第22話 鱗

 太い根っこは力強く、どうこうできるようなものじゃなかった。

 でも飛び乗りやすく、足場にもなった。


「キリアム、そこで何をしてる!」

「え」


 ヴィンセントは他の騎士たちが気絶してしまったせいで、集中砲火を受けていた。

 どうやらスメラギーの気は、今ヴィンセントさんに向いているらしい。


「そのまま上半身まで走れ! 俺はこいつの根っこで手詰まりだ!」


 力強く頷き、僕は根っこをよじ登りながら巨大なサマラ――スメラギーの上を走った。


「ぐっ!」


 突然、また左腕が痛んだ。

 ないはずの左腕が熱い。

 まるで火がついたみたいだ。


「イゴール、さっきから腕がおかしいんだ」

『おかしい? 右腕のことか?』

「違うよ、左腕さ! なん、だか……」

『だが左腕はもうねえぞ』

「でも痛いんだよ、調合薬でどうにかならないの」

『素材がねえ、回復薬はもう飲んだろ』

「そう、だけど……ぐっ。ぐぁあああああああ!」

『キリアム、我慢しろ! 奴に気づかれる!』


 でもイゴールがそう忠告した時にはもう遅かった。

 ヴィンセントさんが逸らしてくれていたスメラギーの気が、ゆっくりと僕へ切り替わる。

 スメラギ―の顔をが、僕を真上から覗いていた。


『キリアム、避けろ!』


 スメラギーの大きな手が、僕へ覆いかぶさるように襲った。


「うっ!」


 僕は痛みを堪えながら、どうにか隣の根っこへ避難した。

 ただその時、マグロ切り包丁を下に落としてしまった。


『クソッ!』


 でも今から取りに戻るなんてできない。

 策があるとすれば蕎麦包丁か……もうそれしかない。

 僕は残された右手で根を掴みながら、体を支えもう一度かけた。


 イゴールはエドワードの腕力は宿ると言っていたけど、あの薬は足への効果もあったのだろうか。

 普段とは違い、どこか俊敏さが増しているような気がする。

 だからといってスメラギーの攻撃を楽々避けられるってことでもない。


「薬が効いてるよ、体が軽い」

『……そりゃ良かった。だが倒せなきゃ意味ねえぞ。あのおっさんはここまで来れそうにねえしな。へっ、口ほどにもねえ野郎だ』

「一人じゃ厳しいよ。それにヴィンセントさんの専門は吸血鬼だ」

『じゃあフィートに近づかせないようにしねえとな。さっさと終わらせて帰ろうぜ』

「そのつもりさ」


 僕は両足で走りながら、時に右腕で根を掴みながら、上半身に向かって走り続けた。


『キリアム、奴に髪の毛に飛び移れ!』

「え!?」

『髪の毛だ、その腕力があればいけんだろ! そこから一気に顔面へ狙え』


 無茶だ。

 だけど手段を選んでる場合でもない。

 僕にできるなんて限られてるだろうし、イゴールもそれは分かってるだろう。


「やぁあああああああ!」


 勢いよく髪の毛に飛び移った。


『よし!』


 右腕で掴み、両足で挟んだ。

 束感がなく細い上に、ゆらゆらと揺れる分、木登りのようにはいかない。


『頭の上だ!』


 無茶な注文に応え、僕は足と一本の腕で登り切る。


「やった……やったよ、イゴール」

『安心するのはまだえ。さあキリアム、蕎麦包丁でこいつの頭をぶった斬ってやれ!』


 背中のリュックから蕎麦包丁を取り出し、右手に構えた。


『キリアム、今だ!』

「うん! やぁあああああああ!」


 ――刃は髪の毛を切り、その大きな頭部へとめり込んだ。

 その瞬間、スメラギーの叫び声が辺り一面に響き渡る。


「ソウヨネェエエエエエエエエエエエエ!」


 まるで抑揚のない声だ。

 痛みを感じているのかも分からないほど、感情と一致していないかのような叫びだった。

 でも刺されたことは分かってるんだろう。

 直後、スメラギーは自分の頭を叩き始めた。


「うつ、うあぁああああ!」


 僕は慌てて回避する。

 でも攻撃が収まらない。


「あっ……」


 足を滑らせ、バランスを崩した。

 頭からずり落ち、少しずつイゴールの姿が遠ざかっていく。

 それはまるであの時のようだった。

 エドワードに追い込まれ、峡谷に落ちた時の光景を思い出す。


 終わりだ。僕はこのまま落ちていく。

 イゴールの声が聞こえたけど、もうどうしようもない。

 そう思った時だった。

 突然に体の動きが止まった。

 そこは場所でいうならスメラギーの顎の高さだ。

 足がどこに着地している訳でもないというのに、僕はそこで止まっていた。


「え……えっ! うわぁあああああ!」

『キリアム、無事か!』

「な、なんだよこれ! イゴール! 僕の腕がぁあ!……腕がぁあああ!」


 左腕が生えていた。

 だけどそれは人間のものじゃないと、一目見て分かった。

 腕は赤い鱗に包まれていた。


