第2話:校内ロードレースの虐殺
翌日。快晴。
絶好のマラソン日和、と放送委員のアナウンスが校庭に響く。
全校生徒約600人が、グラウンドに整列していた。
男子10km、女子5km。
学校周辺の山岳コースを走る、名物行事「校内ロードレース大会」だ。
「えー、今年のゲストランナーは、本校陸上部OBで、箱根駅伝にも出場した……」
校長の話が長い。
俺、湊カケルは、集団の最後尾で欠伸を噛み殺していた。
体操着のジャージは少しサイズが合っておらず、足元は使い古した通学用のスニーカー。
やる気はゼロだ。
(……ダルい)
なぜ、貴重な休日のエネルギーを、こんな無意味なイベントで消費しなければならないのか。
10km?
俺の毎日の通学距離(片道15km)より短いじゃないか。
散歩かよ。
「おい、湊。お前、顔死んでるぞ」
隣に並んでいたよく知らないクラスメイトが、ニヤニヤしながら話しかけてきた。
「どうせビリ争いだろ? 一緒にのんびり走ろうぜ」
「……ああ」
俺は適当に相槌を打つ。
正直、誰かと並走してダラダラ喋りながら走るのだけは御免だ。
リズムが狂う。
俺の生体時計は、常に「最短帰宅」に向けてチューニングされている。
視線の先、スタートラインの最前列には、蛍光色の派手なランニングシューズを履いた集団が陣取っていた。
陸上競技部だ。
彼らは特権階級のように、一番いい位置を独占し、入念なストレッチを行っている。
その中心にいるのが、陸上部主将の神山(かみやま)だ。
県大会でも入賞常連のエリート。
彼は取り巻きの部員たちに、大きな声で指示を出していた。
「いいか、最初の3kmはキロ3分20秒で入る! 素人を完全に振り落とすぞ!」
「「「はいっ!!」」」
「その後、登り坂でペースを落とさず、ラストで仕掛ける。一般生徒に抜かれることは万が一にも許さん。陸上部の誇りを見せろ!」
熱いねえ。
俺は冷めた目でそれを見ていた。
彼らにとって、これは競技なのだろう。
だが、俺にとっては「帰宅の障害」でしかない。
「——位置について!」
ピストルを持った体育教師が手を挙げる。
俺は、ふと腕時計を見た。
現在時刻、午前10時00分。
この大会が終わって、閉会式があって、解散になるのが予定では12時。
そこから家に帰る時間を計算すると……昼飯の時間が微妙だ。
(……待てよ)
俺は脳内で素早く計算する。
10kmを、もし俺の「帰宅ペース」で走ったら?
閉会式が始まるまで、1時間以上の空き時間ができる。
その間に、図書室で寝られるんじゃないか?
「……よし」
方針決定。
とっとと終わらせて、寝る。
その単純な動機が、俺のスイッチを入れた。
パンッ!
乾いた破裂音とともに、600人の生徒が一斉に動き出す。
土埃が舞い上がる。
「うおおおおお!」
男子生徒たちが雄叫びを上げて飛び出していく。
陸上部集団は、予告通り綺麗な隊列を組んで先頭へ躍り出た。
俺は、最後尾からゆっくりとスタートした。
まずは渋滞を抜ける必要がある。
最初の1kmは平坦なロード。
俺は集団の外側、砂利道スレスレのラインを選んで走った。
人を抜くのは得意だ。
通学路で、道路の亀裂や小石を避けるために磨かれたハンドリング技術ならぬ、足捌き。
スルスルと、音もなく順位を上げていく。
500位、300位、100位。
息は全く上がらない。
心拍数は平常時のまま。
これくらいのペースなら、鼻歌でも歌える。
(遅い……)
周りの生徒たちが止まって見える。
彼らは地面を「蹴って」いる。
無駄だ。蹴れば蹴るほど、エネルギーは上に逃げる。
自転車でペダルを回すように、足を円運動のイメージで回転させる。
着地の衝撃を推進力に変え、骨盤から前へ送り出す。
俺の走りは、ランニングというより、肉体を使った「転がり」に近い。
2km地点。
いよいよ、コースは山道へと入る。
ここから標高差150mを一気に駆け上がる激坂区間だ。
「はぁ、はぁ、くそ、きつい……!」
周囲のペースがガクンと落ちる。
歩き出す生徒も出てきた。
陸上部ですら、フォームが乱れ始めているのが遠目に見える。
だが。
俺にとっては、ここからが「平地」だ。
(傾斜角8%。……ぬるい)
通学路(最大12%)に比べれば、こんな坂は誤差の範囲だ。
俺のハムストリングスが、歓喜の声を上げて収縮する。
重力を感じる瞬間こそ、俺の筋肉が最も効率よく稼働するタイミングだ。
ギアを上げる。
ママチャリにはない変速機が、俺の身体にはある。
ズバッ!
