EP.007「新たな旅路」

ソフィアの犠牲から一ヶ月が経過したエクリプス・シティは、驚くべき速さで再生していた。


次元の裂け目が開いた中心部には、ソフィアが変容した巨大なクリスタルが聳え立っていた。高さ10メートル、透明度の高い青白い結晶で、内部には微かに光るソフィアの姿が見える。市民たちはこれを『希望の宝石クリスタル』と呼び、花を捧げ、祈りをささげていた。


クリスタルの周囲には研究施設が建設され、リリアンとオルタスが常駐して状態を監視していた。


「生体信号は安定している」


リリアンはデータを確認しながら言った。


「意識レベルは深い瞑想状態に近い。外部とのコミュニケーションは不可能だが、彼女が感知していることは確かだ」


オルタスは古い文献をめくりながらうなずいた。


「古代の記録に似た現象がある。『聖者の石化』と呼ばれる。強力なエネルギーに晒された者が、生と死の狭間で永遠の眠りにつく」


「戻る方法は?」


オルタスは沈黙し、首を振った。


「記録上、戻った者は一人もいない」


その時、施設のドアが開き、エリアスとカイが入ってきた。二人は一ヶ月間、カイの指導でエリアスの能力訓練に専念していた。


「進捗は?」


リリアンが尋ねた。


カイが満足そうに笑った。


「彼は驚異的な速さで成長している。今や、意識的に五つのパラレルワールドの情報に同時アクセスできる」


エリアスは少し恥ずかしそうに首をかいた。


「まだ制御が難しい。時々、別の世界の記憶が自分のものと混ざる」


「それは正常だ」


オルタスが言った。


「多重人格にならないよう注意が必要だが、君の場合はリリエンとの融合が成功している。統制された多重意識と言える」


エリアスはクリスタルの前に立ち、手を当てた。


「ソフィア…聞こえてる?」


クリスタルが微かに輝いた。返答ではないが、何かの反応だった。


「彼女は君のことを感知している」


カイが近づいた。


「八重奏の絆は、物理的な形態を超えている」


その時、マルコが入ってきた。一ヶ月で彼は変わっていた。以前の荒々しさは消え、代わりに深い決意に満ちた落ち着きを身につけていた。


「新しい情報がある」


マルコはタブレットをテーブルに置いた。


「地下資料庫で、父の研究ノートを発見した」


全員が集まった。タブレットには、エリック・ヴァレンティ博士の手書きのメモが映し出されている。


『ソフィアの誕生は計画の一部だった。彼女は最初から感情共鳴体として設計された。八重奏完成のための鍵――犠牲となるべき核』


「設計された?」


リリアンは息をのんだ。


「つまり、ソフィアの転移事故も、全て計算されていた?」


マルコの表情は険しかった。


「ノートには続きがある。『もし彼女が核となる時が来れば、解放する方法が一つだけ存在する。八つの世界の『調律』だ』」


「調律?」


エリアスが聞き返した。

カイが説明した。


「全てのパラレルワールドを、同じ周波数に調整すること。今はそれぞれが微妙に異なる『音』を奏でている。それが完全に調和した時、ソフィアは解放される」


「それが可能なのか?」


オルタスは懐疑的だった。


「理論上は」


カイはホログラムを起動した。


