第7話 イゴール

 草むらを抜け森を抜け、ミニークンクを誘導しながら森の奥へと進んでいく。

 どのくらい進んだだろうか。

 でもミニークンクは鼻が利くし、近すぎるとトーマスくんの臭いを思い出して、また狂暴化してしまう。

 離れ過ぎているくらいが丁度いい。

 そんなことを思いながら、ふと水の音に気づいた。


「こんなところまで来てたのか」


 そこは崖だ。

 危ないだけで周りには何もないから、誰も近づこうとはしない。

 見下ろせば下は激流。

 水の音はそれが理由だった。


「こんなところでいいだろう」


 そこでミニ―クンクにアモーレの実を上げた。


「クンククンク!」


 そう言って喜びながら、ミニークンクは木の実を食べていた。

 いくらでも手に入るが探すのが楽というわけでもない。

 まだハーフリブの方が楽だ。

 そこでさきほどトーマスくんが斬り付けていた背中の傷のことを思いだし、ミニークンクの背中を覗いてみる。

 でも既に傷口はふさがっていた。


 銀はすべてのクリーチャーに有効だと、ウォールハーデンでは信じられている。

 だからこの国の騎士は剣の材質に銀を選ぶ。

 銀で斬りつけられた傷は通常の鉄や鋼よりも深く切れ、また傷の治りも遅い。

 だがミニークンクの背中に傷口はなかった。

 流石はハイドゥインの回復薬だ。

 忘れられた物でも効果は健在だった。


「食べたら森に戻るんだぞ」

「クンク!」


“分かった”とでも言っているんだろうか。

 ミニークンクはアモーレの実に夢中だった。


「ん?」


 その時、微かに音が聞こえ、反射的に振り向いた。


「なんで、ここに……」


 ――木の影から体半分ほど、エドワードが顔を覗かせていたのだ。


「どうして……」


 なんでここにいる。こいつはさっき眠らせたはずだ。

 見ると額に切り傷があった。

 さっきのエドワードにはなかったものだ。


「別のエドワードか……」


 ただ、エドワードはそう何匹も出くわすようなものでもない。

 ミニークンクのいるとこには必ずエドワードがいるし、その逆も言える。

 でもエドワードは大体、一つの森に一体くらいだ。

 この森のように広い森であっても複数生息してるなんてことは基本的にない。


 エドワードの姿に気づいたミニークンクは身を食べていたその手を止め、僕の後ろに隠れた。


「そんなところに隠れられても困るんだけどなあ……」


 対応策がない。

 この状態で調合は無理だ。

 だから調合中は廃れたのだろうと、この状況で痛感する。

 僕だって魔力があれば瞬時にリトルバースで波動でも出して、こんな奴、け散らしてやりたい。

 その方が調合よりも圧倒的に効率がいいし、敵から視線を逸らさなくて言い分、危険も少ない。

 だから調合術はダメなんだ。


 一歩、あとずさった。

 でも後ろには崖がある。

 よりもよって……。


「クンク……」


 ミニークンクを置いて逃げるか。

 でも、そしたら多分こいつは死ぬだろう。

 こいつを囮に一度森に入って、ミニークンクが襲われている隙にさっきの眠り薬を作るか。

 でも、眠草ねむそうはあとどれくらい残っていただろうか。

 もし残っていなければ終わりだ。


 ここに来て調合術の悪いところが出始めた。

 騎士なら、どうやって解決するんだろうか。

 銀剣で正面から立ち向かうんだろうか。

 でも調合術にはそれができない。それができないのが調合術なんだ。

 ハイドゥインの調合術……おとぎ話にすらなれない代物だ。


「え……」


 そんなことを考えていた時だった。

 エドワードはそのガリガリの足でもの凄い瞬発力を発揮し、一瞬で僕の目の前に現れたかと思うと、止まることまでは考えていなかったのか、僕とミニークンクにぶつかった。


「ちょっ……うわぁあああああああああ!」


 そして、そのまま僕らと一緒に谷底へと落ちた。


 よそ見なんかしてない。

 ただ、どうしたって反応できる速度じゃなかった。

 崖が遠ざかっていく。

 谷族へと落ちる最中、考えていた。

 こんなことならレアーナともう一度ちゃんと話して、それからズルをしてまで入学したくなかったと、そう言えば良かった。

 それから今思ってることを正直に話せば良かった。

 避けている理由とか、もし誤解があるのなら、嫌いになったわけじゃくて、レアーナを想って関わらないようにしてるんだと、そう言えば良かった。

 それだけで僕は罪悪感から救われたはずだし、レアーナも納得したはずだ。

 でも、今となっては遅ぎる後悔だった。




 ▽




 意識を取り戻した時、最初に水の音が聞こえた。


「ん……冷たい?」


 体に水の感触あり目を開けると、そこは海辺の浜だった。

 微かにぼやける視界の中、ゆっくりと上体を起こし辺りを見た。

 海だ。

 ウォールハーデンの東には海がある。


「こんなところまで……」


