第2章:行列のできる伝説たち 〜午前のお客様〜

 朝の支度を整えた私は深呼吸をひとつして、お店の重厚な木製ドアを開け放った。

 森の冷ややかな空気が店内に流れ込むのと同時に、バチバチッ、という激しい放電音が鼓膜を叩く。


 そこには一羽の巨大な鳥が、今か今かと私の登場を待ち構えていた。


 空の覇者、サンダーバード。

 本来ならその翼の一振りで雷雲を呼び寄せ、街一つを震え上がらせる伝説の幻獣だ。

 だけれど、今の私にとって、彼は「手入れの行き届いていない、ひどく毛羽立ったセーター」にしか見えない。


「おはよう、サンダーバードさん。あらら、今日は一段と膨らんでいるわね。まるで焼きたてのパンみたい。これじゃ、お友達とも触れ合えなくて寂しかったでしょう?」


 私が声をかけると、サンダーバードは「ピィ……」と、その巨体に似合わない、か細い声で鳴いて首を垂れた。

 黄金色の羽毛は、行き場を失った電気のせいで逆立ち、全体が倍ほどの大きさに膨らんでしまっている。近づくだけでオゾンのツンとした香りが鼻を突いた。


「うーん、放電しきれずに電気が暴走してるなぁ。よしよし、今楽にしてあげるからね」


 私は棚から、使い込んだ「特製・絶縁魔法ゴム手袋」を取り出した。

 淡い桃色の手袋を、キュッ、と小気味よい音を立ててはめる。

 指先に溜まった魔力を込めてサンダーバードの背に触れると、バチリと大きな放電が起こり、手袋の表面を青い火花が走った。


「わわっ、すごいなぁ。でも、もう大丈夫」


 私は特製生活魔法、「ラベンダー香る静電気ガード泡」をたっぷりと作り出した。

 紫色の淡い色彩を帯びた泡を羽毛に乗せ、一本一本の隙間に滑り込ませていく。

 泡の中で電気が円を描き、小さなイルミネーションのように瞬く。その光景は、いつまで見ていても飽きないほどに幻想的で美しい。


(この子の羽、洗っていると指先が少しピリピリして……なんだか低周波マッサージみたいで気持ちいいわ。血行が良くなりそう)


 そんなことを考えながら、私は丁寧かつ手際よく汚れを浮かせ、中和していく。

 仕上げに魔法の温風を当てると、羽毛はとろけるようにしっとりとした質感を取り戻し、月明かりのような穏やかな光沢を放ち始めた。


「はい、おしまい。見て、こんなにツヤツヤ。もうこれで、お友達に電撃をお見舞いしちゃう心配はないわよ」


「ピィィイ!」


 サンダーバードは嬉しそうに何度も頷き、軽やかに空へ羽ばたいていった。

 その飛び去る姿を見送りながら、私は手袋を脱ぎ、満足げに微笑んだ。




 サンダーバードが去った直後、今度は地響きのような音が足元から伝わってきた。

 窓を覆い隠すほどの巨大な影が、店の入り口にゆっくりと根を伸ばしてくる。

 森の精霊、トレント――古木の賢者が、困り果てた様子でそこに立っていた。


「次は森の賢者さんね。……あらあ、これはまた派手に汚しちゃって。しつこそうな苔ねえ」


『……ゴゴ……スマン、ムスメヨ……カユクテ、ネムレヌノジャ……』


 賢者の声は、地底から響く古い鐘の音のようだった。

 彼の広大な背中、その古い樹皮の隙間には、うねうねと動くどす黒い苔がびっしりとこびりついている。


 それは触れる者の精神を蝕む「死霊の呪い」なのだというけれど、私にとっては、換気扇の裏側に溜まった頑固な油汚れと同じカテゴリーだ。


「大丈夫よ! 今、綺麗にしてあげるからね。……モップ、逃げた汚れ、やっつけちゃって!」


「わふっ!」


 私は袖を力強く捲り上げ、長年使い込んだデッキブラシを手にする。

 今回は洗浄力を高めた、オレンジの香りのする泡をたっぷりと用意した。


 泡を樹皮に塗り込み、渾身の力を込めてブラシを動かす。


「不潔なものは許しません」


 その一心で、私はゴシゴシと音を立てて擦り上げた。


 剥がれ落ちた黒い呪いの苔が、地面を這って逃げ出そうとする。

 けれど、それをモップが見逃さない。

 大きな前足で「ぺしっ」と叩き潰し、逃げ場を失った汚れを一箇所に掃き集めていく。まさに、完璧なコンビネーションだ。


(呪いって、案外奥の方にこびりついてるのよね。しっかり力を込めて、奥から掻き出さないと。……ふう、いい運動になるわ)


 額にうっすらと汗をかきながら、私は賢者の背中を磨き続けた。

 オレンジの爽やかな香りが、澱んだ呪いの気配を次々と上書きしていく。

 やがて、樹皮は本来の温かな茶色を取り戻し、清浄な空気があたりに満ちた。


『……オォ……オォ……ソコジャ、ソコガ……タマラン……』


 賢者は満足げに、太い枝をゆさゆさと揺らした。

 仕上げに、樹木を健やかに保つための対魔除けワックスを丁寧に塗り込む。

 しっとりと艶を増したその姿は、森の王としての品格に溢れていた。


『……恩ニ着ル。コレハ、ワシノ枝ニナッタバカリノ茶葉ジャ。飲ンデオクレ』


「まあ、嬉しい! さっそく休憩の時間にいただくわ。ありがとう」


 賢者から受け取ったのは、生命の輝きを宿したような、鮮やかな緑色の茶葉だった。

 彼がゆっくりと森の奥へ去っていくのを見届け、私はデッキブラシを置いて、小さく息をついた。


「さあ、モップ。午前中のお客様はこれで一段落ね。お茶を淹れるから、少し休みましょうか」


「わふんっ!」


 モップは誇らしげに鼻息を鳴らし、私の足元で心地よさそうに丸くなった。

 山あいの静かな店内に、オレンジとハーブの香りがふわりと漂っている。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る