EP.003「歪みの底の真相」

エクリプス・シティ東地区は、通常は活気ある商業地域だった。しかし今、その中心部半径50メートルが、異様な光景に置き換わっていた。

警備隊のバリケードの向こう側、道路は突然別の材質に変わっている——舗装されたアスファルトが、暗赤色の岩肌のようなものに変質していた。建物の一部が透明になり、向こう側にまったく異なる建築様式の構造物が透けて見える。空気さえも重く、甘い金属のような匂いが立ち込めていた。


「これが…次元の歪みか」


エリアスはバリケード越しに光景を見つめ、息をのんだ。物理学を専攻していた彼ですら、目の前の現象を理解できなかった。異なる世界の物理法則が、この小さな領域で衝突し、混合している——そんな非現実的な状況だ。


マルコは警備隊の隊長と話していた。隊長は頑強な体格の男性で、顔には深い傷跡があった。


「内部にはまだ10名が取り残されている。救出隊を三度送り込んだが、全て方向感覚を失って戻ってきた」隊長の声には焦りがにじんでいた。「この『領域』は内部で常に変化している。地図もコンパスも無意味だ」


リリアンは携帯型スキャナーを構え、歪みの境界線に向けた。ディスプレイには乱れた数値が躍る。


「次元の不安定性が極めて高い。これ以上拡大すれば、周囲500メートルまで侵食する可能性がある」


「ソフィアの信号は?」マルコの声には抑えきれない切迫感があった。


隊長がタブレットを差し出した。画面にはエネルギーシグネチャーのマップが表示され、一点が赤く点滅している。


「深部、約40メートル地点で持続的な生命反応を検知。一年前に記録したヴァレンティ隊員の妹のシグネチャーと93%一致」


マルコの拳がぎゅっと握りしめられた。


「侵入経路は?」


「ここだ」


リリアンが境界線の一点を指さした。見た目には他と同じように見えるが、スキャナーには『次元の継ぎ目』が示されていた——二つの世界が最も滑らかに接している地点だ。


「エリアス」


リリアンが振り返った。


「君の共鳴能力が内部のナビゲーションに役立つかもしれない。異なる世界の『周波数』を感知できるなら、安定した経路を見つけられる可能性がある」


エリアスは不安を覚えた。頭の中の鈴の音は、この歪みに近づくにつれ、鐘の音のように大きく鳴り響いていた。目を閉じれば、幾重にも重なる世界の断片がちらつく。


「やってみる」


彼は言った。


「でも、何が起こるかわからない」


「私が同行する」


マルコが装備を整え始めた。


「リリアン博士は外部でモニタリングを」


「了解」


リリアンは二人に小さなデバイスを手渡した。


「トランスポンダーだ。位置と生命徴候を送信する。30分ごとに通信チェックを。もし返答がない場合は——」


「戻ってくる」


マルコは弟の肩を叩いた。


「準備はいいか?」


エリアスはうなずき、深く息を吸った。

境界線を越える瞬間、世界が変わった。

気温が10度ほど急上昇し、湿度が高くなった。重力が微妙に異なり、一歩踏み出すたびに体が浮き上がるような錯覚に襲われる。音も歪んで聞こえる——遠くの警備隊の声が、水中で話しているかのようにこもって響く。


「まずいな」


マルコが周囲を見回した。


「視界がどんどん悪化している」


彼の言う通り、数メートル先の景色がもやのようにぼやけ始めていた。建物の輪郭が溶け、異なる形状に再構成される。道路は突然途切れ、その先には青い砂の地面が広がっていた。


「エリアス、何か感じるか?」


エリアスは目を閉じた。頭の中の鐘の音が、今では複数の旋律に分かれている。高い音、低い音、速いリズム、遅いリズム——それぞれが異なる世界の「周波数」を表しているようだ。


「あっちだ」


彼はある方向を指さした。


「一番安定した音がする。低くて一定したリズム」


マルコはためらいなくその方向に進み始めた。二人は溶け変わる風景の中を進んでいく。ある瞬間はネオ・アトランティカの街並み、次の瞬間には荒涼とした砂漠、また次の瞬間には青い光に満ちた森の小道——


「待て」


マルコが突然立ち止まった。

地面に何かが落ちていた。小さな金属のバッジ——警備隊の識別章だ。


「ソフィアのものだ」


マルコはそれを拾い、きつく握りしめた。


「彼女はここを通った」


エリアスはさらに集中した。鈴の音の中に、かすかに聞こえる別の音——誰かの泣き声のような、か細い共鳴を感じた。


「誰かが…泣いている。あっちの方から」


二人はその方向に急いだ。風景の変化がさらに激しくなる。時空が断片化し、パッチワークのように異なる世界の情景が混在している。ある地点では雨が降り(しかし空は晴れていた)、別の地点では逆さまに浮かぶ岩がある。


そして、ついに一つの「安定した」空間にたどり着いた。


それは円形の広場のような領域で、半径10メートルほどが、荒廃した世界の風景で固定されていた。崩れたコンクリートの建物、錆びた鉄骨、灰色の空。先ほどエリアスが共鳴で見た光景そのものだった。