「各世界には『世界の心臓』と呼ばれるエネルギー焦点がある。そこで八重奏が調律を行う」


マップには八つの点が表示された。そのうち四つは既知の世界だった。


「私たちの世界、エリアスの世界、ソフィアが一年間いた世界、そしてカイの第0世界」


リリアンが指さした。


「残り四つは?」


「探さなければならない」


カイは言った。


「そして、それぞれの世界で共鳴体を見つけ、八重奏に加える必要がある」


マルコは拳を握りしめた。


「では、始めよう。妹を救うために」


「待て」


オルタスが制止した。


「他の世界への移動は危険が伴う。前回の戦いで虚無の使徒たちが敗北したが、彼らはまだ活動している」


「それでも行く」


エリアスの声には揺るぎない意志があった。


「僕たちが動かなければ、また同じ犠牲が出る」


リリアンはため息をつき、うなずいた。


「私も同行する。科学的記録が必要だ」


カイは計画を立て始めた。


「最初の目的地は、最も近いパラレルワールド『テラ・ヴェルダ』だ。緑に覆われた平和な世界と記録されているが、最近になってエネルギー不安定が報告されている」


「誰が行く?」


マルコが尋ねた。


「私とエリアスがまず偵察に」


カイは言った。


「リリアンとオルタスはここで研究を続ける。マルコは街の警備と、ソフィアの保護を」


マルコは反論しようとしたが、エリアスが彼の肩を叩いた。


「ソフィアを守れるのは君だけだ。彼女が目覚めた時、最初に見たいのは君のはずだ」


マルコは苦渋に満ちた表情でうなずいた。


「わかった。だが、定期的に連絡をくれ」


♢―――♢―――♢―――♢―――♢―――♢―――♢―――♢―――♢


二日後、エクリプス・シティ郊外の転移ポイントで、カイとエリアスは出発の準備をしていた。


カイは複雑な装置を操作しながら説明する。


「テラ・ヴェルダへのゲートは不安定だ。到着地点は特定できない。覚悟しておけ」


「大丈夫」


エリアスは装備をチェックした。


「でも一つ聞いていいか?なんで君はこんなに何でも知ってるんだ?」


カイは手を止め、遠い目をした。


「私は100年以上、時空を旅してきた。エラ・プリムの最初の弟子だった。彼女が過ちを犯した時、私は彼女を止められなかった。だからこそ、この償いの旅を続けている」


「君も罪悪感を感じているんだ」


「感じていない者などいない」


カイは苦笑した。


「大事なのは、その罪悪感をどう使うかだ。破壊に使うか、創造に使うか」


装置が唸りを上げ、黄金色のゲートが開いた。


「行くぞ」


二人は光の中へと歩み入れた。


転移は以前よりも滑らかだった。カイの制御によるものだろう。数秒後、彼らは新しい世界に立っていた。

最初に感じたのは、空気の違いだった。甘い花の香り、湿った土の匂い、そしてどこか懐かしい、幼少期を思い出させるような香り。


「ここが…テラ・ヴェルダ」


エリアスは息をのんだ。彼の前に広がるのは、言葉を失うほどの美しい風景だった。


巨大な樹木が空へと伸び、その枝には発光する実が無数にぶら下がっている。地面は柔らかな苔に覆われ、小さな光る生物がゆっくりと這っている。空には二つの太陽が輝き、虹色の雲が流れていた。


