第1話 目覚め

チリンチリンチリン!!


耳の奥を、直接殴られたみたいな音だった。

鼓膜じゃない。脳だ。

脳の中心を、金属の棒でガンガン叩かれている感覚。


うるさい。

マジで、脳に悪い。


「……」


布団の中で顔をしかめる。

体が鉛みたいに重い。思考は水の底に沈んでいる。

起きる理由が、一つも浮かばない。


チリンチリンチリン!!


「……うるさ……」


反射的に枕を掴んで、頭に押し当てる。

でも音は容赦なく突き抜けてくる。

振動みたいなものまで伝わってきて、逆にイラつく。


仕方なく、片目を開けた。


朝だ。


カーテンの隙間から、白っぽい光が差し込んでいる。

外では小鳥が、朝だという理由だけで元気に鳴いていた。


……なんで朝って、世界全体が結託して人を起こしにくるんだろう。

光、音、空気。全部が敵だ。


枕元に手を伸ばして、目覚まし時計を見る。


「――っ」


一瞬で、眠気が吹き飛んだ。


「って、あと三十分しかないじゃん!!」


勢いよく体を起こす。

心臓が一気に目を覚ました感じがした。


「シャワーもしてないし、制服も……最悪!!」


布団を蹴飛ばして立ち上がり、ほとんど転がるみたいに洗面所へ向かう。

蛇口をひねって顔に水を浴びると、冷たさが皮膚を突き抜けて、無理やり現実に引き戻された。


鏡に映る自分。


寝癖は暴走。

目の下にはクマ。

表情は完全にやる気ゼロ。


「……今日もか」


小さく呟いて、適当に髪を整える。

どうせ誰も見てない。

制服に腕を通す動作も、どこか雑になる。


リビングに行くと、朝ごはんが用意されていた。

トーストと、いつものやつ。


ありがたい。

本当にありがたいけど、噛みしめてる余裕がない。


パンを口に押し込みながら、頭の中でやることを整理する。


――歯磨き。

――カバン。

――スマホ。

――鍵。


「よし……!」


俺の名前はルイ。

どこにでもいる、普通の高校生。


成績も普通。

運動も普通。

目立つ才能も、語れる夢もない。


今日も学校。

それだけで十分だるいのに、寝坊までセットとか、さすがに笑えない。


「遅刻だけはマジで勘弁……!」


玄関で靴を突っ込み、鍵を掴む。

ドアを開ける勢いのまま、声だけ置いていく。


「行ってきます!」


返事を待つ余裕なんてない。

朝の空気を突っ切って、外へ飛び出した。



校門が見えた瞬間、残っていた体力を全部使う。


「間に合えーっ!!」


肺が焼ける。

脚が重い。

足音が、自分のじゃないみたいに遅れる。


キーンコーンカーンコーン。


鐘の音が鳴り終わるのと、ほぼ同時に教室へ滑り込んだ。

席に座った瞬間、全身から力が抜ける。


「……死ぬかと思った」


「こいつ、学校でも寝るのかよ」


「今日は遅刻しそうで走ってきたらしいよー」


左右から声が飛んでくる。


サトシとカナ。

気づけば、いつもこの二人がいる。


「ったく、いつになったら寝坊治るんだか」


「治る見込みある?」


「ない」


即答だった。


もう限界だった。

そのまま机に突っ伏す。


世界が、暗くなる。



