第2話 襲撃

チリンチリン! チリンチリン!


耳に刺さる音で、目が覚めた。


「――っ!」


反射的に体を起こしかけて、すぐに気づく。


ああ、夢だ。


俺はもう、この異世界に来てしまっている。


見慣れない天井。

木の梁がむき出しで、ところどころ黒ずんでいる。

一昨日までの自分の部屋とは、何もかもが違う。


「……まだ慣れないな」


古臭い建物。

干し草の匂い。

空気が、どこか湿って重い。


ゆっくりとベッドから降りて、リビングへ向かう。


そこに、ケインがいた。


「おはよう」


「ああ、おはよう」


短い挨拶。

それだけで、少し安心する自分がいた。


机の上には、朝食が並んでいる。


見たことのない料理ばかりだ。

丸くて平たい、少し固そうなパンみたいなもの。

それと、湯気を立てるスープ。


色は薄く、具も少ない。


正直、味は期待していなかった。


でも、ケインはそれを当たり前のように、もぐもぐと食べている。


「……いただきます」


真似して、スープに口をつける。


「……」


温かい。


派手な味じゃない。

塩気も控えめで、香辛料も強くない。


でも、体の奥にじわっと染み込んでくる。


「……美味しい」


思わず、声が出た。


「だろ」


ケインは、少しだけ誇らしそうに笑った。


「ホッとする味だな」


そう呟いてから、気づく。


静かすぎる。


「あれ……?」


机の周りを見渡す。


「村長とか、おばさんたちは?」


「ああ」


ケインは、パンをちぎりながら言った。


「朝から、みんな集まって話してる」


「……なんで?」


分かっているはずなのに、聞いてしまった。


ケインは、少し言いづらそうに目を伏せる。


「昨日、森に行った騎士と冒険者たちが……まだ帰ってきてない」


「あー……」


昨日の夜の話が、頭に浮かぶ。


「まあ、大丈夫でしょ」


自分でも驚くほど、軽い声だった。


「騎士もいたんだろ? 冒険者も」


「……うん」


ケインは、はっきりとは答えなかった。


外を見る。


村の道の向こうから、一人の男が走ってくるのが見えた。


顔が、明らかにおかしい。


必死で、何かを叫んでいる。


「……?」


次の瞬間、その声がはっきり聞こえた。


「村長はどこだ!!」


家の中が、ざわつく。


扉が開き、村人たちが顔を出す。


男は息を切らしながら、叫んだ。


「村長!! 大変だ!!」


すぐに、人が集まる。


男は、震える声で続けた。


「捜索に……行きました……

 騎士たちと、冒険者たち……」


一瞬、間が空く。


「……全滅、のようです」 


その言葉を聞いた瞬間、背中を冷たい手で撫でられたような感覚が走った。


怖かった。


単純に、どうしようもなく。


この世界は、アニメや漫画みたいに

「強い人が来て助けてくれる」

「ギリギリで逆転できる」

そんな、ぬるい世界じゃない。


強いはずの人間が、普通に死ぬ。


昨日まで生きていた人間が、跡形もなく消える。


それを、村全体が理解してしまった。


それからというもの、村の空気は変わった。


誰も、あまり喋らない。

目が合っても、すぐ逸らされる。

無言で、同じ場所を何度も掃く人。

何もないのに、武器を握りしめる人。


村長は、村の中でも「まだ戦えそうな者」を集めていた。


錆びた剣。

歪んだ槍。

木製の盾。


本来なら狩り用、あるいは飾りみたいなものを、

「いざという時のためだ」と言って配っていた。


誰もが分かっていた。


この村の寿命は、もう長くない。


魔物に襲われる。


時間の問題だ。


考えたくない。

でも、考えてしまう。


もし来たら。

もし今夜だったら。

もし、逃げられなかったら。


そんなことばかりが、頭の中をぐるぐる回っていた。



夕方。


空が、ゆっくりと赤く染まり始めた頃だった。


――聞こえた。


低く、濁った鳴き声。


「……っ」


狼みたいな声。

一つじゃない。


「……集団、だな」


自分でも驚くほど、冷静な声が出た。


俺は、すぐにケインの方を見る。


「ケイン。逃げる準備しよう」


