラを撤去したんだと。控室の中が映るようにして、わざとノックしないで扉を開ける輩がいたらしい。監視カメラを無くしてもそれほど問題が起きなかったから、いっそもっと無くしてもいいんじゃないかってことになって、入り口と駐車場以外のカメラを撤去しちまったらしいんだよ」
「じゃあ、犯人の姿なんか映ってないってこと?」
「そういうこと。経費削減のつもりらしいけど、こういうことが起きた時に困るだろうがよ。あのスタジオは価格が良心的だからって売れてない業界人が使ったり、一部は一般人の依頼も受けてるらしくてさ。さすがにスタジオに出入りした全員を調べるわけにもいかなくて、あんまり成果はなしというか、そもそも調べるものがないっていうかさぁ……」
それを聞くと、ますます事務所側が怪しく感じられる。そのスタジオで撮影をすると決めて話を進めていたのは事務所側だ。恐らく監視カメラのこともわかっていただろう。このタイミングで無理に決行したのも、何か作為的なものを感じてならない。だとすれば、春翔さんを殺害することはかなり前の段階から計画されていたのだろうか。
「とりあえず今のところの捜査で判明したことをまた送っておいたから、早いとこ犯人見つけてくれよな」
「犯人を検挙するのはそっちの仕事でしょ。僕はその手助けをするだけだよ」
これも何度も言っているが、未だに彼は僕に頼りっきりになっている気でいるらしい。
少し早めにセンターに着いたと思ったら、ひかりさんはもっと早く着いていたようで、荷物置いたら来てくださいと内線がかかってきた。何事かと思って行ってみると、春翔さんが殺害された時の写真の解析が終わったらしい。
「この写真について、現場からの情報を元に解析をしてみたんですが、そもそも奇妙なことがありまして」
「奇妙なことですか? 改めて言わなくても奇妙なことだらけだと思いますが……」
「まあそうなんですが、聞いてくださいよ。この控室に掛かっていた時計、反転時計だったんですよ」
鏡越しで見ることを想定した、あえて反転させた時計。写真の上だけでは気付けないが、現場に行けば簡単にわかることだ。だから実際の風景を知らない者からすれば、ネットに上げられたこの写真だけでは何の違和感も持たないし、僕らもそれに気付かなかった。だけれどその情報を踏まえると、確かに奇妙と言わざるを得ない事実が浮上する。そう、この写真に写った時計は反転しているのだ。それはつまり、この写真は鏡のある方から扉の方に向かって撮影されたことを意味している。ならばこの写真は、被害者、犯人、撮影者の三人が居て成立していることになる。
「なるほど、確かにそれは奇妙ですね……」
「それだけじゃないんですよ。これを見てください」
そう言って、僕をパソコンの方に招き寄せ、ひかりさんはモニターに例の写真を表示させた。それを補正処理したものを、続けて何枚か連続で表示させる。
「明るさを少しずついじって補正処理を掛けてみたんですが、この部分。ぶれているのかと思ってたんですけど、たぶんこれ、人の影です」
春翔さんの姿をなぞるように、少しずれたところに人の形をした線が写っている。確かに春翔さんの輪郭がぶれているだけのようにも見える。画像自体がそれほど解像度が高くないだけとも言える。だけれどよくよく見ると、この線は春翔さんとはポーズが異なるのがわかる。
「人の影っていうかこれは……」
「お気付きになりましたか? そう、恐らくこれは反射した撮影者の像です。この現象が起きるということは、撮影者と春翔さんの間にはガラスのような隔たりがあるはずです」
焦磨が言っていた控室の造り、反転時計、ガラスの隔たり……これらを総合的に考えると、あるものを使えば再現が可能だということがわかる。これも実際に調べてもらえばすぐにわかることだ。
「マジックミラー、ですか。控室にあった鏡だと思われたものはマジックミラーだったわけですね。スタジオの構造の資料は見ました?」
はい、とひかりさんは頷く。僕だけでなくひかりさんにも焦磨の資料は送られてきていたらしい。スタジオの地図を画面に表示させて、ひかりさんは続ける。
「ちゃんと確認しないとわかりませんが、このコの字型になった備品庫と控室の鏡張りの壁が面しているところ。ここを備品庫の方から覗くと普通のガラス窓のように中が透けて見えるんじゃないでしょうか。だとしたら、この写真は備品庫の中から撮影されたもの。反転時計の件も、それで説明できます」
マジックミラーは性質上、鏡面仕上げが施されている方が明るくないと効果を発揮しない。控室の中で電気を消して過ごすとは考えにくいから、備品庫内を暗くしておけば、ほぼ確実に控室内を透かし見ることができる。そして内部からはそれに気付くことができない。
このスタジオは以前にも盗撮騒ぎがあったというのに、まったく凝りていないらしい。というより、一部の職員の悪事ではなく、組織的に行われていた盗撮だったのだろう。