次に目を開けたとき、空はオレンジ色だった。


放課後。


「では、気をつけて帰れよ〜」


教師の間延びした声と、椅子を引く音が教室に広がる。

一日の終わりの、あの独特の空気。


「今日なにして遊ぶ?」


「寄り道する?」


そんな声が飛び交う中、俺はまた机に顔を埋める。


「……zzzz」


「いい加減起きろや!!」


どすん、と背中に衝撃。


「うわっ!? なんだよ……」


「今日のアンタ、寝すぎ。

もう来なくてよかったんじゃない?」


「来ることに意味があるんだよ……たぶん」


自分で言ってて、信用できなかった。


「てか、早く帰ろ。ねむい」



家に帰って、風呂に入って、飯を食う。

家族とどうでもいい会話をして、適当に相槌を打つ。


気づけば、自分の部屋。


ベッドに倒れ込み、天井を見る。


「……平日って、ほんとつまんねえ」


毎日が、同じ。

驚きも、刺激もない。


スマホを置いて、目を閉じる。


「異世界にでも行けたらな」


どうせ、ありえない。


「俺なら絶対、無双できるのに」


そんな、ガキみたいなことを考えながら、意識が落ちていった。



「――っは!?」


次の瞬間、体が浮いていた。


夜空。

星。

足元には、何もない。


「……え?」


理解するより先に、体が落ちる。


「うわあああああ!!」


風が耳を裂き、視界がぐちゃぐちゃに回る。

上下も左右も分からない。


――ドサッ。


衝撃。

予想外に、柔らかい。


藁だ。


(……夢だよな)


そう思う暇もなく、意識が暗転した。



ピヨピヨ、と小鳥の声。


……うるさ。


昨日、変な夢を見た気がする。

久々に夢なんて見たと思ったら、よりによって悪夢とか、運なさすぎだろ。


目を開ける。


……ん?


天井が、ない。

いや、あるけど違う。

青い。


空だ。


「……は?」


体を動かそうとして、背中にチクっとした感触。

ベッドじゃない。藁だ。


近くから、ブモー、とか、メェー、とか、家畜の声が聞こえる。


「……いやいや」


夢だろ。

こういうリアルな夢、たまにある。


ほっぺたをつねる。


「……痛いな」


心臓の音が、やたらとうるさい。

呼吸はできる。

手も足も、ちゃんと動く。


体を見る。

腕も脚も、見慣れたまま。怪我もない。


……俺だ。


「……じゃあ、ここどこだよ」


起き上がると、藁がざらっと音を立てる。

木の柵。

古い小屋。

干された布。


スマホがない。

ポケットを探す。ない。


「……夢にしては、めんどくさすぎない?」


そのとき。


「今日もいっぱい食べろよ〜」


外から声。

人の声だ。


足音が、近づいてくる。


「……え」


布をめくる音。


「さーて、ウィンチちゃんは起きてるかな――」


目が合った。


「「……」」


数秒、沈黙。


「……だれ?」


「それは俺のセリフだろ!!」


心臓が跳ねた。


相手は、俺より少し年下。

素朴な服。

腰には、短い刃物。


「盗賊!?」

「違う違う違う!!」


咄嗟に両手を上げる。


「俺も聞きたいんだけど!?

