第4話 どんでん返しの幕開け

「……少し早いですね、社長。六時までにはまだ間がある」


エマはモップを止めることなく、背を向けたまま答えた。心臓の鼓動は激しいままだが、声だけはプロの清掃員の温度を保っている。


「予定が変わってね。君の仕事ぶりが優秀すぎて、つい見届けたくなったんだよ。……それで、何か面白いものは見つかったかね?」


白金の靴音が、磨き上げられた大理石の床を叩く。その足取りには、先ほどまでの慈父のような優しさは微塵もなかった。


「面白いもの、ですか。……ええ、いくつか。この部屋の主は随分と慎重な方だったようです。高級なアールグレイの缶を、電子基板のゴミ箱にしていたくらいですから」


エマがそう言って、シンクの中にぶちまけた「砂」とICチップの残骸を指し示すと、白金の眉が微かに動いた。


「ほう、それを見つけたか。さすがだ、エマ。君に清掃の英才教育を施したのは正解だった。ゴミの中から真実を拾い上げる……それこそが君に与えられた『機能』だからね」


「機能、ですか。……やはり私は、あそこに転がっている女のクローンなんですね」


エマはベッドの死体を顎でしゃくった。白金は小さく笑い、金庫からエマが取り出したファイルを奪い取った。


「正確には、四番目の成功例だ。オリジナルの神代エマは優秀だったが、あまりに情に脆かった。だから我々は、彼女の知識だけを抽出し、感情を極限まで削ぎ落とした個体を作った。それが君だ。三年前の土砂崩れも、君に『記憶喪失の被害者』という設定を与え、社会に馴染ませるための舞台装置に過ぎない」


白金の話は、あまりに浮世離れしていた。だが、エマの脳はそれを「論理的だ」と受け入れてしまう。清掃のプロとしての冷静さが、自分という存在が単なる「清掃用具」として設計されたことを認めようとしていた。


「だが、計算違いが起きた。オリジナルが死ぬ直前、我々のサーバーから重要な研究データを持ち出したんだ。それをどこに隠したか……君なら見つけられるはずだ。君の脳は、オリジナルと同じ思考回路を持つように調律されているんだからね」


白金がエマの肩に手を置く。その手の冷たさに、エマは本能的な嫌悪感を覚えた。


「……残念ですが、社長。あなたの計算違いはもう一つあります」


エマは白金の手を静かに振り払い、ベッドの死体へと歩み寄った。


「この死体は、神代エマじゃありません。……もちろん、私のクローンでもない」


「何を言っている? DNA鑑定も済んでいる。これは間違いなく……」


「鑑定結果を改ざんするのは、あなたが得意とするところでしょう? 社長。……見てください、この死体の指を」 エマは死体の左手を取り、白金の目の前に突き出した。


「左利き特有のペンだこ。そして、この部屋の不自然なほどの『右利き用』の配置。社長、あなたはオリジナルが右利きだと信じていた。ファイルにもそう書いてあった。……でも、もしファイルそのものが、あなたを騙すための偽物だったら?」


白金の顔から余裕が消える。


「三年前、死んだのはオリジナルじゃない。……オリジナルは、自分の『左利き』という特徴を隠し、右利きのふりをして生活していたんです。そして、自分にそっくりな『右利きのクローン』を作って、土砂崩れ現場に放り出した」


エマは、自分の右手の火傷の跡を白金に見せつけた。


「この火傷、三年前のものだと思っていましたが、違います。これは、私が研究所を脱出する際、証拠を隠滅するために『右利き用の加熱装置』を素手で破壊した時にできたものだ。……社長、三年前、あなたの目の前で死んだふりをして、記憶を消されたふりをして、あなたの下で『掃除屋』として牙を研いでいたのは、一体誰だと思いますか?」


エマの瞳に、今までになかった鋭い光が宿る。


「……まさか、君が……」


「お掃除の時間ですよ、社長。……不浄な生ゴミは、一箇所にまとめて処分しなければなりませんから」


エマが腰のポーチから取り出したのは、清掃用の強力な酸性洗剤と、アルカリ性の塩素系漂白剤だった。


「混ぜるな危険。……子供でも知っている常識ですが、狭い密室でこれらが混ざればどうなるか、あなたなら分かりますよね?」


エマは洗剤のキャップを外した。白金の顔が恐怖で歪む。


「待て、エマ! 話せば分かる! 君にはまだ価値があるんだ!」


「価値を決めるのは私です。……そして今、この部屋で最も価値のないものは、あなただ」


エマは迷いなく、二つの液体をリビングの中央で混ぜ合わせた。瞬間、鼻を突く猛烈な刺激臭——塩素ガスが発生し始める。


「……さようなら、私の過去を汚した人」


エマは防毒マスクを装着し、白金が逃げようとするよりも早く、部屋の電子ロックを外側から無効化する「清掃員専用のマスターキー」を突き立てた。

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