第3話 初めての町の外

ギルドの日雇い仕事、初日は倉庫の荷運びだった。

休憩は「各自で取れ」。つまり休憩はない。

木箱は重くて容赦がなかった。

持ち上げて、運んで、息が続かなくなって、膝が勝手に落ちた。

親方は僕の心配をせずに、ため息だけついて「帰れ」と言った。

初仕事、秒速クビ。勇者でも関係なかった。


ギルドへ向かう途中で開いていた民家を見つける。

そうだ、民家にはだいたいアイテムがあるはずだ。

さっそく入ってタンスを漁る。壺の中を見る。

引き出しの中を見ると硬貨の鳴る革袋があった。

僕は反射でそれをポケットにねじ込んだ。あとは回復アイテムか装備が欲しいところだ。


すると家主らしき人が現れて何故かこちらをにらみつけている。

僕は当たり前の顔で聞いた。


「宝箱って、この家にあります?」


家主は顔を真っ赤にして僕を殴り飛ばしてきた。

あぁ、勇者のこと説明してないから怒ってるのかと思ったが、説明するとさらに彼の顔が赤くなり僕は玄関へと投げ飛ばされる。


ギルドに戻って再び仕事を探す。

派手な討伐依頼は埋まっていた。

残っているのは、手間の割に報われなさそうなものばかり。

その中で、紙の端に小さく貼られていた一枚が目に入った。


《採集:薬草、マナキノコ 危険度:低》


危険度:低。

この世界で初めて見た、安心できそうな文字だった。


薬草の採取は誰でもできるらしい。登録もいらない。

老若男女を問わず受けられる仕事、つまり失敗しても、誰にも怒られない仕事だ。


僕は依頼書を一回だけ見て、すぐ目を逸らした。


「……行くか」


先ほどの民家で手に入れた銅貨で靴を買い、僕は城門へ向かった。


城門を抜けると、世界が変わった。


人の声が遠くなる。

石畳が土に変わる。

匂いが街の匂いから、草と木と水の匂いになる。


……やっと、息ができる。

城門が見えなくなってからしばらくしてようやく目的の場所にたどり着く。

僕は草が濃い場所でしゃがみこんだ。


依頼書に描いてあった薬草の絵を思い出す。

葉の形。色。茎の長さ。

丁寧すぎて逆に怖い。


(これ、間違えたら毒とかあるやつだよな)


僕は慎重に周りを見る。


似たような草はたくさんある。

でも、よく見ると違う。

ギザギザ。色の濃さ。茎の硬さ。


僕はそれから、無心で採集した。

薬草っぽいやつ。キノコっぽいやつ。


(これがマナキノコか?)


と思って匂いを嗅いで、結局よくわからなくてやめた。


バッグなんてないから、最初にもらった服の袖を縛ってそれに入れていく。

勇者の装備としては最弱だと思う。

でも今の僕には、これが精一杯だった。


つい夢中になって奥深くまで来てしまっていたみたいだ。


「……よし、帰ろ」


そう思って立ち上がった瞬間だった。

草むらの向こうで、何かが動いた。


最初は風だと思った。

でも違う。音が重い。地面が揺れる。


僕は息を止めた。


草を割って出てきたのは――猪。


いや、猪っていうには大きすぎる。

毛が黒くて硬そうで、体が岩みたいで、目が赤い。

牙が、僕の腕より長い。


(え)


猪の魔獣は僕を見た瞬間、雄たけびを上げながら迷いなく突っ込んできた。


「ちょ、待って待って待って!」


言葉が通じるわけがないのに、口が勝手に叫ぶ。


僕は走った。


足が勝手に動く。

脳が考える前に動く。

生きる時ってこうなんだなと思った。


背後で土が抉れる音がした。

木が折れる音がした。

呼吸が喉で引っかかって、肺が痛い。


(無理無理無理無理)


僕は森の奥へ逃げた。

道なんてない。枝が顔に当たる。足に絡む。

でも止まれない。


猪は早い。

僕よりずっと早い。


足音が近い。近い。近い。


この世界に来てからいいことが何一つない。

今日を生きようとしているだけなのに何一つうまくいかない。

期待されて、捨てられて、投げ捨てられて、今は猪に殺されかけてる。


僕の視界の端で、地面が少し不自然に見えた。

草が、わずかに盛り上がっている。


でも、そんなの気にしてる余裕はない。


僕は踏み込んだ。


次の瞬間、足が空を切った。


「え」


体が浮く。


世界が上下逆になった。

胃が置いていかれる。


何かが僕の体を包んだ。


網。


網状の縄の束が、僕を受け止めて、引っ張り上げた。


「うわああああっ!?」


叫び声が森に吸い込まれる。


ぐるん、と揺れて、僕は逆さ吊りになった。

足首に縄の感触。肩に網の圧。全身が包まれている。


……痛い。


痛いけど。


地面に叩きつけられる痛さじゃない。

牙で裂かれる痛さじゃない。


僕は必死に下を見た。


猪の魔獣が暴れている。

僕に届かない。届かない代わりに、怒っている。


牙で空を抉って、木を削って、泥を跳ね上げる。


僕は網の中で息を吸った。


「……助かった……?」


僕の声はまだ震えていた。


網は変な形をしていた。


普通の吊り罠って、もっとギュッと締め上げると思ってた。

でもこれは違う。僕より大型の動物を捕えるためなのかゆったりしている。


猪はしばらく暴れていたけど、やがて諦めたのか森の奥へ消えていった。


静寂が戻る。


「……生きてる……」


空を見た。木の隙間から細く見える空。

細いけど、ちゃんと青い。


そうなると急に、やることがなくなる。


足首にかかったロープを解く、でも網に包まれたままで抜けられそうにない。

僕は支給された剣を思い出した。

そうだ、剣。勇者っぽいやつ。こういう時に使うやつ。


僕は網の隙間から腕をねじ込んで、剣を取り出した。

刃を縄に当てて、力を入れる。


ギコギコ。


切れない。


いや、切れないというより――

これ、どっちが刃でどっちが峰なんだ?ってなるレベルで、全部が鈍い。


僕は角度を変えた。

反対向きにした。

また変えた。


ギコギコ。


縄はびくともしない。

僕は剣を持ったまま、静かに絶望した。


風が吹いた。網がふわっと揺れる。

ゆりかごみたいに。


体は疲れている。

逃げた。転んだ。吊られた。

脳がもう「今日は終わり」と言っている。


僕は目を閉じた。


真っ暗にならない。

木漏れ日が、まぶたの裏で揺れている。


僕は安心してしまった。


そしてそのまま、眠ってしまった。


どれくらい寝たのかわからない。

森には時計がない。僕には金もない。



「……かかってる」


嬉しくてつい声が出てしまった。

今日も成果を得られるなんて、ここ最近ツいてる。


人影は足元の縄を確かめるように触り、手際よく点検していく。

罠は正常。吊り具合もいい。

網はしっかり獲物を包んでいる。


人影は最後に、ゆっくり顔を上げた。


獲物を確認するために。


そこで、表情が止まった。


吊られていたのは、猪でも鹿でもない。

ましてや魔獣でもない。


ハンモックみたいに包まれて揺れながら。

気持ちよさそうに。


人影が、小さく声を漏らした。


「……えっ、人間?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕勇者なんですけど? 〜“ハズレ”と呼ばれた僕が、敵国の王になるまで~ @kuronodo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