第5話 高潔なる血統(リネージュ)


 初夏の気配が忍び寄る聖シロツメ女学園・男子部。放課後の教室で、八木翔は一枚のプリントを熱心に見つめていた。

「三者面談のお知らせ」――。

 彼はその紙の端を愛おしそうに指でなぞると、流れるような動作で口元へ運んだ。

「ちょっと八木くん! それ重要書類だから!!」

 背後から飛んできた立花さんが、八木の口内に消えかかったプリントを、間一髪で引き剥がした。

「……食べる」

「食べちゃダメ! そうじゃなくて、三者面談よ! 八木くんのご両親、学校に来られないでしょ!?」

 立花さんは、よだれで湿ったプリントを掲げながら、周囲に聞こえないよう小声で叫んだ。

 八木の脳裏には、広大な庭で「メェェェ~~」と歓喜の声を上げながら、猛烈な勢いで雑草を食いまくる母親の姿が浮かんでいた。

(……母は忙しい。庭の環境整備が)

「だって、八木くんのお母さん……というか、ご家族全員……」

 立花さんは言葉を濁したが、事実は明白だった。八木家は全員、純度百パーセントのヤギである。角もあれば蹄もある。そんな存在が保護者席に座れば、学園の貴公子伝説は一瞬で「ただの畜産物語」に塗り替えられる。

「どうするのよ……まさか『角のついた、非常にアバンギャルドなファッションの方です』とか言って通すつもり!?」

 八木は無言で、制服のポケットから一台のタブレット端末を取り出した。

 その瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。


 面談当日。

 3年A組の扉がゆっくりと開く。担任の教師が、緊張の面持ちで「伝説の貴公子の母君」を迎えようとしたその時、八木はスッとタブレット端末を机に置いた。

「母は現在、海外で環境保全プロジェクトに従事しております。本日はリモートでの参加となります」

 画面に映し出されたのは――広大な緑の丘で、風に吹かれながら優雅に草を食む、一頭の美しい白ヤギであった。

「……なっ」

 教師は絶句した。

 画面の中の母親ヤギが、ゆっくりとカメラの方を向き、「メェ~~~~……」と荘厳なビブラートを響かせる。

 その瞬間、画面下部に字幕が流れた。

『息子よ……その成長を、母は誇りに思います』

「な、なんと……!」

 教師の手が震えた。

「お母様は言葉を発せず……ただ、大地と一体化することで意思を表現される……! これこそが、真の環境倫理学者……!」

 \秘技・血脈の遠隔演舞リモート・ファミリー/

 陰から覗いていた立花さんは、両手で顔を覆った。

「(あれ、ただのライブカメラ映像じゃない! しかも八木くん、お母さんが草を食べるたびに『慈愛』とか『叡智』とかテロップ入れてる……!)」

「八木くん、お母様の教育方針を、ぜひお聞かせ願いたい」

 教師が身を乗り出した。

 八木は画面を見つめたまま、静かに口を開いた。

「……母は、常に『地に足をつけよ』と教えてくれました」

 画面の中で、母親ヤギが四本の蹄で大地を踏みしめている。

「そして、『柔らかいものより、固いものを噛みしめろ』と」

 母親ヤギが、木の枝をバリバリと齧り始めた。字幕が流れる。

『試練こそが、魂を磨く』

「素晴らしい……!」

 教師は感動のあまり涙を流した。

「そして、何より……」

 八木の声が、わずかに震えた。

「『高い場所を恐れるな』と」

 その瞬間、画面の中の母親ヤギが、信じられない軽やかさで断崖絶壁を駆け上がり始めた。

 ほとんど垂直の岩肌を、まるで平地を歩くかのように。

「な、なんという……! これが八木くんの『垂直歩行』の原点……!」

 教師は椅子から立ち上がり、画面に向かって深々と頭を下げた。

「お母様、八木くんを立派に育ててくださり、ありがとうございます!」

 画面の中の母親ヤギが、崖の頂上で「メェェェ~~~」と雄大に鳴いた。

 字幕:『どういたしまして(本当は草が生えてたから登っただけ)』

 もちろん、字幕の括弧内は八木がリアルタイムで消した。


 面談が終わり、教師は評価シートに『保護者の教育方針:自然との完全なる共生。地に足をつけた人格形成』と、特大の字で記入した。

 廊下に出た瞬間、立花さんが八木の腕を掴んだ。

「ねえ八木くん……あのテロップ、全部八木くんが打ち込んでたでしょ!?」

「……否定はしない」

「しかもお母さん、最後に断崖絶壁の草を食べ尽くして満足そうだったわよ! あれ絶対『高みを目指す』とか関係ないでしょ!」

 八木は無言で、立花さんの頭に手を置いた。

「立花……。母の愛は、高く、深く、そして……」

「そして?」

「……時々、木の皮も食べる」

「全然感動的じゃないから!」


 放課後。屋上のフェンスの上。

 八木はタブレットを閉じ、満足げに鼻を鳴らした。

「立花……母も、喜んでいた」

「そうね。お腹いっぱい草が食べられて良かったわね……」

 立花さんは溜息をつきながら、鞄から「お疲れ様」の代わりに最高級のイタリアンパセリを取り出した。

 八木はそれを一本、指揮者のタクトのように優雅に口に運ぶ。

「……(神)」

 初夏の風に乗って、八木の満足げなビブラートが響き渡った。

 遠く離れた丘の上で、画面越しの母親ヤギも、同じ音程で「メェ~~」と応えているような気がした。

 親子の絆は、種族を超えて――いや、種族そのままで――確かにそこにあった。

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