広場の中心で、一人の少女がうずくまっていた。


年齢は16、7歳くらい。茶色の髪はもつれ、汚れた青い服を着ている。彼女は何かを地面に描いていた——複雑な幾何学模様を、石で刻みつけている。


「ソフィア!」


マルコが駆け寄ろうとした瞬間、エリアスが彼の腕を掴んだ。


「待って!彼女の周りが…おかしい」


エリアスの目には、ソフィアの周囲に薄い光の輪が見えていた。それは脈打つように明滅し、周囲の空間をわずかにゆがめている。


ソフィアが顔を上げた。彼女の目は、焦点が合っていないようだった。


「お兄ちゃん…?違う、お兄ちゃんはもういない。みんないなくなった」


「ソフィア、僕だ、マルコだ」マルコはゆっくりと近づいた。「一年ぶりだ。ずっと探していた」


「一年…?」ソフィアは首をかしげた。「ここには時間がない。ずっと…ずっとここにいる。私が悪いんだ。私が壊しちゃった」


「何を壊した?」


「全部」ソフィアの声には深い絶望がにじんでいた。「あの日、実験室で…パパの機械を触った。光が出て、音がして…それで全部壊れた」


エリアスは突然理解した。彼が共鳴で見た少年——いや、少女だった。ソフィアが、次元の歪みの原因なのか?


「ソフィア、あの日何が起こったのか、ゆっくり話して」マルコは妹の前にしゃがみ込んだ。


「パパが次元安定化装置を作っていた」ソフィアは震える声で話し始めた。「『世界をつなぐ橋』って言ってた。でも完成しなくて…パパは悲しんでた。だから私が手伝おうと思って…」


彼女は涙を浮かべた。


「スイッチを入れたら、光が爆発した。窓の外の景色が変わった。パパもママも…溶けていった。それで私は逃げた。ずっと逃げて…ここにたどり着いた」


エリアスはリリアンに通信した。


「リリアン、聞こえるか?ソフィア・ヴァレンティは単なる転移者じゃない。彼女が…何かを引き起こしたんだ。次元装置を暴走させたかもしれない」


通信機からリリアンの声が返ってきたが、ひどく歪んでいた。


「…確認…ソフィアの生体信号が…歪みの中心と同期…彼女がアンカーになっている可能性…」


突然、ソフィアが叫んだ。


「来た!また来る!」


広場の端が再び歪み始めた。空間が引き裂かれ、その裂け目から——何かが現れ始めた。


人間の形をしているが、完全ではない。輪郭がぼやけ、所々が透明だ。それはゆっくりと、ソフィアの方に向かって歩いてくる。


「あの人たち…私を連れに来た」ソフィアは震え上がった。「毎日現れる。私を責めに」


「誰だ?」マルコは防御姿勢を取った。


エリアスは目を凝らした。その影のような存在たちは、それぞれ微妙に異なる服装をしていた。ある者は古代風の衣装、ある者は未来的な装備、またある者はエリアスの世界に近い普通の服装——


「違う」エリアスは気付いた。「彼らは…ソフィアが関わったすべての世界の人々だ。転移の影響を受けた人々の…残像か何か」


影たちは近づき、囁き始めた。言葉は聞き取れないが、そのトーンには非難と苦痛が満ちていた。


「私のせいで…みんな苦しんでいる」ソフィアは顔を覆った。「消えたい。全部消えてほしい」


その瞬間、エリアスは強烈な共鳴を感じた。ソフィアの深い後悔と絶望が、波のように彼に押し寄せてきた。そして、それに呼応するように、歪みが急激に拡大し始めた。


「マルコ、彼女を連れて出るんだ!今すぐ!」


「無理だ」マルコは妹を抱きしめようとしたが、ソフィアの周りの光の輪が彼を弾き飛ばした。「彼女を囲むエネルギー場が強すぎる」


エリアスは必死で考えた。鈴の音——複数の世界の周波数——ソフィアの苦痛——


突然、閃いた。


「ソフィア!」エリアスは叫んだ。「君のパパの装置は、世界をつなぐものだったんだろ?壊したんじゃない——つなぎすぎたんだ!」


ソフィアがゆっくりと顔を上げた。


「私が…つなぎすぎた?」


「君の感情が増幅装置になって、意図せず複数の世界を結びつけてしまった」


エリアスは近づきながら言った。


「でもそれは、君が悪いわけじゃない。装置が未完成で、制御できなかっただけだ」


「でも…みんな苦しんでる」


「だからこそ、君の力が必要だ」


エリアスはソフィアの前に手を差し出した。


「君だけがこの歪みを鎮められる。君が作ったんだから、君が治せる」


ソフィアはエリアスの手を見つめ、それからマルコを見た。


「お兄ちゃん…私、やれるかな」


「できる」マルコは確信に満ちた声で言った。「君はいつでも強かった。僕が知ってる」


ソフィアは深く息を吸い、うなずいた。


「どうすればいい?」


エリアスは目を閉じ、すべての感覚を集中させた。頭の中の複数の鈴の音を、一つずつ識別していく。


「私が君を導く。私の共鳴が、安定した周波数を見つける。君はそれに合わせて、エネルギーを調整するんだ」


二人の手が触れ合った瞬間、光が爆発した。


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