「もしかしたら春翔さんも犯人も、この写真が撮られていたことに気付かなかったかもしれません。この春翔さんの事件は、撮影者と犯人で別々の思惑があった可能性もあります」
〝模倣犯〟なる人物がコメントした〝手口がわかったから真似してみた〟というのは、真似してみた部分は写真を撮って投稿するだけだったと解釈することもできるわけだ。〝模倣犯〟というハンドルが紛らわしいが、犯人の犯行を先読みしてマジックミラーを隔てて現場に居合わせ、写真を撮影し、ネットに投稿した。これが〝模倣犯〟のやったことであれば、この投稿は犯人にとっては寝耳に水ということになる。
改めてネットニュースを見てみると、トップニュースに〝UnAuTuMn〟のメンバーが殺害されたという見出しが大きく載っていた。ついに公表することに決めたのか。真白さんが殺害されてからも日数が経っているし、出回ってしまっている写真の件もある。そろそろ隠してもいられないという判断か。こうなると、ネットで叩かれるのは事務所か警察か。こっちも早々に犯人を特定しないと、出世どころではない。
改めて、春翔さん殺害の事件についての報告資料を見返してみる。
被害者は武宮春翔、二十二歳。ニューシングル〝ラブラドレッセンス〟のジャケット撮影のために訪れていたフォトスタジオにて、鈍器のようなもので後頭部を殴られ、頭部外傷により死亡。死亡推定時刻は十三時から十五時頃とされている。司法解剖では頭部の打撃痕以外の外傷はなく、薬物等も検出されなかった。真白さんの時と同じく、打撃痕は三つあったという。
第一発見者はマネージャーの宇堂旭。撮影の時間になっても現れないので控室に行ったところ、頭から血を流して倒れているのを発見したそうだ。その際、控室の扉は閉まっていたと証言している。スタジオ内の監視カメラの数が少なく、現場周辺を捉えたものがなく、目撃証言も得られていない。当日は十二時前に一度事務所にメンバー全員とマネージャーが集合し、事務所の車でスタジオに向かった。現地に到着してから簡単に打ち合わせをして、衣装に着替えて撮影する流れだったそうだ。
控室は個室になっているため、メンバーの三人はそれぞれ別の部屋を宛がわれ、事件発生と思われる十三時三十分前後はそれぞれが一人で控室に居たとしてアリバイはない。マネージャーの宇堂はスタジオの裏口付近の喫煙スペースで喫煙していたといい、その場には誰もいなかったためアリバイはない。
念のため持ち物検査を行ったが、凶器や写真に映り込んだ犯人が着用していた黒いジャケットも見つからず、事件関係者のスマホから例の写真も見つからなかった。春翔さんのスマホに例の写真が保存されているのが見つかり、やはりデータの作成者と端末の名前は一致していた。春翔さんのスマホについても、鑑識で一通りの調査が終わったらこちらに回してくれるらしい。一応、真白さんのスマホで指紋認証と顔認証が採用されていたことを共有してあったので、それについては先に確認してくれて、春翔さんのスマホも同様だったそうだ。そしてパスコードは案の定、本人とマネージャーしか知らなかったらしい。
「この写真の絡繰りを見抜いた今となっては、この写真が何故春翔さんのスマホに保存されているのかが逆に疑問ですね。犯人による偽装工作でしょうか?」
しかしひかりさんは、別の可能性に言及した。
「いえ、偽装工作ではないと思います。これは犯人側のミスですよ。だってよく考えてください。この写真を春翔さんのスマホに保存するには、撮影者のスマホから何らかの方法で送信する必要があります。ただ、送り付けるだけでは通常の写真のように保存はされないはずです。受信側で何らかの操作が必要になるはずなんです。ということはですよ、撮影者と犯人は明確に共犯関係にあったということになるわけなんです」
「では撮影者としては、この写真を春翔さんのスマホに送り付けるべきではなかった、ということですか? もしこれがミスでないとしたら、どんな可能性が考えられますか?」
というより、よく考えれば気付きそうなものだ。加工後の写真だけが保存されていて、犯人の顔が写っていると思わしき加工前の写真がないのだから、この写真は別の誰かが撮影してこの端末に入れたのだと。
「我々警察をおちょくっているとしか……。それか……撮影者が犯人へ警告した、とかですかね。状況的に、犯人は春翔さんが自分の姿を撮影した可能性があると考えたはずです。彼女はちょうど自撮りをしようとしていましたからね。もし写真を残されていたら、自分の姿――特に顔が写ってしまっている可能性があります。ですから中を確認して、必要であれば消去しなければいけなかった。この時点で、犯人は春翔さんのスマホのロックの解除方法を知っていたことになります。そこへ、撮影者から写真が送付されてきたらどうでしょう」
「しかしそれを残しますかね? 確かに、犯行を見ていた人物がいることに驚くとは思いますが」
