第2話 近未来の組織化
犯罪やトリックというのは、昔でいう、
「探偵小説」
と呼ばれるものがあり、そのストーリー性と、謎解き、さらには、犯罪トリックなどを織り交ぜる形で、架空の物語を書く。
というのが、
「探偵小説」
というものの、大まかな発想であろう。
もちろん、
「実際の犯罪」
と、
「探偵小説」
というものが、同じような話があったりというのは、普通にあるだろう。
「実際の犯罪を題材にして、探偵小説のネタを考える」
というのが、オーソドックスなもので、逆に、
「探偵小説のアイデア」
というものを、犯行計画に織り交ぜるということも普通にあったりする。
それらが、
「模倣犯」
といわれるものであったりするわけで、
「犯罪というものを、警察も、犯罪者も分析する」
ということは昔から行われていたことだろう。
犯人側とすれば、
「犯行を犯しても、絶対に捕まりたくない」
ということから、
「まずは、犯行目的を完遂する」
ということが大前提であり。その次に、
「いかにすれば、捕まらずに済むか?」
ということになるわけだ。
「犯罪の完遂」
というだけであれば、
「衝動的に見せながら、計画を組み立てる」
ということでも可能であろう。
しかし、その場合は、その場で逮捕されるというリスクが伴っているわけで、
「犯罪の完遂は第一目標」
ということであるが、
「捕まってしまうと、困る」
ということになる。
「そもそも、捕まるのがいやだ」
というのが第一目標だということであれば、そもそも、犯行に及ばなければいいということになる。
だから、目的は、
「犯行の完遂」
ということである。
もちろん、
「犯行を完遂すれば、その場で自殺をする」
という計画であれば、犯行計画を、目的完遂ということに絞って立てれば、それだけでいいだろう。
しかし、罪に問われないようにしようと考えたとすれば、そこには、
「緻密な犯罪計画」
というものが必要だということになるだろう。
それが、
「犯罪者側の心理」
ということである。
これが、取り締まる方である警察とすれば、
「そもそも、警察のネックになっていることがある」
というのだが、それは、
「警察というものは、何かが起こらなければ行動しない」
ということであった。
「事件性がない」
ということであれば、
「何かおかしいと思ったとしても、勝手に動くことは許されない」
ということであった。
それが、
「警察という組織」
ということであり、実に、堅苦しい組織世界を形成しているということになるのであった。
だが、時代が進んでいくうちに、
「凶悪犯」
というものが一向になくならず、さらに、犯罪が、多種多様にわたるということになり、警察も、
「何かが起きないと動かない」
ということであれば、警察には、
「犯罪を未然に防ぐ」
ということはまったくできないということが、世論に広まり、
「警察の無能説が叫ばれる」
ということになると、
「警察無用論」
というものが出てきた。
もちろん、警察組織のようなものをなくすわけにはいかないが、このままでは、
「税金を使っての公務」
ということになっているので、それこそ、
「税金の無駄遣い」
ということで、それこそ、かつての、
「三公社五現業」
というものが、
「一斉に民営化した」
といわれる、
「昭和の終わり」
のように、
「警察も民営化」
ということにして、その下部組織に、
「探偵事務所」
などという民間会社をたくさん組織するという状況が、近い将来において出来上がることになる。
という時代がすぐそこに迫っているということになっているのであった。
実際に、それに先立って、
「犯罪研究所」
というところが、まずは、
「警察組織の一部」
ということで出来上がった。
その立ち位置とすれば、
「科捜研」
などと同じレベルと、こちらでは、
「犯罪の種類によって、その性質から解決に向かって、いろいろ研究されていて、実際に、シミュレーションなどというものも行われていて、犯罪学研究ということを行っている部署」
ということであった。
この組織は、実は、先に大学などで設立されていた。
実際には、
「一番最初に警察で設立されるべき」
ということであるが、何しろ、
「何かが起こらないと行動しない」
というのが警察組織、なかなかできなかったのも当たり前といえるだろう。
しかし、警察組織は、
「マスゴミ報道などの、世論には絶対的に弱い」
つまり、
「マスゴミや世論」
というものが、
「犯罪研究の部署」
というものの重要性を解き、
「警察にどうしてないのか?」
ということで騒ぐようになると、今度はテレビが報道を始めたのだ。
そうなると、警察としても、黙っておけないということで、
「民間大学」
から、専門の教授を招くということで、
「警察は警察独自の、犯罪研究」
というものを行うということになったのだ。
そういう委員で、
「民間と警察の間での軋轢やライバル意識」
というものが、民間側では、
「どこ吹く風」
ということであったが、警察側とすれば、
「メンツの問題」
ということと、
「警察組織の独自性」
ということから、
「民間に負けることは許されない」
ということで、
「必死の研究が行われている」
ということになるのだった。
結局、
「それぞれに切磋琢磨」
が繰り広げられ、さらには、
「予期せぬ出来事」
というものが出てきたということで、
「組織というものの表裏に、さらに、隠蔽というものが存在すれば、何を信じればいいのか分からない」
ということになると、世情不安というものが生まれてくるのであった。
というのは、
「犯罪研究所」
というもののノウハウを、
「犯罪者側でも研究している」
という組織が出てきたのだ。