「え……?」


「もう、この村は終わりだ」


言葉にすると、現実になる気がして嫌だった。


でも、言わない方が、もっと嫌だった。


「早く逃げないと、俺たちも死ぬ」


ケインの顔が、真っ青になる。


「う、うん……

 し、死にたくないな……」


その瞬間だった。


「来たぞー!!」


見張りの声。


同時に、小さな村中に鐘の音が鳴り響く。


ガン、ガン、ガン、と

耳を叩き潰すような音。


「女と子供は、今すぐ逃げろ!!」


村長の声が、裏返る。


人が、動き出す。


泣く。

叫ぶ。

転ぶ。


恐怖と焦りで、誰もが今にも壊れそうだった。



魔物は、優しくなかった。


ドガー。


オオカミに似た頭。

二足で立つ異形。

二メートルを超える体躯。


だが、そんな名前も、弱点も、

村の誰一人として知らない。


ドガーは、群れを成して現れた。


迷いなく。

一直線に。


「死ねー!!」


見張りの男が、槍を突き出す。


動きは遅い。

構えも甘い。


次の瞬間、ドガーは軽く身をひねり、

その男の首元に噛みついた。


骨の折れる音。


叫びは、途中で途切れた。


村は、一気に混沌に落ちた。


必死に剣を振るう者。

泣きながら逃げる者。

何が起きているのか分からず、立ち尽くす者。


夕方の赤に染まった空が、

今では、村で死んでいく人々の血の色に見えた。


逃げる者は、すぐに殺された。


ドガーは、逃げる人間を優先的に狩る。


残りは、村にいると分かっている。

だから、確実に、時間をかけて、全滅させる。


剣を振るう男が、真横から叩き潰される。

子供を抱えた女が、親子ごと噛み砕かれる。

老人は四肢を引きちぎられ、地面に投げ捨てられる。


ここは、地獄だった。



「ルイ!!」


ケインの叫び声。


恐怖と惨状に打ちのめされ、

体が動かなくなっていた俺の腕を、強く掴む。


「こっちだ!!」


引きずられるように、走り出す。


「この方向なら国に着く!

 しかも、隠れ道だ!!」


俺たちは、もう振り返らなかった。


後ろからは、叫び声。

骨の砕ける音。

何かが潰れる鈍い音。


「……最悪だ……」


息が切れる。

肺が痛い。


闇の中、森を必死に走る。


どこへ向かっているかなんて、関係ない。

とにかく、走る。


どれくらい走ったか分からない。


少しだけ、安堵した――その瞬間。


背中に、凄まじい衝撃。


「――っ!!」


魔物だ。


ずっと、ついてきていた。


武器なんて、ない。

抵抗できない。


無抵抗に終わる。


そんなの、嫌だった。


まだ、この世界に来て二日目だ。


異世界なら無双できるとか、

そんな妄想を、完膚なきまでに叩き潰される。


血が、だらだら流れる。


それでも、走る。


アドレナリンで、体が勝手に動いていた。


「なんで……

 なんで、こんな目に……!」


足元の石に躓く。


転ぶ。


もう、終わった。


死を、覚悟した。


ドガーが、飛びかかってくる。



その瞬間だった。


「――ふんっ!!」


盾が、視界に割り込む。


騎士だ。


衝撃と同時に、俺の意識は落ちかける。


「最近、魔物が多いと報告は受けていたが……

 まさか本当にいるとは……!」


「今だ!

 俺が止めているうちに、横から刺せ!!」


剣を構えた騎士が、走る。


一閃。


ドガーの首が、地面に落ちた。


二人の騎士は、俺を見て、すぐ察した。


「あの方向……」

「昨日の依頼主の村か……」


「……ついに、侵攻されたか」


「生き残りは……もう、いないだろうな」


短く、そう言った。


「とりあえず、上に報告だ」

「この少年は治療してやろう」


そう言って、俺を背負い上げる。


意識が、完全に落ちる直前。


――ああ。


俺は、

本当に、異世界に来てしまったんだ。

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異世界記録 @kaikin77

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