 流されていたとは。

 そこであることに気が付いた。

 ミニークンクが何故か椅子を運んでいるのだ。

 おそらく僕と一緒に谷へ落ちたあのミニークンクだろう。

 その先には既に机ともう一つ椅子があり、そこに、とんでもない姿をした異形の者が座っていた。


「……」


 思わず言葉を失った。

 そいつは何も言わず、何故か僕を見ている。

 僕は警戒しつつ立ち上がり、とりあえずここを離れようと帰り道のことを考えていた。


 女性ではないような気がする。男だ。

 その男の体は燃え上がるような赤い肌をしていて、頭には捻じれた角が生えていた。

 背中には本で読んだことのある吸血鬼のような羽が生えていて、お尻には尻尾まであった。

 尖った尻尾が机の上においてある本のページをめくっている。

 衣服は腰の布以外は身に着けていないようで、筋肉質な赤く大きい体は、この浜辺には不自然だった。


「人間、か……」


 そんな疑問がこぼれていた。


「俺が人間に見えるか?」

「……」


 男の声は思っていたよりも図太くはなく、なんといか人をこ馬鹿にしたような、そんな雰囲気を感じさせる変わったものだった。

 そこでミニークンクが運んでいた椅子を机の傍に置いた。


「まあ座れよ」

「え……はい。分かりました」


 辺りには波の音しかなく、人影もなく、僕とミニークンクとこの男しかいない。

 僕は言われるがまま、何故かその男の言うことを聞き、椅子に座り男と向かいあった。


「お前の血が川に流れた。そこから血の情報が俺に伝わった」


 男は僕の左手を指さしそう言った。

 今気づいたが、左手の甲を何かで擦りむいたのか、そこから血が出ている。


「頭のいいミニークンクだ」


 男はまた別の椅子を運ぶミニークンクを見てそう言った。

 さっきから何故椅子を運んでいる。

 そしてその椅子はどこから持ってきたものなのか。

 辺りには砂と水しかなく手掛かりがない。


「状況が分かってねえだろ?」

「え……はい」

「だろうな、俺も目が覚めたばかりであんまし分かってねえ。まずさっきの質問だが、俺は人間じゃねえ。姿もお前とこのミニークンクにしか見えてねえ」

「なるほど……」

「嘘じゃねえぞ」

「……」

「まあいい。俺の名はイゴール。人は俺を知恵の悪魔と呼ぶ」

「イゴール……さん?」

「イゴールでいい。そんでお前はハイドゥインだな?」

「はい。え、なんで僕の名前を……」

「川に血の情報が流れたって言っただろ。お前の中に流れるハイドゥインの血が俺の睡眠を妨害したのさ」

「ぼ、妨害……」

「まあ、それは冗談だ。で、名はなんていうんだ?」

「キリアムです」


 するとイゴールは机の上にあった本のページを尻尾でめくった。


「じゃあキリアム。聞くがおめえ、知恵が欲しくねえか?」


 イゴールはそのぎらついた目を向け、そして不敵な笑みをうかべた。


「知恵、ですか……」

「そうだ、知恵だ。突然のことで何を言ってんのか分からねえだろう。お前は俺のことも、俺が何を言ってんのかも分かってねえ。だが俺は分かってるぜ、キリアム。なんせ血の情報を得たからなあ」


 ここがウォールハーデンの東にある浜だってことは分かる。

 でも、何で僕はこんな人につかまっているんだろうか。


「魔力がねえってのはしんどいか?」

「え……」

「魔力だよ。ねえんだろ?」

「……」


 見ず知らずの他人が何故そんなことを知っているのか。

 まさか、落ちこぼれの異名がこんなところにまで。


「血の情報には生まれつきのものなら何でも詰まってんだよ。お前には魔力がない。それは想像するに、まあ、順風満帆な人生ってわけにはいってねえだろうなあ」

「……」

「だが俺が知恵を授ければ魔力なんか必要ねえぜ?」

「…………その、知恵って何の話ですか?」


 僕が話に食いつくと、イゴールは笑みをうかべた。


「ハイドゥインの調合術だ。その昔、俺はハイドゥインと悪魔の契約を交わし、ハイドゥインに知恵を授けた」

「ああ、調合術なら知ってますよ。小さい頃から学んできたし、大抵の調合なら一人で全部できます。魔法に劣る、非効率な工作ですよね」

「それは俺が教えた調合術とは違う」

「何がですか」

「お前が仮に俺の知恵に基づいた調合術を知ってるってんなら、そもそも魔法になんか頼ってねえはずだ。魔術には限界があり、特に奴らには何の意味もなさねえ」

「奴ら?」

「……まあ、その話はまた今度でいい。とにかくだ。お前が知ってんのは一般家庭に浸透した類の日常に役立つ調合だ。俺が言ってんのはそんな生ぬるい類の代物じゃねえ。戦闘に特化した調合術だ」

「…………眠り薬なら僕にも作れますよ」

「肉体強化系の薬は作れるか?」

「え……」

「作れねえだろ。だからお前が知ってんのは調合のほんの一部に過ぎねえってことだ。血の情報によれば、どうやらお前は騎士なんてものに夢を見ているらしいが……確かリトルバースだったか?」

