第2話 禁断の四重奏(カルテット)


 聖シロツメ女学園・男子部に、年に一度の「災厄」が訪れた。

 身体測定、および内科検診である。

「キャーッ! 八木先輩の完璧なボディが拝めるのね!」

「脱いだ姿、絶対ヤバいわ……!」

 全校が沸き立つ中、当の八木は保健室前の廊下で、人生最大の危機に直面していた。

(……まずい。非常にまずい)

 八木は無表情のまま、制服の上から自分の腹部を押さえた。

 そこには――人間には一つしかないはずの胃が、四つ鎮座している。

 しかも今朝、登校路で食べた「生け垣のツツジ」が、現在進行形で第一胃から第二胃へ移動中だ。反芻のタイミングを誤れば、聴診器に「グルグルゴボゴボ」という、およそ人間とは思えない音が響くだろう。

「(八木くん、顔色悪いわよ。……まさか、逃げるつもりじゃないでしょうね?)」

 影から様子を窺う立花さんの手には、「捕獲用バナナ」が握られていた。

(……バナナ。いい匂い)

 八木の鼻がヒクヒクと動く。

「次、八木翔くん」

 保健室のドアが開いた。


 消毒液の匂いが鼻をつく保健室。白衣を着た校医が、聴診器を手に待ち構えていた。

「……ほう、噂の八木くんか。では、シャツを脱いでくれたまえ」

 八木がシャツのボタンを外すと、廊下で覗いていた女子生徒たちが「キャーッ!」と悲鳴にも似た歓声を上げた。

 白い肌。無駄のない筋肉。

(……完璧だ)

 校医も思わず息を呑んだ。だが、問題はここからである。

 冷たい聴診器が、八木の胸に触れた。その瞬間――八木の全神経が、腹部に集中した。

 \秘技・反芻停止(ディレイ・リフレクション)/

 八木は、逆流しかけていたツツジの繊維を、強靭な意志の力だけで第三胃へと押し戻した。

 しかし、その反動で四つの胃が同時に蠕動を始める。

 ゴロゴロ……グルル……ペコォン……

「……ん?」

 校医が眉をひそめた。聴診器から聞こえてくるのは、通常の心音だけではない。「ドクン、ドクン」という鼓動に混じって、「キュルルル……モグモグ……ゴボボ」という、深海生物を思わせる謎の重低音が響いている。

「八木くん……この、心音に混じる『倍音』は一体……?」

 校医の声が震えた。

 八木は、一切の動揺を見せず、校医を真っ直ぐに見つめた。

「……共鳴(レゾナンス)です」

「共鳴……?」

「私の鼓動は、地球の自転周期と完全に同期しています。今、先生が聞いているのは、私の心臓が奏でる『惑星との対話』です」

 一瞬の沈黙。そして――校医は、ガタガタと震え始めた。

「な、なんてことだ……! 彼は、自らの肉体を媒介に、宇宙と交信しているというのか……!?」

 校医は震える手で診断書に『異常なし(というか、もはや聖域)』と書き込んだ。


 しかし、試練は終わらない。次なる難関――レントゲン室。

 立花さんは、モニター室の外で両手を組んで祈っていた。

(お願い、八木くん……! せめて胃の中の『未消化の小枝』だけは見せないで……!)

 ガシャン、という機械音。八木の胸部がX線で透過される。

 放射線技師が画像を確認した瞬間――椅子から転げ落ちた。

「こ、これは……!」

 \秘技・遮光の四重奏(シャドウ・カルテット)/

 八木は撮影の瞬間、肺を限界まで膨らませ、さらに背骨を常識外れの角度で反らすことで、四つの胃の影を完璧に重ね合わせた。

 そして、骨格の影と内臓の影が織りなす光と闇のコントラストは――奇跡的に、「一輪の美しいシロツメクサ」の形を描き出していた。

「信じられない……! 人体の構造で、校章を描き出すなんて……! これこそが、究極の愛校心……!」

 技師は感動のあまり涙を流し、その画像を何枚もプリントアウトした。


 すべてが終わった。放課後、屋上のいつものフェンスの上。

 八木は安堵のため息をついた。

「……人間の医学も、まだまだ未熟だな」

「未熟なのは八木くんの危機管理能力でしょ!」

 立花さんが、心配のあまり握り潰していた「バナナ」を投げてよこした。

 八木はそれを空中でキャッチし――皮だけを、ムシャムシャと食べた。中身(果肉)は、ポイッと立花さんに投げ返す。

「立花。お前のおかげで……俺の四つの胃も、今日は安息を得た」

「だから実も食べなさいよ! ……って、あっ! ちょっと!」

 八木は無言で、胸ポケットから診断書を取り出した。そして、葉巻を楽しむかのような優雅な手つきで、クルクルと細く丸めた。

「……やめて。それ、重要書類だから」

 立花さんの制止も虚しく――ムシャリ。

「八木くんっ!!」

 夕暮れの空に、軽やかな咀嚼音が響いた。

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