しかし、その美しさの中に、不協和音があった。


遠くの山脈の一部が、不自然に歪んでいる。現実が溶けるようにゆがみ、別の風景が透けて見える。次元の歪みだ。


「やはりここでも起きている」


カイはスキャナーを向けた。


「しかも、かなり進行している」


「人がいる」


エリアスが指さした。


森の小道を、一人の人物が歩いてくる。年齢は20代前半、緑色のローブを着た女性だ。彼女の歩みは優雅で、まるで森の一部のように自然に溶け込んでいる。


女性は二人の前に立ち止まり、警戒した目を向けた。


「異世界者たち。あなた方は虚無の使徒か、それとも…」


「私たちは使徒ではない」


カイは手を広げて無害を示した。


「私はカイ・フェニックス、こちらはエリアス・ソーン。次元の崩壊を止めるために来た」


女性の目が細くなった。


「証明できるか?」


エリアスは何も考えずに手を上げた。彼の掌から、調和の光が微かに輝いた。それはテラ・ヴェルダのエネルギーと完璧に共鳴し、周囲の植物が一斉に輝きだした。


女性の表情が和らぎ、驚きに変わった。


「調和の光…あなたは伝説の『統合者』だ」


「統合者?」


「古い予言にある」


女性は近づいた。


「『八つの世界が滅びゆく時、異なる旋律を一つに織りなす者が現れ、調和をもたらす』と」


彼女は一礼した。


「私はセレイン・グリーンハート。この森の守護者、そしてテラ・ヴェルダの共鳴体だ」


エリアスとカイは顔を見合わせた。最初の世界で、早くも共鳴体が見つかった。


「あなたの能力は?」


カイが尋ねた。


「自然共鳴体だ」


セレインは手を上げると、周囲の植物が彼女の動きに同調して動いた。


「全ての生命と対話し、生態系のバランスを感知できる」


「今、この世界のバランスは?」


セレインの表情が曇った。


「崩れつつある。三ヶ月前から、『枯れの領域』が拡大している。生命が消え、色が失われ、音が消える領域だ」


彼女は歪んだ山脈を指さした。


「あそこが最初の地点だ。そして今、七つの領域が確認されている」


「七つ?」


エリアスは計算した。


「八重奏の七人に対応している?」


「そう思う」


カイはうなずいた。


「虚無の使徒たちは計画的に動いている。各世界の共鳴体を孤立させ、無力化しようとしている」


セレインは二人を見つめた。


「あなた方が本当に助けに来たのなら、まず最初の枯れ領域を調べてほしい。そこに何か答えがあるかもしれない」


三人は森の中へと歩き始めた。セレインの導きで、道なき道を進んでいく。エリアスはこの世界の生命エネルギーを強く感じた。木々の囁き、土の中の微生物の鼓動、空を飛ぶ鳥の思考の断片——全てが一つの大きな意識の一部のように感じられる。


「あなたも感じる?」


セレインがエリアスを見た。


「世界の心臓の鼓動が」


「感じる」


エリアスはうなずいた。


「でも、どこかでリズムが乱れている」


「あそこだ」


セレインが指さした先には、異様な光景が広がっていた。半径50メートルの円形の領域で、全ての色が失われている。木々は灰色に変わり、花は枯れ、地面は無機質な砂になっていた。そして中心には、小さな祠のような構造物があった。


「あれは?」


「古い祭壇だ」


セレインは声を潜めた。


「かつて世界の心臓があった場所。今は…何か別のものに変わっている」


三人が注意深く近づくと、祭壇の上に何かが置かれているのが見えた。それは水晶のような物体で、中に微かに光る何かが閉じ込められていた。


「また…犠牲者か?」


エリアスは胸が痛んだ。

しかし、カイが驚きの声を上げた。


「これは…記憶の結晶だ。誰かの人生の記録が封じ込められている」


セレインが祭壇に触れようとした瞬間、影が動いた。


「待て!」


警告する間もなく、無数の影が地面から湧き上がり、三人を取り囲んだ。虚無の使徒たちだ。しかし今回は、以前より組織的で、意図を持って動いている。


「罠だった」


カイは武器を構えた。

影の中から、一人の人物が現れた。黒いローブをまとった男性で、顔には深い傷跡があった。その姿は、エクリプス・シティで戦ったアザゼルに似ていた。


「カイ・フェニックス…久しぶりだな、弟よ」


カイの表情が凍りついた。


「ヴァルター…お前も使徒になったのか」


「なったのではない」


ヴァルターは冷笑した。


「初めから使徒だった。母が最初に産んだ双子の片割れ。お前が光を選び、私は闇を選んだ」


エリアスは二人の間に流れる深い確執を感じた。100年以上続く、兄弟の確執。


「その結晶は何だ?」


カイが問い詰めた。


「この世界の共鳴体の記憶だ」


ヴァルターは祭壇の水晶を指さした。


「次元調律を妨げるために、彼女の過去を封じ込めた。彼女は今、自分が誰なのか思い出せない」


セレインは震えた。


「私の…記憶?」


「そうだ」


ヴァルターは彼女を見た。


「お前は単なる森の守護者ではない。お前はかつて、八重奏の一人として選ばれていた。しかし我々がお前の記憶を奪い、この世界に閉じ込めた」


セレインは頭を抱えた。突然、記憶の洪水が彼女を襲った。別の世界、別の人生、別の自分——


「エリアス、今だ!」


カイが叫んだ。


「彼女の記憶を解放する手助けを!」


エリアスはセレインに駆け寄り、手を握った。調和の光で、封印された記憶の流れを整える。


その隙に、ヴァルターが攻撃を仕掛けてきた。


「遅い!」


戦いが始まった。一方で記憶の解放、他方で生命の戦い。テラ・ヴェルダの運命は、この瞬間にかかっていた。

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