Phase4:愛
朝、目が覚めると、最初に左手を見ていた。
「……おはよう」
少し遅れて、同じ高さの声が返る。
「おはよう」
どちらが先に言ったのか、もう分からない。
それでも、胸の奥は妙に落ち着いていた。
洗面台の前に立つ。
歯ブラシを動かしながら、左手を視界の端に置く。
「今日も仕事に行くか」
「めんどくさいね」
短いやり取りなのに、不思議と背筋が伸びる。
ネクタイを締める手つきが、昨日より迷わない。
◇
会社の入口で、深く息を吸った。
以前なら、足が重くなっていた場所だ。
今日は違う。
「おはようございます」
自分でも驚くほど、声がよく通った。
同僚が振り返る。
「なんか今日元気ですね」
「……そう見えます?」
「雰囲気、柔らかくなりましたよ」
私は曖昧に笑った。
机に座ると、左手がじんわりと温かくなる。
午前中の作業は、やけに順調だった。
キーボードを叩く指が止まらない。
上司に呼ばれても、胸が縮まらない。
「この資料、助かったよ」
短い一言。
それだけで、頭の奥が軽くなる。
「褒められた……」
「パパすごいね」
私は、机の下で左手をそっと握った。
◇
昼休み。
弁当の蓋を開けて、箸を止める。
「……いる?」
「いる」
「腹、減った?」
「腹減った」
私は、米粒を一つ、指先にのせてから、苦笑した。
そして左手のひらの口にくっつける。
「ほら」
「ありがとう」
それだけで、妙に満たされた。
◇
夜。
ベッドに横になり、左手を胸の上に置く。
「今日も長かったな」
少しの間。
「少し疲れた」
眠たげに重そうなまぶたを必死に持ち上げている様子だった。
まだ、私と話したげに眠りをこらえているようだった。
胸の奥がじんわりと温かくなった。
私は目を閉じる。
「……ずっと一緒だな」
暗闇の中、すぐ近くから、同じ調子の声が重なる。
「うん。いっしょ」
◇
傷が喋るようになってから生活が一変した。
自然と笑顔が増えた。
一人じゃない。そんな気がした。
今までは、ただあたえられたものをこなすだけだった仕事にもやりがいを感じ、
会社の人たちとも良好な関係を気づくことができた。
断っていた飲み会にも参加した。
ただ、二二字時をすぎると眠そうにするので早めに帰るのだが、
みんなは快く受け入れてくれた。
参加したら嫌な顔をする。
そのくせ途中で抜けてもノリが悪いとか陰口を叩かれると思っていた。
今となっては偏屈だった自分が恥ずかしい
ときには喧嘩したり、慰め合ったり、感動を共有する。
私にとって一番近くにいるそれは私のよき理解者だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます