EP.008「記憶の森の守護者」

セイレンの記憶は、封印された川の如く流れ出した。


エリアスが彼女の手を握り、調和の光で記憶の流れを整えようとするが、その量と強さは予想以上だった。百年分の記憶——エラ・プリムの弟子としての日々、第0世界の栄華、そしてあの忌まわしい事故の瞬間。


「あぁ…!」


セレインは苦悶の声を上げ、膝をついた。目からは涙が止まらず、それは光る粒となって地面に落ち、小さな花を咲かせた。


「セレイン、集中して!」


エリアスは叫んだ。


「過去に飲み込まれるな!今の自分を保て!」


一方、カイは兄ヴァルターとの戦いに集中していた。百年の時を超えた双子の対決——光と闇、希望と絶望の衝突。


「愚かな弟よ」


ヴァルターは黒い炎を操りながら嘲笑った。


「母の過ちを繰り返すために、また新たな共鳴体を集めるのか?」


「お前たちこそが過ちを繰り返している!」


カイは黄金の光で炎を払いのけた。


「存在そのものを否定することなど、救いではない!」


影の使徒たちが周囲を取り囲み、森の生命を蝕み始めた。木々が灰色に変わり、花が枯れ、小動物たちが恐怖に震える。テラ・ヴェルダの美しい生態系が、秒単位で破壊されていく。


セレインはその光景を見て、新たな記憶が呼び起こされた。


♢―――♢―――♢―――♢―――♢―――♢―――♢―――♢―――♢


〚百年の記憶:第0世界〛


若きセレイン(当時の名はセレナ)は、エラ・プリムの一番弟子だった。生命科学と次元理論を融合させる『生態調和プロジェクト』を任されていた。


「先生、もし全ての世界が一つに繋がったら、生命はどうなりますか?」


実験室で、セレナはエラに尋ねた。窓の外では、三つの月が青白く輝いている。


エラは優しく微笑んだ。


「全ての生命が調和する、セレナ。異なる世界の生物が交流し、新たな進化の道が開ける。病気のない、争いのない世界が実現する」


その理想は、事故の日まで続いた。


装置が暴走し、次元が分裂する。セレナはエラと共に装置を止めようとするが、遅すぎた。彼女は分裂する世界の一つに巻き込まれ、テラ・ヴェルダに転移する。


そして最も辛い記憶——彼女は自らの記憶を封印することを選んだ。過ちの記憶、失った故郷の記憶、エラへの失望の記憶。全てを森に預け、無垢な守護者として再生した。


♢―――♢―――♢―――♢―――♢―――♢―――♢―――♢―――♢


「思い出した…」


セレインは震える声で呟いた。


「私は逃げたんだ。現実から逃げて、記憶を捨てた」


エリアスは彼女の肩を握った。


「逃げたんじゃない。生き延びたんだ。そして今、償う機会が来た」


その時、ヴァルターの黒い炎がセレインめがけて飛来した。カイが間に割って入り、防御するが、その衝撃で二人とも吹き飛ばされる。


「弱い、弱すぎる!」


ヴァルターが歩み寄る。


「お前たちはまだ八重奏の真の力を理解していない。調和とは力の統一ではない。力の放棄なのだ!」


エリアスは立ち上がり、セレインとカイの前に立った。


「違う。調和は、違いを認めながらも共存することだ」


彼は両手を広げ、調和の光を最大出力で放った。光は影の使徒たちを浄化し、枯れかけた森に生命を呼び戻す。


だがヴァルターは動じない。


「美しい言葉だ。だが現実はもっと残酷だ」


彼は祭壇の記憶結晶を破壊しようと手を伸ばした。その中には、セレインの「最後の記憶」——彼女が封印を解く鍵が隠されていた。


「待て!」


セレインが叫んだ。


彼女は地面に手を当て、森全体に呼びかけた。百年間、共に暮らしてきた森の生命たちが応える。木々の根が地面から這い出し、ヴァルターの足を絡め取る。花からは眠りを誘う花粉が放出され、影の使徒たちの動きを鈍らせる。