「送られてきた写真は加工されていて、顔がわからないようになっていたんです。つまり撮影者は、犯人を告発する材料を持っていながら、あえてそれをしないという意思表示を犯人に向けて行ったと考えられます」
「つまり犯人の選択は、それを受け入れる、ということですか」
偶然居合わせたとは考えにくいはずだ。犯人としても、計画に気付かれていたと感じただろう。だからこそ、撮影者から
「さて、今日もやることはたくさんありますよ~。なにせ、調査結果がたくさん返ってきてますからね」
順番に見ていきましょうか、と僕を隣に座らせて、ひかりさんは一つずつメールを開いて確認していく。
まずは真冬さんの部屋の調査だが、特に盗聴器や隠しカメラは見つからなかったそうだ。ベランダや周囲の植え込みにも足跡はなく、侵入されたとしても方法は依然として不明。
「これで悪質なファンの可能性は若干薄くなりましたね」
「ええ。それで、怪しい〝みすゞ〟というアカウントの件が、このメールですね」
真冬さんのアカウントに脅迫的なDMを送っていた〝みすゞ〟というアカウントについて、発信元のIPアドレスの開示請求を行ったところ、すべて駅前のフリーWi-Fiを使用して投稿されていることがわかった。
「これじゃあ個人の特定は無理ですね。DMが投稿された時間帯はまちまちですから、学生や会社員といった、時間に縛られた生活をしているような人ではなさそうですね。投稿された時間帯の駅前の監視カメラの映像を洗えば特定できますかね」
「……駅前の監視カメラ、いくつあると思ってるんですか?」
それを私にやれと言ってるんですか、とでも言いたげな恨めしい眼差しを送ってくる。いくら彼女が優秀な分析官であろうと、その作業を任せるのは酷というものだ。
「ですよね……。ですがこれで、この〝みすゞ〟という人物はかなり用心深い人物であることがわかりました。恐らく後に自分自身を特定されないように、わざわざフリーWi-Fiを使用しているのでしょうからね」
「この脅迫DMで訴えられる可能性を考えたのかもしれないですね」
〝悪いおじさん〟の件は、まだアプリ会社からの返答がないようだ。
「真白さんの事件の方で進展があったのはそんなところですね。こちらは春翔さんの事件の方です」
と、ひかりさんは続けてメールを開く。春翔さんの事件の方ももう調査が済んでいるのかと思ったら、掲示板に投稿された写真については騒ぎになってすぐに解析調査を始めていたのだという。
「〝模倣犯〟のIPアドレスの方も調査を依頼してたんですが、こちらはスタジオのWi-Fiからでした。スタジオのWi-Fiのパスワードを知っていたのは、スタジオの職員以外はマネージャーの宇堂さんだけで、彼がこっそり教えていない限りはアイドルの三人は知らなかったはずだそうです」
「こちらも実質的に特定されるのを避けた形ですね。この〝模倣犯〟……〝みすゞ〟と何か関係があったりしますかね。警戒心が強いところは似ていますが」
同一人物であってくれれば、どちらか片方でも素性がわかれば今回の事件の全貌も見えてきそうなものだが。
「そうだとしても、特定は難しそうですが……。えーっと、これで以上ですね。調査結果のほとんどが空振りみたいなものですけど、どうしますか? 他に何かできることはありますかね」
ひかりさんは諦めたように肩を落とす。そう思っても仕方ない。結局、手口も犯人も目星は付かないままだ。ただ情報が増えていくだけ。これだけ情報が溢れているのに、決定的なものは何一つ得られていない。いや、本当に得られていないのだろうか。実はもう、特定できるところにいたりしないだろうか。今一度考え直す時間があった方が良いのかもしれない。
「これ以上、物的証拠から辿るのは厳しいような気がしてきました。少なくとも春翔さんの事件に関しては、ユニットメンバーを含めた事務所関係者の誰かが関わっていることは間違いないと思います。ですから、僕は動機の面から考えてみようと思います」
「わかりました。では私は、面倒ですが駅前のカメラの方を洗ってみることにします」
言い出しておいてこんなことを言えたものではないが、無理はしないでほしい。そう言っても、聞き入れたりはしないだろう。彼女だって、どうにかこの事件を解決に導きたいと思っているだろうから。
僕らはここで一旦別れ、僕は焦磨に連絡を取った。容疑者の聴取に立ち会わせてほしい、と。そうしたら思いがけず、ちょうど一堂に会しているからすぐに来てくれれば、と返事があった。事務所に容疑者を集めて聴取をしている最中だったようだ。
本来はこれも僕のやることではないが、刑事が聴取をするのと分析官の僕が聴取をするのでは、情報の掘り方も変わる。思いがけず、これまで見えてこなかった事件の一面を知ることができるかもしれない。淡い期待ではあるが、今は少しでも情報がほしい。できることは何でもやっておきたかった。
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