ここどこ!? てかあんた誰!?」


少年は俺をじっと見て、首をかしげた。


「……服、変だな」


「それ昨日も言われたわ!!……いや言われてないけど!」


言葉は、通じている。

それが、逆に怖い。


「……とりあえず、落ち着けよ」


刃物から手を離し、少年は名乗った。


「俺はケイン。十五だ。

ここは、リドの村」


「……村」


言葉を、繰り返すしかなかった。



村は、小さかった。


家は十数軒。

人も、少ない。


俺を見るたびに、村人の動きが止まる。

視線が、刺さる。


「外の人間か?」

「服が妙だな」

「魔力、感じないぞ?」


魔力。


「……魔力?」


ケインが手を出す。

指先に、ぼんやりとした光が灯った。


「火、だけど」


「……は?」


声が、勝手に出た。


夢じゃない。

そう思いたくないのに、誰も笑わない。


その日の昼、村長の家で話を聞いた。


魔法。

魔物。

最近、森が危ないこと。


「……へぇ」


相槌しか、打てなかった。


でも――

空気は、どこか張りつめていた。



夕方。


村の外が、騒がしくなった。


「……冒険者だ」

「騎士もいるぞ」


村人の顔に、安堵が浮かぶ。


俺は、その空気を見て、ようやく気づいた。


――助けが来る、って感覚が、

ここでは、当たり前じゃない。

村の中央にある、少し大きな家。

そこが村長の家だった。


粗末な木の机を囲んで、数人の大人が集まっている。

その中央に座る白髪の男――村長は、深く頭を下げた。


「……この度は、依頼を受けてくださり、感謝します」


その向かいに立っているのは、二つの集団だった。


一方は、全身を金属の鎧で包んだ騎士たち。

陽を受けて鈍く光る鎧には、王都の紋章が刻まれている。


剣。

盾。

長槍。


動くたびに、金属同士が擦れる低い音がした。


もう一方は、冒険者たち。

革の軽装。布の外套。

それぞれが、剣、斧、弓、短剣、そして杖を持っている。


装備は軽いが、無駄がない。

何度も死線を越えてきた者の雰囲気が、自然と滲んでいた。


「被害の状況を、もう一度」


騎士の一人が、兜の奥から低い声を出す。


村長は、唇を噛みしめてから口を開いた。


「森に入った猟師が、戻ってきませんでした。

 捜索に出た者も……二人、帰ってこなかった」


冒険者の一人――弓を背負った男が、眉をひそめる。


「死体は?」


「……一部だけ」


その言葉に、空気が変わった。


「噛み千切られたような跡がありました。

 骨は、砕かれ……」


騎士の隊長格らしき男が、静かに頷く。


「魔物の可能性が高いな」


「最近、この辺りで増えているという噂がありました」


「……群れか」


冒険者の中の、杖を持った女が呟く。


「単独なら、ここまで派手にはならない」


村長は、震える声で続けた。


「夜になると……森の方から、鳴き声が聞こえるのです」


それを聞いた瞬間だった。


冒険者の男が、顔を上げる。


「……どんな鳴き声だ」


「獣のような……ですが、

 どこか、人の声にも似て……」


その場にいた全員が、黙った。


「分かりました」


騎士隊長が言う。


「我々が森を調査します。

 冒険者諸君、協力を」


「もちろん」


短く答え、冒険者たちは立ち上がった。


宿の天井は、低かった。


梁がそのまま剥き出しになっていて、木の節が黒ずんでいる。

布団――というより、干し草を詰めただけの寝床は、正直言って寝心地がいいとは言えない。


それでも。


「……まあ、屋根あるだけマシか」


小さく呟いて、俺は仰向けになった。


異世界。

魔法があって、魔物がいて、村があって。


普通なら、もっと混乱していていいはずなのに、不思議と頭は冷えていた。

というより、考えるのを放棄している、が正しい。


今日は色々ありすぎた。


村に来て、村長に会って、魔法を見せられて、

「魔力がない」って言われて、

よく分からないまま、空き部屋を貸してもらった。


「……まあ、明日考えればいいか」


布団に潜り、目を閉じる。


外では、風が木々を揺らす音がしていた。



その頃。


村から少し離れた森の入口で、鉄の擦れる音が静かに響いていた。


「……ここが、リドの森か」


鎧に身を包んだ男が、低い声で言った。


騎士団第三小隊所属。

鋼の胸当て、肩当て、脛当て。

剣は腰に一本、背中には予備の短剣。


その後ろには、軽装の男女が数人。

革の鎧、外套、弓、槍、杖。


冒険者たちだ。


「依頼内容は“魔物増加の調査と消息不明の人探し”だったな」

「ええ。鳴き声を聞いた猟師と消えた猟師を探しに行った村人が戻ってこないとのこと。」


杖を持った女が、地面を見ながら言う。


「……血の跡、ありますね」


その言葉に、全員の足が止まった。


赤黒く乾いた染みが、落ち葉の下に残っている。

引きずられたような跡。


「小型じゃないな」

「オオカミ系か?」


弓を背負った冒険者が、低く呟く。


騎士は剣の柄に手をかけた。


「隊列を保て。囲まれるな」


森は、静かすぎた。


鳥の声も、虫の音もない。

まるで、何かが“近くにいる”ことを、森そのものが知っているようだった。



さらに進んだ先。


「……あ」


誰かの声が、喉で詰まる。


そこにあったのは――人だった。


正確には、人だったもの。


上半身と下半身が、不自然な角度で離れている。

鎧もなく、村人の服。


腹部は抉られ、骨が見えていた。


「……一撃で、やられてる」

「噛み跡……いや、爪か?」


騎士が膝をつき、死体を確認する。


「噛み千切る力がある。だが、刃物のような切断もあるな」

「二足歩行型の魔物、かも」


その言葉が出た瞬間だった。


――ガサッ。


右手側、下草が揺れる。


「来るぞ」


騎士の隊長が、低く告げた。


次の瞬間、森の影から黒い影が躍り出る。


地面を蹴り、二足で立つ獣。

狼の頭部、だが胴は異様に直立し、腕のような前脚が地を裂く。


「ドガーだ!」


冒険者の剣士が叫ぶ。


「一体だけだ、落ち着け!」


最前列の騎士が盾を構える。

衝突。


――ドンッ!!