「自然共鳴体…侮っていたな」


ヴァルターは黒い炎で根を焼き払いながら唸った。


その隙に、エリアスが祭壇に駆け寄り、記憶結晶に手を伸ばした。触れた瞬間、最後の記憶が流れ込んできた。


♢―――♢―――♢―――♢―――♢―――♢―――♢―――♢―――♢


〚封印された記憶:真実〛


事故から十年後、記憶を封印したセレイン(当時はセレインとして再生済み)は、森の中で一人の男性に出会う。それはカイだった——まだ若く、旅の初期の頃のカイだ。


「君は…セレナだね?」


カイは懐かしそうに微笑んだ。


「違います。私はセレインです」


「そうか、記憶を封印したんだね」


カイはため息をついた。


「君の選択を責めない。でも一つだけ聞きたい——エラ先生は、最後に何と言った?」


セレイン(セレナ)は苦しそうに目を閉じた。


「先生は言いました…『もしまた失敗したら、次は八人でやってほしい』と。八人の共鳴体が調和すれば、過ちを正せるかもしれない、と」


カイは深くうなずいた。


「ならば、僕はその八人を探す旅に出る。君もいつか、覚悟ができたら参加してほしい」


そしてカイは去っていった。セレインはその約束を、記憶の奥深くに封印した。


♢―――♢―――♢―――♢―――♢―――♢―――♢―――♢―――♢


結晶が砕け、最後の記憶が解放された。セレインの目に、百年ぶりの確信が灯る。


「カイ…約束を覚えている」


カイはうなずき、微笑んだ。


「ずっと待っていた」


ヴァルターは状況の変化に気付き、焦りを見せ始めた。


「戯れは終わりだ!」


彼は全力で黒い炎を放つ。それは森全体を飲み込む勢いだった。セレインはエリアスとカイを見て、決意を告げた。


「私の力を貸す。八重奏の一員として」


三人は手を繋いだ。エリアスの調和、カイの旅する魂、セレインの自然共鳴——三つの力が融合する。


最初は不協和音だった。異なる世界、異なる時代、異なる経験から来る力が衝突する。だがエリアスが導き手となり、調和へと導いていく。


光が爆発した。それは単なる光ではなく、生命そのものの輝きだった。枯れた領域が蘇り、灰色の木々に緑が戻り、死んだ地面から新芽が顔を出す。


ヴァルターの黒い炎は、生命の光の前に無力だった。炎は消え、影の使徒たちは浄化され、元の姿——苦しみから解放された人々の姿に戻っていく。


「そんな…まさか…」


ヴァルターは後ずさりした。


「兄さん、もう終わりだ」


カイは近づいた。


「母も、アザゼルも、もう苦しまなくていい。私たちが調和をもたらす」


ヴァルターの目から涙が零れた。百年間、絶望と怒りに縛られていた彼の心に、初めて光が差し込んだ。


「私は…何をしてきたんだ」


「償うことができる」


エリアスは言った。


「あなたの力で、傷ついた世界を癒す手助けを」


ヴァルターはうなずき、黒いローブを脱ぎ捨てた。その下には、カイと瓜二つの顔があった。百年の歳月が、同じ双子に異なる刻印を押していた。


「私は…旅に出る」


ヴァルターは決意した。


「弟よ、お前は八重奏を完成させろ。私は他の使徒たちを探し、説得する」


「危険だ」


カイは心配そうに言った。


「これが私の償いだ」


ヴァルターは微笑んだ。


「そして、これは命令ではなく、お願いだ——母の墓に花を供えてくれ。あのひまわりの花を」


ヴァルターは光の中に消えていった。解放された使徒たちも、それぞれの世界へと帰っていく。森は静寂に包まれた。戦いは終わり、テラ・ヴェルダは再生の時を迎えていた。


セレインは深く息を吐き、エリアスとカイを見た。


「私を連れて行ってください。八重奏の一員として」


「覚悟は?」


カイは尋ねた。


「これは戦いだ。また犠牲が出るかもしれない」


「百年間、逃げ続けてきた」


セレインの目は確信に満ちていた。


「今度は立ち向かう。先生の過ちを、私たちの手で正すために」


エリアスは通信機を取り出し、エクリプス・シティに連絡した。


「リリアン、聞こえるか?新たな仲間が見つかった」


♢―――♢―――♢―――♢―――♢―――♢―――♢―――♢―――♢


数日後、エクリプス・シティに戻った三人を、驚くべき光景が待ち受けていた。


希望のクリスタルの前に、新たな装置が設置されていた。リリアンとオルタスが開発した『共鳴増幅器』だ。


「君たちの連絡を受けて、急いで完成させた」


リリアンは説明した。


「ソフィアのクリスタルを核に、遠隔地の共鳴体ともリンクできる」


オルタスはデータを表示した。


「セレインさんの合流で、八重奏の共鳴が25%増強された。ソフィアの生体信号にも変化がある——意識レベルが浅い瞑想状態に移行している」


マルコは妹のクリスタルに手を当てながら報告した。


「昨日から、クリスタルが温かくなっている。彼女が何かを感じている証拠だ」


セレインはクリスタルの前に立ち、手をかざした。


「彼女の魂は…深い眠りの中にいる。でも、夢を見ている。美しい夢を」


「ソフィアに話しかけられる?」


マルコの声に希望が宿った。


「今は無理。でも、八重奏が完成すれば可能かもしれない」


セレインはエリアスを見た。


「次の世界は?」


カイがホログラムを表示した。地図には、三つの点が光っている。


「候補は三つ。『アイアン・シティ』——高度に機械化された世界。『アクア・マリス』——海に覆われた世界。そして『ノクス・テラ』——永遠の夜の世界」


「それぞれに共鳴体がいるのか?」


エリアスが尋ねた。


「いる。だが問題もある」


カイはため息をついた。


「アイアン・シティは技術崇拝が強く、自然共鳴体のセレインを危険視するかもしれない。アクア・マリスは排他的で、外部者を拒む。ノクス・テラは…情報が少ない」


リリアンが提案した。


「ならば、三方向に分かれて調査しよう。効率的だ」


「危険すぎる」


マルコが反対した。


「虚無の使徒たちも動いている。分散すれば各個撃破される」


議論が続く中、エリアスはクリスタルの中のソフィアを見つめていた。彼女は微かに笑っているように見えた。そして突然、エリアスの頭に声が響いた。


『ノクス・テラへ…あそこに答えが…』


「ソフィア?」


エリアスは声に出した。


全員が彼を見た。


「今、ソフィアの声が聞こえた。『ノクス・テラへ行け』と」


オルタスが機器をチェックした。


「クリスタルから微弱な思考信号を検知。エリアスだけが受信できる周波数だ」


「ではノクス・テラが次の目的地だ」


カイは決断した。


「だが、今回は全員で行く。リリアン、オルタス、マルコも」


マルコは驚いた。


「でもソフィアを守る——」


「装置が完成した」


リリアンが言った。


「クリスタルを防御フィールドで囲める。一時的な不在なら問題ない」


セレインは森の方を見つめた。


「私の森も、しばらくは自分自身で守れる。百年間、そうしてきたから」


準備は整った。八重奏の五人は、新たな仲間を求めて、永遠の夜の世界へと旅立つことになる。


出発前、エリアスはもう一度クリスタルに近づき、ささやいた。


「待ってて、ソフィア。必ず君を連れ戻す」


クリスタルが温かく輝いた。約束の返事のように。

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