俺は一気に加速した。
登り坂での加速。
物理法則を無視したような挙動に、抜かれたサッカー部の連中が目を丸くする。
「は!? なんだ今の!」
「誰だあれ、速すぎだろ!」
雑音を置き去りにし、俺はただ前だけを見る。
視線の先には、先頭集団。
陸上部のユニフォームが10人ほど固まって走っている。
彼らは互いに声を掛け合い、ペースを維持しようと必死だ。
「リズム崩すな! ピッチ保て!」
「神山先輩、後ろから誰か来ます!」
「なんだと? 一般生徒か? 放っておけ、どうせ初期ダッシュだけのバカだ。この坂で潰れる」
神山が振り返りもせずに言い捨てる。
その背中が、急速に近づいてくる。
10メートル、5メートル、3メートル。
彼らの走りは綺麗だ。教科書通りだ。
だが、弱い。
地面と喧嘩している。
坂道を「敵」だと思っている。
だから消耗するんだ。
坂は敵でも友達でもない。 坂は「踏み台」だ。
俺は、神山の真横に並んだ。
息一つ乱さず、無表情で。
「な……ッ!?」
神山が驚愕に顔を歪めて横を向く。 俺に目を向けた。 俺は、彼を見ていなかった。 見ているのは、その先の「帰り道」だけ。
「……邪魔」
ボソリと呟き、俺はさらに一段、ギアを上げた。
ダンシング(立ち漕ぎ)のイメージ。
大腿四頭筋が爆発的な出力を生み出す。
ドンッ、と空気を蹴るような音がして、俺の身体が弾丸のように射出された。
「う、嘘だろォォォッ!?」
神山の絶叫が背後で遠ざかる。
陸上部のエリート集団が、まるで止まっているかのようにごぼう抜きにされていく。
一瞬で独走状態。
そこからは、ただの作業だった。
折り返し地点を過ぎ、下り坂に入ると、俺は重力に身を任せて落下した。
恐怖心のリミッターは、毎日の下校(ダウンヒル)で焼き切れている。
コーナーを限界ギリギリの角度で攻め、最短ラインをトレースする。
もはや、後ろの気配すら感じない。
俺は孤独に、しかし自由に、山を駆け抜けた。
***
「……来たぞ! 先頭だ!」 「速い! 大会記録だ!?」 「誰だあれ? 陸上部じゃないぞ!」
校庭がざわめきに包まれる。
ゴールテープの前で待機していた役員たちが、慌てて準備を始める。
俺は最後の直線を流して、ゴールに飛び込んだ。
ピピッ。
計測員のストップウォッチが押される。
「31分……15秒!?」
教師が素っ頓狂な声を上げた。 10kmの山岳コースで31分台。 それは、県高校記録すら上回るタイムだった。
俺は息を整えながら、膝に手をつくこともなく歩き続けた。
乳酸は溜まっていない。
やはり、通学より楽だった。
「はぁ……終わった」
俺は係の生徒からスポドリを受け取り、一気に飲み干す。
そして、すぐにその場を離れようとした。
早く図書室に行きたい。
だが。
そんな俺の背中に、突き刺さるような視線を感じた。
好奇心でも、嫉妬でもない。
もっと熱っぽく、それでいて分析的な、異質な視線。
ふと振り返ると、女子の応援エリアの最前列に、一人の少女が立っていた。
ショートカットの髪、大きな瞳。
2年生のジャージを着ている。
彼女は、まるで雷に打たれたように、口を半開きにして俺を凝視していた。
(……なんだ、あいつ)
彼女の瞳には、俺の姿はどう映っていたのだろうか。
ただの帰宅部のサボり魔か。
それとも——。
「……綺麗」
喧騒の中で、彼女の唇がそう動いたのを、俺は読唇術のように読み取った気がした。
気持ち悪いな、と思いながら、俺は踵を返した。
その約5分後。
死にそうな顔をした神山が、這うようにしてゴールした。
彼は俺に500メートル以上の大差をつけられ、プライドを粉々に粉砕されていた。
俺が図書室で爆睡している間に、陸上部内では「あいつは誰だ!?」という緊急会議が開かれていたらしいが、知ったことではない。
こうして、俺の平穏な高校生活に、小さな、しかし決定的な亀裂が入ったのだった。
次の更新予定
最速の帰宅部、箱根を走る。 ~システムから弾かれた「バグ(天才)」たちと、箱根駅伝をハックする~ フレンドリーク @Quizk
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