第4話 芸術の摂理(ロジック)


 春の聖シロツメ女学園・男子部に、年に一度の「地獄」が訪れた。

「親愛の対面描画(ペア・スケッチ)」――通称、写生大会である。

 くじ引きで選ばれたペアが、互いの姿を至近距離でキャンバスに描く。女子生徒にとっては、公開処刑にも等しいときめきのイベントだ。

「八木先輩と当たりますように……!」

「神様、お願いします……!」

 祈るような気持ちでくじを引く女子たち。

 そして――その栄光の座を射止めたのは、美術部期待の新星・佐伯さんだった。

「や、八木先輩……よ、よろしくお願いします……!」

 佐伯さんの声が震えている。頬は真っ赤だ。


 八木は無言で、佐伯さんの向かいに腰を下ろした。その瞳は一点を見つめ、微動だにしない。

「見て……モデルを尊重するあまり、呼吸すら最小限に抑えているわ……!」

「八木先輩の集中力、ヤバすぎる……!」

 周囲の女子たちが感嘆の声を漏らす中――八木の視界を支配していたのは、佐伯さんの顔ではなかった。

 彼女の髪に揺れる「菜の花のヘアクリップ」。非常に精巧な造花だが――八木の本能は、それを「食べられる花」だと判定していた。

(……黄色い。春の香りがする)


 写生開始から十分。八木の鉛筆は、一度も動いていない。

 彼はただ、数センチ先の「獲物」との距離を測っていた。

(……もう少し……あと、5センチ……)

 八木の首が、ゆっくりと前に傾いていく。

「(どうしよう……八木先輩が、私の顔を……いや、唇のあたりを見てる……!? これって、もしかして……キス……!?)」

 佐伯さんの心臓が爆発しそうだ。

 そして――八木の唇が、スッと突き出された。

 \秘技・吸引の前奏曲(プレリュード)/

 まるでスローモーション映画のキスシーンのように、八木の顔が菜の花へと迫る。

 その刹那――

「八木くん、少し襟元が乱れているわ」

 立花さんが、計算し尽くされた角度で滑り込んできた。

「(八木くんストップ! それ樹脂! プラスチック! 消化できないから! ……ほら、こっち!)」

 立花さんは八木のネクタイを直すふりをして、袖口から「朝採れ小松菜」を八木の口元へ滑り込ませた。

 瞬間、八木の瞳が輝く。口内に広がる、瑞々しい緑の恵み。

 ボリッ……ボリボリッ……!

 八木は表情一つ変えないまま、しかし凄まじい勢いで咀嚼し始めた。その咀嚼音と、鼻から抜ける熱い吐息。

「せ、先輩……!」

 至近距離でそれを浴びた佐伯さんは、あまりの迫力にスケッチブックを抱きしめた。

「これが……描く者の覚悟を試す、プロの『圧』……! 私、先輩の魂の深淵に触れてしまった……!」

 佐伯さんは熱に浮かされたような表情で、猛然と筆を走らせ始めた。


 ようやく落ち着いた(腹が膨れた)八木が、おもむろに鉛筆を握った。

 十分後――

「……できた」

 キャンバスを差し出す。佐伯さんが覗き込んで――絶句した。

 そこには彼女の面影など一切なく、写実的な筆致で描かれた「一枚の、美しすぎるレタス」が鎮座していた。

「……れ、レタス……?」

「素晴らしいわ! これは高度な比喩表現よ!」

 背後から女子生徒たちが殺到する。

「佐伯さんの純真さを、瑞々しい葉野菜に例えたのね……!」

「見て、この葉脈の一本一本……! 血管まで愛おしんでるってことよ……!」

 八木は満足げに、自分の描いたレタスを眺めた。しかし――あまりにリアルに描きすぎた。描いた本人の食欲が、再び暴走し始めた。

(……うまそう)

 八木は、誰もが見守る中――おもむろに画用紙の「レタスの芯の部分」を、バクリと噛み千切った。

 \秘技・芸術の昇華(フィニッシュ・イート)/

「ああっ! 作品を自らの肉体に取り込むことで、『永遠』にしたわ……!」

「これぞ究極の自己完結型アート……!」

「キャーーーッ! 八木先輩、天才!!」

 周囲が興奮の渦に包まれる中――立花さんだけが、深い深い溜息をついていた。


 数日後。校舎の廊下に、写生大会の作品がずらりと展示された。

 そして、ひときわ目を引く一枚に「最優秀賞」の金色のリボンが輝いている。

「見て……この欠損。完成を拒むことで、春の無常を表現しているのね……!」

「なんて哲学的なの……!」

 それは――八木が描いた「一枚のレタス」。四隅の一角が、無残に齧り取られている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る