 魚の鱗を想像した。

 でも大きさが違う。

 こんなもの、クリーチャーでも見たことがない。

 肘の先から先が、燃え上がるような真っ赤な鱗で覆われている。

 手の平や甲、指先にまで及ぶ鱗は、不気味で力強く、また指先の違った爪は危なそうだ。


『キリアム! そいつを使え!』

「え、使えってこれのこと!?」

『そうだ! そいつでこのクリーチャーをぶった斬っちまえ!』



 イゴールは僕の腕に驚いていなかった。

 これも先ほど飲んだサマラの捕縛剤の副作用なのだろうか。


 でも、ここまでイゴールの言う通りにして間違ったことはなかった。

 イゴールはいつも多くは語らない奴だし、まだ戸惑いはあるけど、もうこれを使うしかない。


『キリアム! 思いっきり切り裂いちまえ!』


 イゴールの声に迷いはなかった。


「分かったよ!」


 そう答えた時、僕は右手に掴んでいたスメラギーの髪の毛を離し、その顔面へと飛び掛かっていた。


「やぁああああああ!」


 左腕を構え、左目から鼻、そして右のえらにかけてを狙い、躊躇いを捨て腕を振り切った。


『――見事だ』


 イゴールの声が聞こえた。


「え……」


 でもそれは、僕の想像した結果とは大きくかけ離れていた。

 ――スメラギーの顔面は切断され、五つに分かれていたのだ。

 それはスメラギーの後ろ、倒壊した建物の先に広がる町の景色が見えるほどだった。

 口から上がすべて切り落とされなくなっている。

 斬れたパーツはそのまま下に落ちた。


「え、ちょっ……なに、これ」


 僕は分からなかった。

 ふと眺める赤い左腕。

 だけどそれは、僕の斬撃だ。

 そこでまた何かが崩れるような大きな音が聞こえ、顔を上げた。


「へ、そんな……嘘だろ」


 スメラギーの後方に見えていた建造物にいくつかが、スメラギーの顔と同じように、五つに切断され崩れ落ちた。


「え……僕のせい?」


 ただ分からない。

 確証なんてなかった。


『キリアム、終わったな』

「え、終わったの?」

『ああ、お前が倒したんだ。ちゃんと下のマグロ切り包丁は回収しておけよ』

「うん。だけど……この腕って」


 だが見ると、僕の左腕は元の人間の腕に戻っていた。

 そこには先ほどまでの赤い鱗は一つもない。


「あれ?」

『ハイドゥインの調合術だ。学んで良かっただろ?』

「……ああ。そう思うよ」


 その時、スメラギーが倒れ、辺りに大きな衝撃が走った。

 地面は反動で揺れ、でも僕はその揺れに勝利を確信した。


「そうか……勝ったのか」


 その勝利は意外にあっさりとしていて、本当に自分がやったのかもよく分からないものだった。


「坊主、よくやった!」


 そこへヴィンセントさんが現れる。


「魔力のない落ちこぼれだと聞いていたが、やはり坊主はただものじゃないな。どこでそんな力を覚えたんだ」

「それは……」

「ん? 言えない話か?……まあいい。それより向こうの二人を避難させて、お前ももう帰れ。残りのサマラは俺が倒しておく。そもそも俺への依頼だからま。坊主が倒しても何の得もない。それにこのままここにいても、素性がバレるだけだぞ」

「素性がバレる? え、どういう意味ですか?」

「ふっ、隠すなよ。そういうことだろ? それだけの力を持っておきながら、落ちこぼれ呼ばわりする輩を許しているというのも奇妙な話だ。何か理由があるんだろうが、俺は野暮なことは聞かない主義だ。さあ、もうお前は家に帰れ」

『キリアム、このアホにここは任せておこう』

「……じゃあ、あとはお願いします」


 何を勘違いしているのか、ヴィンセントさんは悟ったような笑みを浮かべ、町の路地へと駆けていった。

 マグロ切り包丁を拾い、僕は二人へ駆け寄る。


「あれ、キリアム、その腕はどうしたの? さっきはなかったはずじゃ……」


 フィートくんは不思議そうに驚いていた。


「これは……調合薬だよ」

「嘘よ、調合術になくなった腕を生やすものなんてないわ」

『なあキリアム、幼馴染ってのはどいつもこんなにうるさいものなのか?』

「ただの調合術じゃないよ」

「ただのって?」

「ハイドゥインの調合術さ」

「……いつもと同じじゃない。キリアムの嘘つき」


 レアーナはそう言って、その時ばかりは笑っていた。


『たく、分からねえ女だ。だが、そういえばマヤもそうだったな……』

「え……」


 イゴールは時々寂しそうな顔をする。

 どこか遠くを見つめるような、そんな表情だ。

 でもこの時の僕は、そんなイゴールの表情に隠された想いを、少しも理解していなかった。

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