第8話 大団円

「交換殺人」

 というものの中に、

「もう一つ、複雑な要素を織り交ぜるというのは面白いのではないか?」

 と、市場博士は考えていた。

 というのは、

「実行犯というのが複数」

 ということもありではないか?

 ということであった。

 確かに、

「共犯が増える」

 というのは、それだけ犯罪が露呈する可能性が高いといえるだろう。

 しかし、

「交換殺人というのは、この犯罪が、交換殺人だと分かってしまえば、そこで、完全に、犯人側の負けだ」

 ということになる。

 となると、

「交換殺人だということが分からないようにする」

 ということを考えた時、

「お互いの実行犯は一人ということでしか、交換殺人はなりたたない」

 ということである。

 もちろん、

「共犯者がやたらと増えるのが、犯人としての最大のデメリットだと考えるからであるが、それでも、これは交換殺人ではないと思わせることができれば、デメリットが、メリットに反転することだってある」

 といってもいいだろう。

 それが、どういうことかというと、

「殺される人間が、複数の人から、殺したいという動機を持たれている」

 ということで、

「一人は復讐」

 ということかも知れないが、何も、

「殺したい相手がいる」

 と考えた時、その人にとって、何も、

「復讐であるという必要はない」

 ということだ。

 たとえば、

「その人が死ぬと、遺産が手に入る」

 であったり、

「保険金を大量に掛けていて、それをもらい受ける」

 というもの、

 ただそれだけでは、怪しまれるということもあり、さらにそこに、

「被害者には借金があり、保険の受け取りは行うが、遺産相続を放棄してしまえば、借金を払う必要はない」

 ということになり、動機としてはありだろう。

 そういう意味で、

「それぞれに、動機というほどの確立したものではないが、最終的な結果として、自分が得をするということで、利害の一致というものから結びついた者たちということであれば、彼らは別に、それぞれが知り合いであろうが関係ない」

 ということになる。

 ただ、

「事件が複雑になる」

 ということで、さすがに警察も、

「そこまでの発想をすることはないだろう」

 ということで、

「犯罪は、いろいろな可能性を考える必要がある」

 といえるだろう。

 それが、

「無限の可能性」

 ということで、

「市場博士も、二宮博士も同じように考えているわけで、いかに相手よりも深く考えることができるか?」

 いう発想が、

「完全犯罪」

 というものではないだろうか?

 実際に、この二人とは別に、もう一人、

「二人の研究」

 を実際には詳しくは知らないが、

「今は二宮博士の方が先に進んでいるが、いずれは、そこに市場博士の考えかたが追い付いてきて、追い越すことになるだろう」

 と思っていた。

 結局は、お互いに、

「シーソーレースを繰り返していて、いたちごっこを繰り返すことで、自分に近づいてくることになるんだろう」

 と思っている博士がいた。

 彼の名前は、

「三上博士」

 という人で、彼は、実際には、

「二人が考えている研究を、ある程度まで解明はしていた」

 というのは、

「完全に解明してしまえば、凝り固まった発想から、他の発想に移った時、さらにつながる発想を巡らせることができないだろう」

 と考えるからだった。

 あくまでも、

「臨機応変な発想ができる」

 ということに特化した形において、

「自分は新たな発想」

 という研究を続けることができると考えていた。

 三上博士は、

「完全犯罪」

 ということや、

「犯罪心理学」

 というものの先を進んでいた。

 そして、今何の研究をしているのかというと、

「路傍の石」

 というものの研究であった。

「目の前に見えているにも関わらず、その存在をまったく意識されない」

 という、一種の、

「気配を消す」

 ということに特化した発想である。

 これも考えかたとして、

「三すくみ」

「カプグラ症候群」

「タイムマシン研究」

「ロボット開発研究」

 というものが、

「完全犯罪に特化したもの」

 と考えた時、それぞれに結びついた発想から、

「相手に見えているにも関わらず、意識されない」

 ということで、もう一つ、最近考えられている。

「利害の関係」

 というものでの共犯という発想が、

「路傍の石」

 ということであれば、

「どれだけたくさんの人が、共犯ということであっても、関係ないといえるのではないだろうか」

 そんなことを考えると、

「三上博士」

 というのが、どんな研究をしているのか?

 ということを、どれだけの人が知っているのかである。

 実際には、

「皆に、彼の研究は見えているのだが、その存在が意識されない」

 ということで、

「三上博士自身が、路傍の石になっている」

 ということであった。

 その極意を、自分で会得しているのが三上博士というわけであるが、

「会得はできているが、それを理論的に説明することは難しい」

 ということだ。

 だから、三上博士の研究というのは、

「自分自身を、自分で研究する」

 ということである。

 これは、実は一番難しいということであり、逆にいえば、

「自分の気配を周りから消すことができれば、博士として君臨することができる」

 といってもいいだろう。

 だから、

「市場博士も、二宮博士も、自分の気配を消せるということは分かっているのだが、それがなぜなのか分からない」

 本来であれば、

「その研究を行えばいい」

 ということになるのだろうが、実際には、

「その研究を行うということの意義」

 というものが、市場博士にも、二宮博士にも分かっていない。

 そのことが分かるようになれば、

「三上博士の域にまで達することができる」

 ということで、

「二人であれば、三上博士を超えることができる」

 といえるだろう。

 だから、三上博士の存在は、きっと、

「二宮博士か、市場博士が追い付いてきた時、この世から消えてしまうのではないか?」

 という発想が浮かんできたのだ。

 そうなると、三上博士が研究している

「自分の気配を消す」

 ということは、

「後進が追い付いてきて、自分を追い越すことができた時、本当に消えてしまって、路傍の石というような、まるで仙人のような存在になれるのではないか?」

 と考えるのだ。

 その時、問題は、

「悪と警察のどっちが先に三上博士を追い越すことができるか?」

 ということであり、

「三上博士は、その瞬間、悪でもなく、警察のような勧善懲悪でもないという仙人になるに違いないのだ」


                 (  完  )

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完全犯罪研究の「路傍の石」 森本 晃次 @kakku

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