第3話 書き換えられた死
霧坂町では、死は確定していない。
生きている人間よりも、死体のほうが曖昧で、気まぐれで、平気で嘘をつく。その事実を、私は誰よりも知っている――はずだった。
検死室に運び込まれた遺体を見た瞬間、胸の奥が静かに軋んだ。
四十代の男性。町役場職員、三枝修一。発見場所は自宅近くの階段下。警察発表は転落事故。書類上は、よくある死だ。
だが、私は知っている。
こういう「よくある死」ほど、この町では信用できない。
「灯、無理しなくていい」
由利の声が背後から聞こえる。気遣うようでいて、どこか諦めを含んだ声音だった。
「……触らないと、わからない」
そう答えた瞬間、自分でも驚くほど自然だった。考えるより先に体が動く。私は、もう何度もこの状況を繰り返してきたのだろう。
手袋をはめ、三枝の首元に触れる。皮膚は冷たい。だが、冷え方が合わない。死斑の色と位置、硬直の進み具合、それらが示す時間と、体が語る時間が、噛み合っていなかった。
「由利、胃を」
言うと、彼女は一瞬だけ目を伏せ、それから黙って器具を取った。
結果は、予想通りだった。
未消化のパン。形がはっきり残っている。消化酵素の反応も、せいぜい数時間分。
「……今朝だね」
由利が、かすれた声で言う。
「配給のパンは、八時。死亡は九時前後」
私はうなずいた。
「でも、死斑は三十時間以上」
「ありえない」
「だから」
私は、遺体の額に手を伸ばした。
「嘘をついてる」
触れた瞬間、世界が反転した。
音が遠ざかり、光が滲む。足元が消え、時間という概念そのものが剥がれ落ちていく。これは幻覚ではない。夢でもない。
私は、死者の時間に同期している。
三枝修一の朝が、流れ込んでくる。配給所でパンを受け取る。隣人と挨拶を交わす。何気ない日常。その背後に、近づく足音。
振り向く暇もない。
鈍い衝撃。
視界が白く弾ける。
階段から落ちたのではない。背後から、明確な殺意をもって殴られている。
「……他殺」
言葉にした瞬間、強烈な痛みが走った。
頭の奥を、何かが引き剥がされる感覚。
記憶が、削れていく。
私は、必死で書類に向かった。検死報告書。死亡時刻、午前九時十五分。死因、他殺の可能性高し。
ペンを走らせるたびに、世界が遠のいていく。
自分が、自分でなくなっていく。
「灯!」
由利の声が、ひどく遠い。
書き終えた瞬間、膝から力が抜けた。床に崩れ落ちながら、思う。
――ああ、まただ。
何が「また」なのか、もう説明できない。ただ、確信だけがあった。私は、この瞬間を何度も経験している。
次に目を開けたとき、白い天井が視界に入った。
「……ここは」
「検死室。覚えてる?」
由利が覗き込んでいる。その表情は、慣れているようで、慣れていない。
私は、ゆっくり首を横に振った。
「……何も」
自分の名前はわかる。職業も、知識もある。けれど、ここに至るまでの時間が、丸ごと抜け落ちていた。
「やっぱり」
由利が、そう呟いた。
「何回目?」
問いかけると、彼女は答えなかった。
代わりに、足音が近づく。
「目が覚めたようだね」
久我だった。穏やかな笑み。安心させるために完璧な表情。
「君は、町を救った」
「……私は、何を?」
「死体の嘘を正した。それだけだよ」
「代償は?」
私が問うと、久我は一拍置いてから答えた。
「記憶だ。君自身の」
その言い方が、あまりに当然で、私は息を呑んだ。
「私は……何回、これを?」
久我は、視線を逸らした。
「回数に、意味はない」
それが答えだった。
夜。
自室のベッドで、私は眠れずにいた。頭が重い。昨日が、ない。今日が、薄い。
枕元に置かれたノートが、視界に入る。第1話からずっと存在していたはずなのに、今まで触れられなかったもの。
私は、ゆっくりと手を伸ばした。
表紙には、自分の字で書かれている。
『記録』
ページを開く。そこには、私自身からの言葉が並んでいた。
――一度目の私へ。
――二度目の私へ。
――そして、今の私へ。
喉が鳴く。
ページの最後。赤字で、強く書かれている。
――久我は、嘘をついている。
――町は、守られてなどいない。
さらに、その下。
――最終記録:
――これは、最後のループではない。
私は、ノートを閉じた。
胸の奥に、はっきりとした決意が生まれる。
たとえ忘れても。
たとえ、何度殺されても。
次は、私が嘘を暴す番だ。
死体が嘘をつく町で、私は何度も殺されている ソラ @Jasnon
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