「はい」


 誰だって騎士に夢を見る。

 僕に限ったことじゃない。


「そのリトルバースに一体何ができんだ、教えてくれよ」

「……波動を飛ばせます」

「なるほど、そんで?」

「触れずにものを動かしたり、免疫力を高めて治癒を促したり、身体能力を向上させたり……あとは相手の表面に停滞させることで、動きを読んだりも出来ます」

「なるほど、だがそれなら調合術にもできるぜ」

「まさか……」


 少し笑ってしまった。

 そんなこと、できるはずがない。


「まあ、触れずにものを動かすってのは難しいが、動体視力を上げれば相手の動きが捉えられるようになる。肉体を強化すれば瞬発力と腕力、免疫と痛みへの耐性なんかも上がる。剣すら弾く強靭な肉体が手に入るぜ?」

「そんなはずはないですよ。だってそんなもの、書物のどこにも書いてないし」

「俺の知恵は俺が用意した羊皮紙にしか書けねえ。例えばこの本がそうだ」


 イゴールは僕に机の上に置いてあった本を渡した。

 中を開いてみると、そこには少し目を通しただけでも分かるほどの、高度な調合法が記されていた。


「まさか……こんなことが……」

「お前が寝てる間にささっと書いたんだ。ハイドゥインの地下室に行けばそんな調合書がもっとある」

「僕の家の地下室ですか?」

「違げえよ。その昔、ハイドゥインが調合の知識を隠すのに使った隠れ家みてえなもんだ。俺は奴に調合のすべてを教えた。そしてハイドゥインはそのすべてを本や羊皮紙にまとめ、地下室に保管したのさ。当時、人はそれを負の地下室と呼んだ。危険極まりない間違った調合術だと批判したのさ。だからハイドウィンは隠した。誰にも見つけられねえようにな。ハイドゥインの死後、それはハイドゥインの地下室と呼ばれるようになったが、お前の反応を見る限り、どうやらハイドゥインの名前自体、忘れられてるっぽいな」

「ハイドゥインはウォールハーデンにある古びた道具屋の名前です。他国の人は当然知らないだろうし、ウォールハーデンでも古い人しか知らないし、物好きな人しか店に来ない」

「そりゃ好都合だ。昔はハイドゥインというだけで捕らえられたりもした。奴以外、地下室の場所は知らねえのにだ」

「その、さっきから奴って誰のことを言ってるんですか?」

「この世界にハイドゥインの血を持ち込んだ、最初のハイドゥインのことだ」

「持ち込んだ?」


 外は夕暮れ時だった。

 どうやら随分とここに長居していたようだ。


「そろそろ帰ります。助けていただいてありがとうございました」

「助けんのはお前だよ」

「……あの。お話、面白かったです」


 僕がそういうとイゴールは睨んだ。

 でも……はっきり言って、まるでおばあちゃんと話してるみたいな、そんな感じしかしない。

 おばあちゃんもよくハイドゥインがどうとかって、そんなことを言ってる。

 昔からだ。昔からハイドゥインの調合術だけ勉強してればいいと、そればかりだ。

 この知恵の悪魔がなんなのかは知らないが、僕には関係ない。

 おとぎ話は子供の読み聞かせるものだ。


「俺を拒んでもろくなことにはならねえぜ。お前は賢いから俺が少し話せばわかるはずだ。例えば、この海の水を飲んだことがあるか?」


 いきなりイゴールは意味不明な質問をした。


「海の水ですか」

「そうだ。一度くらいならあんだろ?」

「一度も何も、この水は毎日飲んでます。切れたら汲みにくるんですよ。さっきから一体なんの話をしてるんですか?」

「海の水ってのは、普通は飲めねえのさ。これは海じゃねえ、ただの広大な湖だ」


 その話に思わず笑ってしまい、直ぐに口を隠す。


「可笑しいか? まあ、可笑しいだろうなあ。だがそれが真実だ。そしてこの湖の向こう側に何があるのか、それは誰も知らねえ。俺は知ってるけどな」

「あの……」


 この辺りで止めないとこの人はずっと喋っていそうだ。


「キリアム。なんでお前に両親がいないのか、その理由について考えたことがあるか?」

「え……」

「言っただろ、血の情報を見たと。お前は年老いたばあさんと妹のミーナの3人で暮らしている。だが誰とも血は繋がっていない。孤児だったからだ。お前は親の顔を知らず、だが何故か手元にはハイドゥインという姓があった。お前の記憶にはしっかりと刻み込まれていたわけだ」

「……」

「キリアムよ、俺がボケたおっさんに見るか?」


 イゴールは無表情だった。


「ボケたおっさんに見えるなら行け。それがハイドゥインの選択なら仕方がねえ、俺は諦めて余生を楽しむぜ」


 おばあちゃんのこともミーナのことも、僕は一言も話していない。

 何故、イゴールはそんなことを知っているのだろうか。

 血の情報ってなんだ、魔法か何かか。


 その時、背後で浜の砂を踏みしめるような音と気配がした。


「なっ……」


 振り返ると、そこにはあのエドワードの姿があった。

 僕とミニークンクを崖に突き落とした、額に傷のある、あのエドワードだ。

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