三
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「寒い寒い、エンジンつけてつけてー!」
古びたワゴン、助手席でじたばたするヤドカリ。後部座席に派手な宿を押し込んで、一仕事を終えたとばかりにヤドカリはいる。後部座席に置いていた電動工具が下敷きになったり、詰めていた籠を倒したりしていやがった。
文句の一つでもと考えたが、肌を刺す冷たさに耐え兼ねてエンジンを掛けた。
エンジンの震えに伴い、ゴーと空調口から緩く流れ出した風。手を翳せば、まだ冷たい。ヤドカリを見れば助手席で体育座りをしていた。
「つーか、足やばい。え、なんか変なにおいするし!」
足を擦り、空調口の冷たい風から逃れようと藻掻いていた。鉄粉の臭いと、グリースの臭いに顔を顰めていた。これにヤドカリの匂いが混ざるのでおれも眉毛が曲がる。
「足さむー、やばー!」
「後ろ、外套ならあるぞ」
後部座席の半分を占める宿、その傍らに外套はある。絹素材の分厚いものだ。溶接工として使っている一つであった。ヤドカリは身を器用に捻って鋏み、座席の隙間から引き抜いていた。大きな外套に身を押し込んで、触角を揺らすように静電気で上がった金髪が揺れていた。
ぶかぶかな外套はヤドカリの肌を覆うには十分で、頭と鋏だけひょっこりさせている姿は割と似合っていた。
「これもなんか臭う、なにこの、焦げてない?」
「なんだ文句か」
「別にー?」
ヤドカリは拗ねるように頭を出して、やっと温い風を送り出した送風口に両手を翳した。その手は白くて、細く、そして震えていた。おれは空調の操作をして、温度設定を上げる。同時に、暗くなり始めた車内の明かりを中立から点灯に。
「家はどこだ?」
「家なんてない」
「なら……交番だな」
「マジレスじゃん」
「当たり前だ」
ヤドカリの返事はなかった。シートベルトを引っ張りながら、なんとなく見る。ヤドカリは車外を見ていた。ガラスに吐息が触れ、薄く濁っている。
「フラれでもしたのか?」
「そんなんじゃない」
茶化すように口にすると、ヤドカリは首を振った。それから、熱くなった送風口に目を戻していた。
「家は?」
「だから、ないって言ったじゃん」
「なら交番か」
「うわ、ウザ」
「で、家は?」
ヤドカリは返事をしなかった。なんとなくバックミラーを見れば、疲れた顔のおれがいた。年々、親父に似てきている。ヤドカリがちらっと宿から目を向けていた。それは年相応な、幼くて不安そうなもの。おれは気付いてないように無精ひげを撫で、少し考えてから車外に顔を向けた。
車外は真っ暗で、工場地帯の点々とした光源だけ。その規則立った配列は、じいちゃんの時の葬列を思い起こさせる。道路を行き交う車もなく、暗さがずっと続いていれば尚更に。
深夜の二時だ。喪服を買うにしても、日を改めるしかない時間。無意味な空白だ。
「どうして、きかないの?」
おれは視点を戻した。目は、合わなかった。外を見て、ヤドカリは寒そうに声を震わせている。丈の短いスカートのまま、真冬の夜道を歩いていたのだ。そうもなるだろう。道程は長かったに違いない。
「きかれたいのか?」
「だって、普通さ、ききたくない?」
「なら、話したいのか?」
「ううん……」
ヤドカリは跳ねた触角を左右に揺らした。小刻みに外套が震えている。送風レベルを上げれば、グリースと鉄粉を押しやる白檀の香りが鼻腔を刺す。
おれは冷たいサイドブレーキを倒す。ハンドルに右手を乗せ、アクセルに足を添える。一応、ウインカーを出して、サイドミラーを見て、発進した。
「駅前でいいか?」
ヤドカリは返事はしなかった。でも、シートベルトをいそいそ、もぞもぞ引っ張っていた。
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