第6話 至高の調理(クッキング)

 聖シロツメ女学園・男子部の調理実習室。

 芳醇な野菜の香りと、生徒たちの熱気に包まれた空間で、今日は特別な実習が行われていた。

「本日のメニューは、『旬を味わう春キャベツの千切りサラダ』です。班ごとに分かれて、丁寧に調理してください」

 家庭科教師の声が響く中、3年A組の八木翔は、支給されたキャベツ一玉を前に、彫刻のように静止していた。

「見て……八木先輩、包丁を握る前に食材と対話しているわ……」

「まるで、キャベツの細胞一つひとつに許可を取っているような、神聖な静寂……!」

 女子生徒たちが固唾を呑んで見守る中、八木の脳内は、剥き出しの食欲に支配されていた。

(……丸い。そして、この巻きの密度。最高級の食感だ)

 八木の手が、ゆっくりとキャベツに伸びる。

 しかし――その手は包丁ではなく、キャベツそのものへと向かった。

「(八木くんストップ! 丸呑みは禁止!)」

 隣の班から音もなく滑り込んできたのは、エプロン姿の立花さんである。

 彼女は八木がキャベツをそのまま齧ろうと身を乗り出した瞬間、さりげなく自分の背中とまな板で周囲の視線を遮った。

「八木くん、力任せはダメよ。ほら、この『ちぎりレタス』の要領で……」

 立花さんが小声で指示を出した瞬間、八木の指が目にも止まらぬ速さで駆動した。

 \秘技・瞬刻の解体インスタント・チョップ/

 それは「切る」というより、キャベツの繊維に沿って「解きほどく」ような、野生の精密機械を思わせる動きだった。

 八木の指先が触れるたび、キャベツの葉がまるで魔法のように、均一で美しい極細の千切りへと姿を変えていく。

「な、なんだこれは……!」

 家庭科教師がお玉を落とした。

「包丁を使わず、指先だけで……しかも、細胞を一切潰していない! これが『素材を殺さない調理』……!」

 周囲の生徒たちも作業の手を止め、八木の手元に釘付けになった。

「先輩の指先、ブレが一切ない……!」

「まるで機械みたい……いや、機械以上だわ!」

 立花さんだけが、真実を知っていた。

(これ、八木くんが普段から草を食べる時にやってる『繊維の剥がし方』そのままじゃない……!)


 千切りを終えた八木が、次に手に取ったのは――調理台の上の木製ボウルだった。

 彼はその縁を、まるで品質を確かめる職人のように指でスッとなぞった。

(……木だ。いい感じに乾燥している)

 八木の顔が、わずかにボウルに近づく。

「(待って八木くん! それ齧ったら器が欠けるから! ていうか普通は食べないから!)」

 立花さんが慌てて、八木の視界を遮るように「人参スティック」を差し出した。

 八木の視線が、木のボウルから人参へと移動する。

「……(許す)」

 バリッ。

 八木は人参を、骨まで砕くような凄まじい咀嚼音と共に噛み砕いた。

 その音圧で、周囲の女子生徒たちの前髪がなびいた。

「す、すごい……! 人参の繊維を完全に粉砕する、あの顎の力……!」

「これが『食材へのリスペクト』……! 完全に自分の血肉にする覚悟だわ……!」


 調理実習の最後、各班の作品が並べられた。

 どの班も美しく盛り付けられた千切りキャベツを提出する中――八木の皿だけが、異彩を放っていた。

 透き通るような薄さの千切り。光を当てると、葉脈の一本一本が透けて見えるほどだ。

 しかし――皿の中央に、直径5センチほどの「空白地帯」が存在していた。

「八木くん、この……中央の空洞は?」

 教師が尋ねた。

 八木は無表情のまま、静かに答えた。

「……芯です」

「芯?」

「キャベツの芯は、最も栄養が凝縮された部分。しかし、固くて食べづらい。だから……」

 八木は一瞬、目を伏せた。

「……私が、責任を持っていただきました」

 一瞬の沈黙。

 そして――教室全体が、大きなどよめきに包まれた。

「なんて優しいの……!」

「食材の全てを無駄にしない……これが『いただきます』の本当の意味……!」

「キャーーーッ! 八木先輩、素敵!!」

 教師は震える手で、最高評価の「S」を評価シートに記入した。

「八木くん……君の調理は、もはや芸術を超えて、『祈り』だ……!」


 実習が終わり、片付けの時間。

 立花さんが、八木の口元に付いた「キャベツの芯の繊維」を指摘した。

「ほら、八木くん。口の周りについてるわよ」

「……(気づかれたか)」

「当たり前でしょ! しかも八木くん、さっき木のボウルも舐めようとしてたでしょ!?」

 八木は無言で、立花さんから渡された「お疲れ様のセロリスティック」を受け取った。

 バリバリバリッ。

 その咀嚼音は、もはや調理室に響く讃美歌のようだった。


 放課後。屋上のいつもの場所。

 八木は立花さんから渡された「特製ロールキャベツ(中身は全部レタス)」を、夕日に向かって掲げた。

「立花……やはり、素材は『鮮度』が命だな」

「はいはい。でも次の調理実習は『肉料理』だからね。八木くん、ちゃんと食べられる?」

「……(考えておく)」

 八木は答えをはぐらかすと、ロールキャベツを静かに噛みしめた。

 初夏の風に乗って漂う、刈りたての芝生の芳醇な香り。

 八木はその気高き鼻先をわずかにひくつかせながら、誰もいない屋上で、今日も一人、草食の美学を貫くのであった。

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