第30話 リリー死す。

「キリアム」


 校門前。フィートはキリアムの笑った顔を見た。

 ただ楽しそうなものではなく、弱々しく、いまにも崩れ落ちそうな危ういものだった。


「さあ、フィートくん。今日はもう帰ろう。それから明日、森に行くんだ。今度はミーナも誘って、みんなで」


 だが崩れ落ちることはなかった。

 キリアムと別れたあと、あるいは崩れ落ちてさえいれば、なんらかの言葉でもかけて慰めてやれただろうかと悔やむ。

 はっきりとした、強がりとは受け取れないさきほどの笑みに、フィートは背中をおしたことを悔やんだ。




 ▽




「お兄ちゃま。お帰りなさいませ」

「ミーナが僕をお兄ちゃまと呼ぶようになったのって、いつからだっけ」

「え」


 帰ってくるなりしみじみと尋ねるキリアム。

 ミーナは一拍戸惑った。


「……もう、覚えていないのです」

「確かに僕が、魔力がないことを知った日だ」

「え」

「いや。責めたりなんかしてないよ。ただ、ふと思い出しただけさ。あの日から、僕は知らず知らずのうちに自分のことを男惚れだと認めてしまっていたんだと」

「お兄ちゃま、なにかあったのですか」

「なにも」首を振った。「ただ。いつかはこうなると分かっていた。分かっていていずれはと……。魔力が芽生える可能性の方は微塵もありはしないのにね」


 学校でなにかあったのだろう。ただそれはクラスメートのいじめによるものでもないと、ミーナはその雰囲気から察した。

 となると、理由は一つ。候補としてあがったのはレアーナの存在だ。

 ミーナは知っていた。幼い頃からキリアムがレアーナを好きだったことを。


「レアーナと、なにかあったのですか」


 聞くべきではないと思いつつも尋ねる。

 徐々にキリアムの笑みが崩れ、暗く怖いものへと変った。

 だが言葉を発する直前でまた笑みに変わる。そしてまた首を振った。


「なんにもないよ。普段通りさ。幼い頃のままさ」


 幼い頃のまま。キリアムはそう答えることで自分を揶揄した。

 けなさずにはいられなかった。

 自分というものが根本から間違っていたことに気づいた。という感触を抱いていた。


「ごめん、ミーナ」

「え」

「こんな落ちこぼれが兄で」

「そんな」すぐさま否定するミーナ。

「血がつながってないのが救いだ。ミーナが落ちこぼれにならなくてすむ」


 ミーナはその表情と言葉からさらに考えを巡らせる。


「ディートですね」

「……どうだろう」

「知っています。昨日、レアーナがディートをどんな目で見ていたのか、ミーナは知っています」

「あ。やっぱり。そう思ったのは僕だけじゃなかったか」

「お兄ちゃまが、なぜ落ち込んでいるか、少しくらいなら想像はできます」

「落ち込んでる?」

「はい、落ち込んでいます」

「落ち込んでないよ」おもむろに空を見上げた。「僕は元気さ。これまでにないくらいにね」

「お兄ちゃま」

「それ。あれだよね。僕に兄としての自覚をもたせて、強くしようとしたんだろ」

「……いえ」遅れたころに意味を理解し、すぐさま否定した。「違います。ミーナはただ、絵本でみただけなのです」

「そっか。勘違いか」


 ミーナにとってはそれは純粋な行為だった。

 兄に好かれたいがために、ただ絵本の登場人物を真似て呼び始めた。

 だがキリアムは区別がつかなくなっていた。

 すべてが疑わしく、分別がつかなくなっていた。


「そういえば、当時もディートは、いつもレアーナの顔ばかり見ていた。いまではレアーナが見ている。ディートも今では髄の魔法使いだ。魔法使いなんて、魔力があったからってそうなれるものじゃない。つまり、優秀なんだろう。レアーナと同じだ。お似合いの二人だよ」


 もうなにがあったのか言ってしまったようなものだ。

 ミーナははっきりと気づいた。

 だがキリアムは表情を悲しみをださなかった。常に笑っていた。

 そして、その危うい表情も、はっきりとした晴れに笑みに変わる。


「ミーナ。僕はね、たぶんいい兄にはなれないんと思うんだ。かといって騎士にもなれない。だから騎士は諦めるよ。もう学院もいいや、毎日通うのは疲れるし」

「お兄ちゃま……」

「でも、調合師にはなってみせる」

「調合師……そんな呼び名があるのですか?」


 それは一般的ではなかった。


「ああ。イゴールが教えてくれたんだ。今はどっか行っちゃっていないけど」

「イゴール?」

「ミーナにも今度あわせてあげるよ」


 知らぬまにミーナの隣に現れるニック。エプロンをしていた。

 どうやら家事を手伝っているらしい。


「ニック、ただいま」

「クンク」と、キリアムの異変に気付き、ミーナの後ろに隠れるニック。


 キリアムは今、歯茎を向きだしにし、晴れた表情で笑っていた。


「あ~あ。クリーチャー、殺しにいかなきゃ」


 キリアムは、笑った。




 ▽




 それは前触れなどなかった。

 今、キリアムとミーナの前には、顔に白いシーツのかぶされたリリーの姿があった。


「おばあちゃん……」


 キリアムは無表情でその姿を見ていた。


 家の中には葬儀屋の姿があり、そこにはかけつけたフィートやレアーナ一家の姿もあった。

 柱の陰にはどこかで知ったのだろうか、ディートの姿も。

 ミーナは下をむいたまま泣いていた。


「キリアム、時間だ」


 レアーナの父親がそういって肩に手をおいた。


「……はい。すいません、お願いします」


 リリーはウォールハーデンの東にある墓所へ土葬された。

 葬儀にはヴィンセントの姿もあり、レアーナの父親が取り計らった。

 うつむき涙を流すミーナを、レアーナは気遣い言葉もなく慰めていた。

 キリアムが涙を見せることはなかった。声をかけられても飄々と「僕は平気だ」と笑って見せる。

 そんなキリアムにレアーナはどうしていいかわからず、ただ心の中では心配しその場を後にする。

 フィートは分かっているがあえて声はかけなかった。

 その時ばかりはディートの様子にも企むようなものはなかったが、本心はわからない。

 キリアムは終始、無表情だった。

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