盾が大きく鳴り、騎士の足が半歩沈む。


「重い……!」


だが、止めた。


その瞬間、横から剣が走る。


冒険者の剣士。

迷いのない一閃。


刃が、首元に深く食い込み、ドガーの首が傾く。


「――倒した!」


ドガーは、崩れるように倒れた。


「……拍子抜けだな」


斧を持った冒険者が鼻で笑う。


「噂ほどじゃ――」


言葉が、途切れた。


――ガサガサガサ。


音が、増えた。


前。

左。

背後。


「……っ」


弓兵が、矢を番える。


「数が……」


森の影から、次々と現れる。


二体。

三体。

四体。


黄色い目が、暗闇に浮かぶ。


「……群れだ」


騎士隊長が叫ぶ。


「隊列維持! 前列、盾を――」


間に合わなかった。


右側面から、一体が飛びかかる。


「ぐっ……!」


盾を構えていなかった騎士の肩に、爪が食い込む。

鎧が裂け、血が噴く。


「下がれ!」


長槍の騎士が一歩踏み出し、突く。


穂先が、ドガーの喉を貫いた。


「……よし」


だが、その隙。


別のドガーが、槍を掴む。


「なっ――」


力任せに引かれ、体勢が崩れる。


次の瞬間、横から噛みつかれた。


首。


「――っ」


音もなく、倒れた。


「長槍がやられた!!」


冒険者の杖使いが、即座に詠唱する。


「――火よ!集え!」


炎が走る。


一体、二体が燃え上がり、倒れる。


「いける! 数を減らせ!」


剣士が突っ込む。

斧が続く。


刃が走り、肉が裂け、三体目、四体目が倒れる。


冒険者たちは、確かに強かった。


だが。


「……おかしい」


弓兵が呟く。


倒した数より、

減っていない。


「後ろ……まだ来てる!」


背後から、さらに三体。


「くそ……!」


剣士が振り返った瞬間。


ドガーが、跳んだ。


剣を振る。

防ぐ。


だが、別の個体が足元へ。


「――しまっ」


膝を噛み砕かれる。


「がぁぁああ!!」


倒れた瞬間、二体が覆いかぶさる。


剣が、手から離れた。


「……まだ……」


最後の言葉は、喉で潰れた。


斧使いが吼える。


「離れろぉぉ!!」


斧を振り回し、一体を叩き潰す。


二体目の頭を割る。


「はっ……はっ……」


だが、背中。


爪が、脊椎を裂いた。


斧が、落ちる。


「……ちくしょう……」


膝から崩れ、動かなくなった。


弓兵が、後退しながら矢を放つ。


一射、命中。

二射、外れる。


三射目を番えた瞬間。


影が、視界を塞ぐ。


「――!」


顎が、顔面に迫る。


「……」


頭部が、消えた。

 

短剣の冒険者もいたが、彼らの戦闘を見ている隙にすでにドガーに喰われていた。


残ったのは、騎士たちだけだった。


盾持ちが、歯を食いしばる。


「……撤退だ」


「守れ……!」


剣を構え、前に出る。


一体を斬る。

だが、刃が止まる。


「……硬い」


返す爪。


盾が砕け、腕が潰れる。


「……まだ……!」


最後に、長剣を突き出す。


腹に刺さる。


だが、ドガーは止まらない。


噛みつき。


鎧ごと、胸を抉る。


騎士隊長は、倒れながら空を見た。


「……村……」


それが、最後だった。


森に残ったのは、

血の匂いと、

骨の折れる音だけだった。



同じ頃。


宿の部屋で、俺は布団を引き寄せていた。


「……明日から、どうすっかな」


村で生きるか。

元の世界に戻る方法を探すか。


分からない。


でも、とりあえず。


「今日はもう、寝よ」


外で、風が強く吹いた。


森の方角から、遠くで何かが鳴いた気がしたが――

眠気のせいだと思うことにした。


目を閉じる。


異世界初日の夜は、静かに更けていった。

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