最初は、
「営利目的」
ということで、
「犯罪を犯しそうな人」
というものを探してきて、研究した犯罪を、伝授するというものであった。
もちろん、
「犯罪研究を売りつける」
ということなので、ある程度の高額であるというのは当たり前だ。
実際に、研究だけではなく、
「共犯ということでの人材も派遣する」
ということにまで手を染めると、
「犯罪を犯す」
というのが、今までの
「個人単位」
というよりも、
「一つの組織で動く」
という、組織的犯罪というのが、これからの新しい時代の犯罪ということに変わってくるというものであった。
犯罪者がまるで、
「大きな組織の中での会員」
とでもいう形である。
こうしておけば、
「犯罪が露呈するということは、組織が危うい」
ということで、犯罪組織も必死になるというものだ。
それが、金の流れによって、犯罪者が、金銭的に困るということがないという方法で、行われる。
もっといえば、
「犯罪グループのパターンの中には、詐欺組織」
というものがあり、そこで得られた資金を、会員が犯罪を犯さなければいけなくなったことでの資金に充てるということになる。
だから、
「金銭に困ることなく会員は、目的遂行するという見返り」
ということで、
「他の犯罪の共犯など」
ということで、
「動く兵隊」
ということになるだろう。
もちろん、
「強制的に組織に入れる」
ということはできないわけで、なぜなら、
「犯罪を犯す上で、精神的にしっかりしていないと、すぐにぼろが出る」
ということになる。
もちろん、組織内で、
「洗脳」
という技術も研究されていて、さらには、
「ロボット開発」
というものも研究されている。
「フレーム問題」
であったり、
「フランケンシュタイン症候群」
という問題もさることながら、まずは、
「主人のいうことを絶対的に守る」
といいロボットであれば、彼ら組織としては、
「それで十分だ」
ということになるだろう。
ロボット開発」
というのは、
「犯罪ロボット」
ということに特化したものであれば、そこまで、必要以上に考えることはない。
それだけ、
「無限に広がる可能性」
というものが、有限になっていくということだからだ。
実際に、
「目的が完遂すれば、そのロボットは一度壊して、次の犯罪に特化したロボットに作り直せばいい」
ということで、
「再利用もできる」
ということだ。
それが、
「犯罪」
という、特殊に特化したものであれば、
「ロボット開発もできなくはない」
といえるだろう。
そんな犯罪も、
「過去の傾向」
というものを考えていれば、
「まるでブームのようである」
といえるのではないだろうか?
ブームというと、
「十数年に一度」
というくらいのものに感じられるが、犯罪ということになると、もう少し長いスパンなのかも知れない。
ただ、警察としても、
「科学捜査」
というものを取り入れ、昔の
「探偵小説に出てくるトリック」
といわれるものが、少しずつ、
「科学の発展により、発揮できなくなってしまった」
というものも、出てきているのであった。
実際に、
「戦前戦後」
といわれるような時代から考えれば、
かなりのトリックというものが、探偵小説上では、生まれてきたが、戦後くらいには、
「ほとんどのトリックが出尽くした」
といわれるようになり、
「あとは、謎解きのストーリー性であったり、トリックを交えることによる、バリエーションを生かした物語性」
ということで、
「探偵小説というものの、変換期」
というものを迎えていたといってもいいだろう。
そんな中において、
「高度成長時代」
を反映してか、いろいろな社会問題や、それに伴う、
「人間ドラマ」
というものが、
「社会派推理小説」
ということで、それこそ、
「戦後から昭和を代表する」
といわれる時代を形成してきたといってもいいだろう。
それ以降は、
「探偵と呼ばれる人が、実は、本職は別に持っている」
ということで、
「変わり種」
ということでのサスペンスドラマ化というのが、一世を風靡した。
これこそ、一種の、
「バリエーション」
ということになるのだろうが、意外と、日本人というのは、
「ワンパターンな内容が好き」
だったりする。
特にそれが、
「勧善懲悪」
というものであれば、日本人の昔からの発想としての、
「判官びいき」
というものからも言われているものだといえるだろう。
つまり、
「水戸黄門」
や、
「遠山の金さん」
のような、時代劇における、
「正義を助け。悪を懲らす」
というのが、
「勧善懲悪」
というもので、
「赤穂浪士」
であったり、
「義経伝説」
というように、
「迫害されているヒーロー」
というものに関して、日本人は、
「お涙頂戴」
ということになるのだ。
つまり、
「弱い者の味方」
という考えかたである。
そういう意味では、日本人というのは、
「情に厚い」
ということで、その精神があるから、
「被害者に対して、余計な強い感情を持ってしまう」
ということから、
「実際には、加害者側でも、まったく犯罪とは関係のない人までが悪く言われてしまったり、迫害を受ける」
ということに対して、非情な気持ちになるということである。
それだけ、
「日本人の感情は、武士道というものからきている」
といってもいい。
だからこそ、
「勧善懲悪」
と、
「弱肉強食」
ということが絡んで、どうしても、
「勧善懲悪のストーリー性」
というものから、
「善は弱いもので、悪が強いものだ」
という、一種の凝り固まった発想になってしまうといってもいいだろう。
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